
書いたそばから恥ずかしい。―自分の文章が読めないあなたへ、そっと差し出す鏡―
あのときは、名文だったんですよ。
夜中の2時。キーボードを打つ手が止まらなくて、「これは創作大賞とったかも」なんてにやけながら、一気に書き上げた文章。
でも翌朝、読み返してみたら―
「うわ、誰? こんな中二っぽいの書いたの」って思うんです。毎回。
書いた自分にツッコミを入れたくなる、あのこそばゆさ。
けれど、それはたぶん、「ちゃんと書いた証拠」でもあるのです。
というわけで、ヤスさんに届いた質問に回答してみました。
「ヤスさん、放課後ライティング倶楽部のみなさん、こんばんは。
書くのは好きなんですが、自分の文章を読み返すことが苦手です。読んでもあんまりおもしろいとは思えないし。けど読み返して推敲するのが大事だとわかっています。どうしたらいいでしょうか?」
書くときは、魔法がかかっている。
文章を書くときって、ちょっと不思議な力が宿っている気がします。
心の奥から言葉があふれて、指先が勝手に動いて。
「いまの私にしか書けない言葉」が、どんどん出てくる。
その瞬間の自分には、自信すらあるんです。
けれど、魔法は長くは続かない。
書き終えた瞬間から、じわじわと正気が戻ってくる。
冷静になった目で読むと、あんなに熱く書いたのに、どこか恥ずかしい。
自分の文章を読めないのは、決して才能がないからじゃなくて、
「ちゃんと心をこめたから」なんだと、私は思っています。
推敲って、「時間差の自分」と向き合うこと
書いた直後の自分と、読み返すときの自分は、まるで別人です。
だからこそ、時間をおくことが、いちばんの推敲テクニック。
私は、以下の3段階で見直すことがあります。
① 翌日:誤字脱字や流れを軽く確認
② 3日後:内容やリズムの手直し
③ 公開直前:読者目線で最終チェック
書いてすぐの自分は“作者”だから、なかなか“読者”にはなれません。
だから、「未来の自分」にバトンを渡すつもりで寝かせる。
これが、ちょっとだけ優しく読めるコツだと思っています。
「他人のフリして読む」ワザ
それでも読み返すのが苦手なときは、視覚的な工夫もしてみましょう。
フォントを変える
印刷して紙で読む
読み上げアプリで「耳から」聞く
名前を伏せて、まるで他人の文章かのように扱う
“見慣れた言葉”が、“知らない誰かの文章”に見えてくると、
ちょっとだけ距離が生まれます。
それだけで、推敲がラクになるんです。
推敲は、「否定」ではなく「対話」
書き直す=ダメ出し、だと思ってしまうと、つらくなってしまう。
でも本当は、推敲って「もっと伝えたい」「もっとわかってほしい」という気持ちから生まれる、自分との対話なんですよね。
だから私は、推敲のときにこう問いかけています。
「この一文、未来のわたしにも届くだろうか?」
「この言葉、あの人に読んでほしいとしたら、どう書くかな?」
否定ではなく、未来の読者と心をつなげる作業だと思えば、
文章の手直しも、ちょっと楽しくなってくるはずです。
どうしても無理なら、「誰かと読む」
自分の文章って、自分が一番厳しく読んでしまうから。
ときには、誰かに頼ってみるのも一つの方法です。
誰か読んでもらえそうな人に
「この文、変じゃない?」と見てもらいます。
自分が気にしていた表現を「ここ、好きだった」と言ってもらえたり、
逆に見逃していた違和感を、そっと教えてもらえたり。
“読み返せない文章”は、ひとりで読まなくてもいい。
誰かと一緒に読むことで、はじめて見えるものがあるんです。
その「恥ずかしさ」こそ、あなたの光
「自分の文章が読めない」
その気持ちは、誰よりも、自分の言葉に向き合っている証。
だから、すぐに読めなくても大丈夫です。
あのときの言葉たちは、魔法がとけたあとも、
ちゃんとあなたの内側で、生きています。
距離を置いてもいい。
誰かに預けてもいい。
でも、どうか―
あなたの言葉を、なかったことにはしないで。
その「こっぱずかしさ」こそ、
まぎれもなく、あなたが“本物のことば”を書いた証だから。
しらんけど。
喜木 拝