
#noteでよかったこと― わたしは、ここで出会いなおせた ―
noteの住人が、1000万人を超えたそうです。
「ことばの街」が、こんなにも大きなひとつの“世界”になっていたことに、ただただ驚きと、静かな感動を覚えました。
わたしがこの街にやってきたのは、2021年8月20日。
気がつけば、もう3年以上が経ちます。
書けなくなった時も、
ひとりぼっちだと感じた時も、
noteだけは、いつでも待っていてくれました。
道に迷ったとき、立ち止まる場所があるということ
先日、わたしの自己紹介記事である「喜木凛の道案内」が400スキをいただきました。
📍 喜木凛の道案内
ちょうどその節目に、記事を少しリニューアルをしました。
わたしという人間の、これまでとこれから。
“書くこと”“読むこと”“育てること”を大切にしている理由。
noteに出会い、自分と向き合い続けてきた軌跡を、ぎゅっと込めて書き直しました。
道案内を更新することは、わたし自身の「現在地」を見つけることでもありました。
ゆるやかに、つながるということ
noteには、「がんばりすぎなくていい関係性」があります。
無理して絡まなくても、フォローしていなくても、
ただ“読んでくれている人がいる”というだけで、孤独じゃなくなる。
ゆるやかに、でも確かに。
誰かとつながれているこの場所に、救われてきました。
noteを通して出会った読者さんや仲間とのやり取り、
スキやコメント、引用のひとつひとつが、
わたしの「ことばを信じる力」になっています。
noteでよかったこと
わたしがnoteでよかったと感じているのは、
自分自身と出会いなおせたことです。
誰かの声を借りて、誰かに読んでもらうことで、
自分でも知らなかった「わたし」に気づける場所。
書けるわたしも、書けないわたしも、ぜんぶ含めて“今のわたし”。
noteは、そんなわたしを受け入れてくれる場所でした。
これからも、わたしはここにいます
1000万人という数字のなかに、たしかに「わたし」もいる。
その実感が、なんだかちょっと誇らしいです。
わたしのnoteの歩みは、「ことば」を頼りに、自分自身を見つめなおす旅でした。
図書館司書として、母として、書き手として。
けれど、どの肩書きよりも先にあるのは、“ひとりの人間”としてのわたし。
そして、その道の途中には、誰にも見せたことのない「闘病の日々」がありました。
noteには、正解の言葉がありません。
正直に書いても、整わないまま書いてもいい。
だから私は、心の奥にしまっていた自分の一部を、ようやく書くことができました。
【闘病記】統合失調症は、治るのか?
~当事者である私の道のり~
▶ 記事はこちら
このnoteに綴ったのは、「病名」や「診断」ではなく、
“これから、どう生きていくか”という問いへの、自分なりの答えでした。
病気や障害を明かすことは、時に勇気を必要とします。
でも、それ以上に大切だったのは、
「わたしは、どんなふうに生きていきたいのか」
その気持ちを、ことばにすることだったのです。
noteは、地図のない旅の途中で、
そっと灯りをともしてくれる場所でした。
迷ったときは、ここに戻ってきて、
また、ことばを拾い集めていけばいい。
そして、いつか誰かが同じように迷ったとき、
「こんな道もあるよ」と、手渡せるようなnoteを綴っていけたら―
そんな願いを込めて、これからも書き続けます。
喜木凛のnoteは、“完成された自分”を見せる場所ではありません。
“いまの自分”を、そのまま差し出していく場所です。
ことばを重ねながら、自分の輪郭を少しずつ描きなおす旅。
それが、わたしにとっての「note」です。
これからも、ことばを綴りながら、
ゆるやかにつながっていけたら嬉しいです。
喜木 拝