
子どもの「なんで?」100回ノック
夕方の台所は、
質問で満ちる。
小さな声の「なんで?」が、今日だけで100回くらい降ってくる。
「ママ、なんで空って青いの?」
「なんでお味噌汁、あったかいの?」
「なんで靴、右と左あるの?」
「なんでパパはお仕事いくの?」
(そして、だいたい最後は)
「なんで……なんで……なんでぇ?」
3歳の“なんで期”は、スイッチが入ると止まらない。
かわいい。愛おしい。……のに、正直、夕方のわたしはだんだん息切れする。
返す言葉が追いつかない。
頭の中の引き出しが空っぽになっていく。
「えーっとね」と言いながら、心の中でこっそり電池残量を確認してしまう。
それでも、娘の「なんで?」には、ちゃんと理由がある気がして。
「知りたい」だけじゃなくて、
“いま、ここにいるよ”って合図だったり、
“ママとつながっていたい”って確認だったり。
質問の形をした、抱っこみたいなもの。
「答える」より先に、「受けとめる」
司書の仕事をしていると、よく思う。
質問って、言葉になった瞬間に半分答えが出ていることがある。
「なにがわからないのか」を、本人が見つけた証拠。
だから、子どもの「なんで?」も、まずは受けとめたい。
わたしが最近よく使うのは、この3つ。
「いいところに気づいたね」
「気になるよね。ママも気になってきた」
「いっしょに調べてみようか」
答えを“すぐ出す”より、
「その気持ち、ここに置いていいよ」ってテーブルを出す感じ。
それでも100回は、100回
ただね。
100回は、100回なんです。
「なんで?」が続くと、わたしの口はだんだん雑になる。
「なんでって言われても……」が顔を出す。
(ごめん、ママはいま、脳内で洗濯物を畳みながら夕飯を考えてる)
だから、今日は自分に許した。
今日は“全部は”答えない
今日は“全部は”優しくできない
でも、“投げない”だけはやる
「わかんないなあ」って言っていい。
「今日はここまで」って区切っていい。
親は百科事典じゃないし、AIでもない(※たまにAIには頼るけど)。
大事なのは、質問を終わらせないこと。
“わからない”を、恥にしないこと。
図書館みたいに、いったん「預かる」
娘の「なんで?」に、答えを返せないとき。
わたしは心の中で、図書館のカウンターを開く。
「その質問、いったんお預かりしますね」
レファレンスの世界では、
その場で答えが出ないことは珍しくない。
むしろ、「調べる時間」があるから、深くなれる。
子どもの質問も同じ。
今日の午後は、付箋に書いて冷蔵庫に貼った。
空が青いのはなんで?
花がねんねしないのはなんで?
どうして“ありがとう”って言うの?
付箋が増えるほど、ちょっと笑ってしまう。
わたしの家の冷蔵庫、いま一番“知りたい”が集まる場所かもしれない。
絵本は、答えじゃなくて「いっしょに考える」をくれる
子どもの「なんで?」は、
数学の問題みたいに正解が一つじゃないことが多い。
そんなとき、絵本は助けてくれる。
“答え”ではなくて、考える時間をくれるから。
たとえば、
「空が青いのはなんで?」にぴったりの一冊がなくても、
空の絵がたくさん出てくる絵本を開いて、こう言える。
「この空、どんな色に見える?」
「夕方の空って、なんで赤くなるんだろうね」
「今日の空は、何色だった?」
質問は質問を呼んで、
親子の会話は、少しだけ“探検”になる。
「なんで?」100回の午後の、いちばん最後
夕方、ようやく質問の雨がやんだころ。
娘は急に静かになって、絵本を抱えてきた。
「これ、よんで」
——そうか。
今日の「なんで?」は、ここに着地したんだ。
抱っこみたいな質問。
つながっていたい合図。
その延長線に、「読んで」がある。
今日も100回、うまくは答えられなかった。
でも100回、ちゃんと娘の方を向いた(たぶん80回くらいは)。
それでいい日にする。
もしよかったら、あなたの家の「なんで?」も教えてください。
最近いちばん可愛かった質問、最近いちばん困った質問。
その話を聞くだけで、明日の午後が少し軽くなる気がします。
喜木 拝
