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Photo bycoooooom7

魔法が使えない母の話。

    私の母は、わりと「できる人」だった。

    専業主婦だった頃は、家の中をきれいに整え、料理を作り、お菓子まで作ってくれた。
    働き始めてからも、家事の多くをひとりで担っていたように思う。

    子どもの頃の私は、それを当たり前のように見ていた。

    夕方になればごはんができている。
    洗濯物は畳まれている。
    部屋はそれなりに片づいている。
    たまには手作りのお菓子が出てくる。

    思えば、あれは当たり前なんかではなくて。

    母はきっと、眠い日もあっただろう。
    疲れている日もあっただろう。
    何もしたくない日だって、あったはず。

    それでも子どもの私から見る母は、何でもできる人だった。
    家の中を整え、食卓を整え、家族の毎日をくるくるとまわしていく。

    まるで、杖を振る魔法使いみたいに。

    今は私にも3歳の娘がいるけれど、ついに気づいてしまった。

    私は、魔法が使えない。

    部屋はすぐに散らかる。
    洗濯物は畳む前に山になる。
    料理は手抜きの日も多い。
    お菓子作りなんて、よほど気持ちに余裕がある日でなければできない。

    仕事をして、娘を迎えに行って、ごはんを食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつける。
    それだけで一日が終わってしまう。

    寝落ちして、夜中に目が覚めて、流しに残った食器を見てため息をつく。
    朝になれば、また慌ただしく一日が始まる。

    少し前まで、母になれば自然とできるようになるのだと信じていた。
    あの頃の母のように、家のことも、子どものことも、仕事も、きっと何とかできる力が自分の中に湧いてくるのだと。

    でも、そんな魔法はどこにもなかった。

    できない自分が、苦しかった。
    母ならもっとちゃんとできるはずなのに。
    もっと穏やかでいられるはずなのに。
    そんな見えない「はず」が、いつの間にか私をきつく縛り、責めていた。

    母のようにはできない。
    それは、ずっと少し苦しい。

    でも、私は私なりに、今日も娘のそばにいる。

    寝る前に絵本を読む。
    娘の言い間違いを、心の中でそっと宝物にする。
    小さな手をつないで歩く。
    疲れて怒ってしまった日は、「さっきはごめんね」と言う。

    完璧な食卓ではない日もある。
    片づいていない部屋で笑っている日もある。
    余裕がなくて、反省ばかりの夜もある。

    それでも、娘は私の膝にのってくる。
    「ママ、見て」と言う。
    「読んで」と絵本を持ってくる。

    そのたびに、 魔法が使えないままでも、私は私のまま、母でいていいのかもしれない、と思えて。

    いつか娘が大きくなったとき、私のことをどう思い出すのかはわからない。 料理上手なお母さんではないし、いつも部屋をきれいにしていたお母さんでもない。何でも完璧にこなす、魔法使いのような母では、きっとない。

    それでも。
    一緒にめくった絵本のページ。
    帰り道に見上げた空のグラデーション。
    ぎゅっと手をつないだときのやわらかな感触。
    眠る前に耳元で聞こえた声。
    何でもない日に、ふたりで笑い合ったこと。

    そういう小さな記憶の欠片が、娘の中に残ってくれたらいい。
    完璧ではないデコボコな日々も、あとから振り返れば、少しだけ魔法みたいに光ることがあるのだから。

    母は魔法使いではない。
    少なくとも私は、魔法が使えない母だ。

    それでも今日も、こぼれた牛乳を慌てて拭く。
    娘の髪を不器用に結ぶ。
    絵本を一冊読む。
    「おやすみ」と囁く。

    そんな小さなことを、ひとつずつ、ひとつずつ重ねながら、私は私なりの母になっていく。

    魔法は使えない。
    なにか魔法みたいに残るものを、いつか娘に手渡せたら、それでいい。

    喜木 拝



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    本が好きなのに、今は読めないあなたへ。 本とことばで、忙しい毎日に小さな余白を届けます。 図書館司書/4歳娘の母/ブックシェアコーディネーター。 メンバーシップ「凛のことのはライブラリー」運営中。

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