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話すことで見えてきた、私の言葉の現在地。—藤澤コウさんとお話しして

    先日、コウさんとオンラインでお話しできる機会をいただきました。

    藤澤コウさんは、「モヤモヤを言葉にするライター」として、人の話を丁寧に聞き、その人自身にも見えていなかった頑張りや魅力を言葉にしている方です。

    実は以前にも、私のほうからお願いして、人生インタビューをしていただいたことがあります。

    そのときに書いていただいたのが、こちらの記事👇

    「彼女自身が、図書館のような人だった」
    そんな言葉から始まる記事を読んだとき、自分では見えていなかった自分を、誰かにそっと見つけてもらったような気持ちになりました。

    そして今回、あらためてお話しして思ったことがあります。
    コウさんは、本当に話しやすい。
    「何か立派なことを言わなければ」と身構える必要がなくて。
    うまく言葉にならない思いも、コウさんに話しているうちに、 「ああ、私、本当はこう思っていたのかもしれない」 と、少しずつ輪郭を帯びていくのを感じます。

    コウさん自身が、昔から人の話を聞くことが好きで、「自分の話を丁寧に聞いてもらえる機会」を大切にされていることは、ご自身の記事にも綴られています。 誰かの人生を外側からあたたかく見つめ、その人自身には見えていなかった頑張りや良さを一緒に掘り出していく。そんな誠実な姿勢が、あの「話しやすさ」につながっているのかもしれません。

    私は、なぜ発信しているのだろう

    今回お話ししながら、あらためて自分の発信について振り返りました。

    実は、私はもともと「いつかYouTubeでの発信につなげたい」と思ってnoteを始めました。

    私には以前、病気をして、活字がまったく読めなくなった時期があります。

    大好きだった本が読めない。 文字を追うことができない。
    そんな暗闇のような時期に、動画や音楽の持つ強さに救われました。
    文字が読めなくても、声なら届くことがある。
    映像だから伝わることがある。
    音楽に助けられることもある。

    だから私は、いつか動画でも発信してみたいと思っていました。 その気持ちは、今もなくなったわけではありません。 でも、noteで文章を書き続けてきた今、あらためて思うのです。
    活字には、「待っていてくれる」という独自の優しさがあるのだと。

    自分が読みたいと思ったときに、読める

    動画や音声には、流れていく「時間」があります。 再生して、その流れの中で受け取っていくものです。

    でも文章は、自分のペースで読むことができます。 一気に読んでもいい。 途中で閉じてもいい。 気になったところまで戻ってもいい。 「今は読めない」と思ったら、そっと置いておいてもいい。

    そして、ある日ふと、 「今なら読めるかもしれない」 と思ったときに、また開くことができる。

    私は一度、活字を読めなくなったからこそ、
    「自分が読みたいと思ったときに、そこに言葉があること」 のありがたさを、人一倍知っているのかもしれません。

    書いたその日に、すべてが届かなくてもいい。 誰かが必要としたときに見つけてくれたらいい。 数か月後でも、数年後でも。
    伝わるべきときに、伝わる。
    活字には、そんな静かでしなやかな力があるのだと思うのです。

    自分の人生の「輝くポイント」は、自分では見つけにくい

    自分のことは、案外、自分ではわかりません。 ずっと続けてきたことも、乗り越えてきたことも、自分にとっては「自分の人生」だから、当たり前になってしまう。

    私自身もそうです。 病気をしたこと。 活字が読めなくなったこと。 それでも本のそばに戻ってきたこと。 書店で働き、司書になり、今は自分でも文章を書いていること。

    ひとつひとつを自分で話しているだけでは、「まあ、いろいろあったなあ」くらいで終わってしまうこともあります。 けれど、コウさんと話していると、自分が生きてきたこれまでの中から、 「ここ、すごく大切なんじゃないですか」 と、光の当たる場所を見つけてもらえるような気がするのです。

    私が何気なく話した言葉をすくい上げ、つなげて、 「凛さんは、こういうことを大切にしているんですね」 と形にしてくれる。 すると、自分の中ではバラバラだった出来事が、一本の線になる。 見えていなかったものが、「ああ、これも私だったんだ」と愛おしく思える。

    以前、人生インタビューをしていただいたときにも感じたことでした。 そして今回もまた、自分の発信についてモヤモヤしていたものが、すーっと晴れていくような感覚がありました。

    話すことは、自分を知ることなのかもしれない

    「書くこと」は、私にとって思考を整理し、自分を整える方法です。 でも、「誰かに話すこと」でしか見えないものもあるのだと、今回深く感じました。

    自分では通り過ぎてしまう言葉を、 「今の言葉、大事ですね」と拾ってくれる人がいる。 自分では短所だと思っていたものを、 「それは、こんな強さでもありますよね」と別の角度から見せてくれる人がいる。

    コウさんと話していると、自分の人生を無理に「素晴らしいもの」に仕立て上げなくても、これまで歩いてきたでこぼこ道の中に、すでに光っているものがあるのだと思えます。

    きっと必要なのは、新しく何かを足すことだけではなくて。 すでに自分の中にあるものを、見つけること。 なのかもしれません。

    コウさん。

    あらためて、お話しする機会をいただき、本当にありがとうございます。

    以前、私の人生を言葉にしていただいたときも。 今回、私の発信について一緒に考えていただいた時間も。 自分では見つけられなかった「私」を、一緒に見つけてもらったような気がしています。

    私はこれからも、きっと書いていくのだと思います。 本のこと。図書館のこと。娘との暮らし。自分が生きてきた中で考えたこと。

    今すぐ誰かに届かなくても。
    いつか、誰かが読みたいと思ったときに、そっと開いてもらえる言葉を。
    まるで図書館の本棚のように、伝わるべきときに伝わることを信じて。

    喜木 拝


    追伸:質問はいつでもお待ちしております💖




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    本が好きなのに、今は読めないあなたへ。 本とことばで、忙しい毎日に小さな余白を届けます。 図書館司書/4歳娘の母/ブックシェアコーディネーター。 メンバーシップ「凛のことのはライブラリー」運営中。

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