
誕生日の次の日に、私は出発した
トンネルの中で、もがき続けた私は
ある人の一言でお遍路に出ることになった。
「Kさん、お遍路に出てみませんか?」
「お遍路って?」
私には、縁のない遠いものだった。
でも急に、それが目の前に現れた。
私の返事は
「私は子供のころから運動もしてないし、無理ですよ。」
ところが、その数年後
私はお遍路さんになっていた。
歩いて回ろうと決意して、自分の誕生日の次の日に出た。
なぜ誕生日の次の日だった?
それは
誕生日までの自分と『さようなら』をしたかったから。
何度か、挫折しながらだったけれど
でも、三度四国へ行き結願した。
遍路日記をつけていた
当時の私の文を読むと
その頃の心の深淵が見える。
行き場を失い
かといって、先に進む勇気もない。
どん詰まりから始まっていた。
第一番札所霊山寺で
白衣と杖、数珠などを購入して
見かけだけはお遍路になった。
でも、中身の私は
どこにも行けずに立ち尽くしていた。
でも、その日記の最初のページには
こう書いてあった。
「とうとうやって来た!歩いてみよう!」
この日記を読み進めていくと
なんとも言えない当時の自分が見えてきて
何度も、読めなくなった。
私はその自分を
現在の自分と重ねることができない。
あれほどの体験をしたのが自分だったとは
どう考えても信じられない。
「道の中で、起こることは
現実に起こる出来事を凝縮したものだとわかった。」
という文もあった。
ただ、ひたすらに私はこう言って歩いていた。
「強くなれ!強くなれ!」
雨の日にずぶぬれになった私を
チェックイン前の時間なのに
受け入れてくれた宿のお母さん。
山道を越え、長い坂を下った海辺で
目の前に、くっきり虹が見えたこと。
自分の文から、そのすべてがよみがえる。
あの時の私と今の私
どこが違うのか。
それとも何も変わらないのか。
それは
まだ、私には見えてこないけれど
でも一つ思うのは
あの時も、もうトンネルの中から
出られなかったんだよね。
でも今も、私はわずかだけど
前には進んでいるのではないか。
見えない道を探しながら
迷いながら、なんとか見えるようになれ!
と思い続けてること。
今の私は、それだけしかまだ見えない。