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チョコミントが教えてくれた、人間関係の話

    こんにちは、チョコミントアイスがめっちゃ好きな りおです。
    10代の頃は、歯磨き粉みたいな感じで、あまり好きじゃなかったんですよねー。

    でも、私は出会ってしまったのです。
    エッセルスーパーカップのチョコミントアイスに。
    すっごく美味しくて、ハマってます♪

    こんな感じで「好きじゃない → 好き」に変わったり、逆に「好き → 好きじゃない」に変わったりって、たまーにありますよね。
    これって、自分自身の中で、その「対象に対する意味が変化」しているのです。

    人に対しても、そういうことありますよね。
    嫌な人だなーと思ってたのに、そうでもなかったとか。
    逆のパターンもありますし。

    人間は意味づけする生き物である

    人間は、様々対象に対して、いろいろな意味付けをします。
    チョコミントアイスが好きというのも、私がチョコミントアイスにつけた意味づけです。
    人に対してもそう。

    私たちは、そうやっていろいろなものに意味付けして、納得しているんだろうなーって。
    わかりやすい例は、妖怪。
    蜃気楼がわからなかった昔の人は、蜃気楼に妖怪 海坊主と名前を付けました。
    名前や意味を付与することで、不明なものに対して納得したわけです。
    不明なものへの不安を解消したという方が正しいのかもしれません。

    こんな感じで、私たちは、世界中のものに名前と意味を付与しています。
    周りを見回してください。名前も意味もないものって、ありますか?

    「いやいや、意味がないものだってあるよ」って意見もあるかもしれません。
    例えば、私とか?
    た、確かに、人類にとって、それほど意味がある存在ではないでしょう。
    今のところは⋯。
    でも将来、世界を救う、飯屋、じゃなかったメシアになるかもしれませんよ!
    というのは冗談ですけど、例えば家族にとっては、私にも意味があるわけです。
    世間で無職透明だったとしても。

    対象だけでなく関係性にも意味づけする

    意味づけって、その対象だけでなくて、その対象との関係性にも意味づけされているんですよね。

    例えば、チョコミントアイスは、それ自体で意味があります。
    でも、チョコミントアイスが好きというのは、私とチョコミントアイスの関係性に対する意味づけです。

    つまり、意味づけは、対象と関係性の2つ存在するのです。

    対象の意味付けは性質的なもの

    また、チョコミントアイス自体の意味って、変更が難しかったりします。
    もちろん、変わることもありますけど。
    でも、「チョコミントアイスとは、リンゴである」と私が意味づけしても、それが一般的な意味づけにはなりません。

    それは、対象に対する意味づけが、その対象の性質的な面を意味しているからだと思います。
    逆に、関係性の意味づけって、人の感情とか、感覚とかが大きいのかなって。主観と言っても良いでしょう。

    ただ、対象に対する意味づけも、人間の主観が入ってしまうので、完全に客観的なものではありません。
    あくまで、そういう性質があって、多くの人が納得できるのが、対象への意味づけということ。
    そして、関係性の意味づけは、主観的なので、変えやすい、変わりやすいと言えます。

    人間関係って本当は関係性の意味づけ

    これって、人間関係でもそうなのかなって思います。
    例えば、「あいつはダメな人間だ」というのは、あくまで、そう言っている人と、相手との関係性の意味づけですよね。

    確かに、その相手の人には、ダメな部分があるかもしれません。
    毎日遅刻してくる、デリカシーがない、秘密をすぐにバラす⋯とか。
    でも、その人を、その一面だけで判断してしまうって、良くないですよね。
    もしかすると、見えないところで、ポイ捨てされたゴミを拾ってるかもしれません。

    また、私には意地悪だけど、他の人には優しいかもしれません。
    昔はやんちゃだったけど、今は温厚かもしれません。

    人は変わっていくものです。
    でも私たちは、その人の一面や、一時期な情報で、自分と相手の関係性に意味づけしてる気がします。

    意味づけしちゃうというのが正確かな。
    そうやって、いろいろなものに意味づけして、納得して、安心してるだけなのかなって思います。

    人間関係は、一人では変えられない

    人間関係の意味づけって、チョコミントアイスに比べると、なかなか変えるのが難しかったりします。
    それは、相手も自分に対して意味づけしているからです。

    チョコミントアイスとの関係では、私が一方的に意味づけできます。
    でも、人間関係ではそうじゃないですよね。
    私が相手のことを「好き」だっとしても、相手が私を「嫌い」だったら、人間関係はうまくいきません。

    私たちは、意味を押し付け合っている

    人間は、お互いに意味づけしあっています。

    自分がどう見ているか、相手がどう見ているかという、二つの意味が重なって、関係性ができているのです。

    そして、お互いの意味付けが違うから、意見がぶつかったり、すれ違ったり⋯。

    自分の中では「もう終わった」と思っていても、相手の中では「昔のまま」で止まっていることってあるじゃないですか。逆のパターンもですけど。

    で、意見が違ったり、ズレがあるときって、それを埋めようとして、自分の意味づけを相手に押し付けようとしちゃいます。
    論理的に説明して、説得しようとして、ときには論破して。

    そして、人間関係がどんどん拗れていく⋯。

    論理ではなく、感情から始める

    論理って、とても大切だと思います。
    交渉も、議論も、論理という正しさが必要なことは理解できます。

    でも人間は、そもそも感情の生き物。
    これって、周知の事実じゃないですか。
    人間が完全に論理的な生き物だって思っている人いませんよね?

    でも、今の時代、論理が圧倒的に重要視されます。
    本当にそれで良いのかなーって。
    だって、論理を突き詰めた先って、結局AIなんじゃない?と思うわけです。
    そもそも、AIに論理で勝てる自信がある人って、どのぐらいいるんでしょう?

    感情が置き去りにされがち

    もっと人間にフォーカスしないと、その人自身を見ないと、もっと言えば、その人の感情を感じないと、それらが失われてしまいます。

    たとえ、論理ではわかり合えなくても、感情を想像したり、共感はできますよね。
    もし自分がその立場だったら、どう感じるかなとか。
    もしかして、何かにすごく傷ついているのかも。
    よくわからない不安があって、すごく怖いのかも。

    論理という正しさの御旗の下、その人の感情って、なぜか置き去りにされがちな気がしているのです。

    あなたはどう感じているのですか?

    人の感情に寄り添っているって人もいっぱいいると思います。

    でも、たまーに本当にそうかなって思うこともあったり。
    誰々が悲しんでいるから、法律を変えるべきだ!って言うけど、私は、その人に聞きたいなーってこと。
    つまり、「あなたは、どう感じているんですか?」って。

    メリットがあるとか、デメリットがあるとかじゃなくて、もっと根本的なところが知りたいっていうか。
    「嫌なものは嫌」みたいな。
    そこに論理って必要なのかなって。
    実は、そこが一丁目一番地なんじゃないかなって。

    感情から論理が生まれる

    論理から感情が生まれるわけではなくて、感情から論理が生まれていることも多くて、だからこそ、感情を知っておかないと、論理も理解できない気もします。

    なんか、平行線になる議論って、感情を理解せずに、論理で頭ごなしに押さえつけようといているから起きるじゃないかなって。

    だから、まず気持ちをお互いに理解するフェーズが必要なのではないでしょうか。
    それが、人間関係を築くための第一歩なんじゃないかなって。

    一方的な意味づけで、正しさを押し付け合う

    論理的な理由で、自分と相手との関係性に意味づけするのって、チョコミントアイスに対する関係性の意味づけと一緒。

    お互いに、一方的に意味づけして、譲らない状態です。
    相手のことを理解せず、自分の正しさだけを押し付け合う状態。

    そして、関係性が変わるときは、自分の論理が間違っていたり、正しくなかったことを認める時です。
    それは自分を否定することになるので、それが嫌だから、認めないというか、意固地になるというか、そもそも相手の話を聞かないというか。

    いきなり論理や正しさをぶつけ合うんじゃなくて、まず、感情からはじめてみるのはどうでしょう?
    感情を共有する、共感する関係から始めるということです。

    分かり合えなくても、関係は変えられる

    もちろん、感情を共有しても、共感しても、お互いの意見が一致しないことは多々あります。
    というか、個々人で感じ方が違うのですから、完全一致って絶対無理です。
    これ、当たり前すぎることじゃないですか。
    でも、今って、そういうのを全部無視しているというか、論理という名の下に切り捨てている気がします。

    私は、お互いの考えが一致する必要って無いと思っています。
    ただ、相手の感情を知ることで、相手の論理の理解も深まるし、自分の考え方も変わるし、解決策も変わると思うんです。
    それが、関係性の意味づけが変わるということだと私は考えています。
    お互いにぶつかり合う関係性ではなくて、一緒に問題を解決する関係性になるということ。

    もちろん、答えがでないこともたくさんあるでしょう。
    結論がでたとしても、誰かが悲しむこともあるでしょう。
    でも、誰かが悲しんでいることを、知ること、そして、その感情を自分が感じていることが、大切なんじゃないでしょうか。
    正しいからで切り捨てて、そのままにするのではなくて、いつか切り捨てられた感情を救うための方法を考えるための種を残す、みたいな感じです。

    だって、社会すべての人が満足することって、無理ですから。
    チョコミントアイスだって、みんな違う意味づけしてるじゃないですか。
    人間に対してもそうです。

    戦争もまた、感情を置き去りにした結果なのかもしれない

    もっと大きなスケールで見てみると、国家同士の争いも似たような構造なのかなって思っています。

    利益や正しさをぶつけ合って、どちらの意味を通すかを競い合っているというか。
    自分の意味を押し通すために、論破ではなくて、武力を行使した結果が戦争ということです。

    そうじゃなくて、もっと人間にフォーカスして欲しいなーって。
    恐れや怒りや悲しみを抱えた感情を持った人が、たくさんいるのです。

    なんか、その感情を無視したまま、論理だけで、自分たちの意味付けを押し付けようとし続ける限り、戦争は無くならないんじゃないかなって。

    最初の一歩は、感情を想像すること

    だからこそ必要なのは、相手を変えることではなくて、相手の感情を理解しようとすることなんだと思っています。

    論理ではなくて、まず感情からはじめるということ。
    もし自分が相手の立場だったら、と想像すること。
    そこからしか、新しい関係性が生まれないんじゃないかって。

    チョコミントアイスの意味を変えるように、簡単にはいかないでしょう。
    でも、最初の一歩は踏み出せるじゃないかなって。

    人は変わっていくもの。
    そして、関係性も変わっていくもの。
    だから、未来が開けるんじゃないでしょうか。

    未来から関係性を考えてみてはどうでしょう?

    過去は変えられません。
    そして、その過去から論理を組み立てて意味づけしたのでは、未来はその延長上にしかできません。

    そうではなくて、未来から関係性を考えてみてはどうでしょう?
    相手とずっとケンカしたたまま未来が良いですか?
    それとも、相手と笑顔でいる未来が良いですか?

    悪い過去の出来事は変わることありません。
    でも、未来の関係は変えられるかもしれません。

    利益、論理、正しさではなくて、お互いが笑顔でいる未来を作るには、どうしたら良いのか? という視点で、次に踏み出す一歩を考えてみるのも、良いのかなって思いました。

    エピローグ

    それにしても、チョコミントアイス美味しー♪
    今日は、2個目食べちゃってます。
    言っておきますけど、食べたいからじゃないですからね!
    チョコミントアイスとの未来の関係性を良くするためです!

    ※このエッセイはフィクションです。実在の人物とは一切関係が無いと思ってください。関係があったとしても、それは、偶然の一致であり、あくまで事実を参考に、思い浮かんだことを、筆の赴くままに書き綴っただけであることを、ここに宣言しておきます。

    ※イメージ画像はチャッピーじゃなかった、ChatGPTに作ってもらいました。

     
     

    りお

     
     
    妄想に生きるデジタル民。 座右の銘 ツラい時はアップルパイを食べよう♪ 最近感動した本 植物に死はあるのか HAPPINESS IS... 幸せを感じる500のこと ※私はフィクションだと思います。存在したとしてもそれは他人の空似です。

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