
金魚玉から、夏がこぼれた。#シロクマ文芸部
金魚玉を見たのは、いつだっただろう。
小さなガラス玉の中を、赤と白の金魚が、するりと泳いでいた。
本物じゃなくて、ガラス細工のちいさな金魚。水も入っていない。ただの飾り。
けれど、光に透けて揺れるその姿は、まるでほんとうに泳いでいるようで、
子どものわたしは、何度も何度もくるくるとそれを回した。
縁日だったか、祖母の家の玄関先だったか。
記憶は曖昧なのに、その金魚玉だけは、なぜだかはっきりと覚えている。
ひんやりとした手触り、指に感じる重み。
それを持っているだけで、夏を閉じ込めておける気がした。
あの頃の夏は、もっとゆっくりと流れていた気がする。
昼下がりの縁側でスイカを食べて、
蚊取り線香のけむりを見ながら、うとうと眠って。
遠くで聞こえる蝉の声も、夕暮れの風も、
ぜんぶが「日常」で、「特別」だった。
けれど、大人になってからの夏は、どこかせわしない。
エアコンの効いた部屋と、締め切りと、駅のホーム。
冷たい缶コーヒーを飲みながら、スマホを眺める手元には、
金魚玉のような澄んだ時間は、もう見当たらない。
先日、娘と一緒に散歩をしていたとき、
小さな雑貨店のウィンドウに飾られた金魚玉を見つけた。
「ママ、これ、なあに?」
娘が目を丸くして見つめていた。
「金魚玉っていうんだよ。夏のお守りみたいなもの」
そう言いながら、わたしは自分の声に驚いていた。
金魚玉が「夏のお守り」だなんて、
そんな言葉、どこから出てきたのだろう。
もしかしたら、あのときのわたしが、そっと教えてくれたのかもしれない。
幼い日の記憶の中で、くるくると回していたガラス玉。
その中には、ちゃんと、わたしの夏が、閉じ込められていたのだ。
娘と手をつないで、もう一度そのお店をのぞいてみようと思う。
今年の夏は、あの金魚玉を買ってみよう。
きっとまた、ひとつ季節が、手のひらにすくいあげられる気がするから。
#シロクマ文芸部 さんの企画で綴りました。
金魚玉、綺麗だなと思いますが、本物をいれると可哀想にも思います。
夏がきますね。
今年はゆったりと過ごしたいものです。
喜木 拝