
「創る」とは自らを喜ばせることである
noteは2014年4月にサービスを開始なされて、もう12年以上経つプラットフォームです。
当初は、クリエイターとユーザーを直接繋ぐ新しいサービスとして始められたんじゃなかったかなと思います。
今もその基本的なコンセプトは変わらないと、私は思っています。ただ、誰しもがクリエイターになることが出来るんですよという素晴らしいことを付け加えられて今に至るのだと思います。
私はクリエイター側ではないと思っていました。なぜなら、独創的な思考は持ち合わせていないし、新たな何かを生み出すことも出来ません。
だからnoteは、何かの価値を生み出している人がするものだと思っていましたので、サービス開始直後に登録して、少し触った程度でした。
今回、私が書きたいのは、「創る」ということについてなのですが
クリエイターとは、価値を生み出すものと考えておりました。ただ、価値というものは後から付随するものではないかなと思うようになりました。
また、価値とは何なのだろうか?とも考えるようになりました。
人にとって、価値は異なることがあります。スポーツが好きな人にとっては、スポーツを観戦して楽しむことが価値になります。そして、スポーツをしている人は、その人達にスポーツを魅せるという価値を提供しています。
ただ、価値を提供している側(スポーツ選手)は、開始当初から価値を提供しているわけではないということです。
後から価値というものは付随されるということになるのではないかと思います。
もちろん、プロのスポーツ選手にとってはその競技を、他の人が真似出来ないぐらいまで技術や体力やメンタルを強化しなければなりません。
ただ、そこにスポーツ選手自身の喜びが、まず最初にあるのではないでしょうか?
「創る」という行為は、はじめから人や環境などの外部に価値を提供するものではなく、まずは自分の内面を喜ばせることが「創る」ということだと思います。
そう考えると、私は「創る」のが大好きです。
子どもの頃、一人遊びをするのが好きで、指で人を作り、その自分の世界の中だけで遊んでいました。それも、1つの創る行為なのではないかと思います。
おそらくみなさん、そういう経験があるのではないかと思います。
「創る」というのは、形にしてもしなくても、創るという行為をしているのだと思います。
何を書きたかったのかと言うと、創っているということ、自分はクリエイターになっているということに、自信を持っていいんだと思います。
noteで発信している人は、皆様、クリエイターです。
頭の中で考えて、文章に起こして、文字として残す。それだけで、すでにクリエイトしているのです。
自分を楽しませる、喜ばせるために、自分がやりたいなと思うことを突き詰める先に、価値が生まれるのではないかと、他の方々のnoteを読んでいて、感じております。
私自身、そうありたいものですから、創るということを自信を持って進めていいんだよねって言い聞かせています。
自分を喜ばせる「創る」という行為は、とても素晴らしく素敵なことであると思います。
それが誰の目に触れることがなくとも、自分が楽しく喜んで創作できることが、まずは何よりなのです。
外部に対する価値は後から付いてくるかもしれないし、付いてこないかもしれない。
しかし、観客は自分一人かもしれないけれど、その自分という観客に価値を与えている行為ならば、それは立派なクリエイターであると、私は思うのです。
なんのはなしですかの回収期間に間に合ったかなー??😆
タイトル画像は、今年の6月に飛騨高山に行ってきた時の写真です✌️
路地裏がめっちゃかっこええやん!!って思って、写真撮ったやつです。
あと、どうでもいいんですが、京都の宇治にある中村藤吉平等院店の外側だったと思うんですが、ここもカッコええやーんって思ってパシャって撮ってみたやつです。

それにしても、最近、眠れないんですよね〜🤔
楽しいことや、やりたいことが多くて、脳が眠るのがもったいないってなってるのかも💦
ちゃんと、寝たほうがいいですよ!