
読書メモ52「高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生」
こういう本って、低学歴の低知能の非エリート(その代表格が私だが)が
「ほら見ろ、学歴あっても使えねー奴は使えねーじゃん」と
せせら笑って留飲を下げるための(下品な)ものが多くて敬遠してたのだけれど
お医者さんが読んだというので見てみたら昭和病院烏山の先生。
じゃあさすがにそんな下衆なものじゃないよねと手に取る。
本の帯を見ると、そういう風に売りたかったのかもしれないなと
思うんだけど売らなきゃいけないから仕方ないか。
私は都心部の公立で育ち、公務員住宅なども多かったせいか
ちょっと意識お高い地域だった。
なので、そこまでの窮屈さもなく、教師も今思っても結構いい感じに質が良い人が多かった気がする。
時代もあるけどなー。
いろいろギリアウトな子も、秀才も、天才肌もみんな詰まってるカオスな教室が普通だった。
そのおおらかさが今はもうないんだろうな。
ASDみのある(嘘、ASD)私としては、学校ってルーチンだからシステムとしては私は生きやすい。時間割とか決まってるしさー。
規則正しい暮らしこそ是ですよASD。
ただし、人間関係。お前はダメだ。
そう、女子である私は、そこが大問題。
一応は適応しているように思ってたんだよね。
いつもずっと。最近まで。
でもさ、前の職場で私以外の皆さんで飲みに行ってたとか(私は方向が違うというのもあるんだが)、
幼馴染に「変なこといつも難しく考えてたよね。MENSAかっつーくらい頭良かったし」と言われて
もしや擬態できなかったモンスター is 俺?
私はADHDなのかASDなのか分からんけど
ADHDベースの二次的なASDなのかなあなんて思えてきた。
逸脱した行動しなければ奇異に見られない→規則正しさ
みたいな。
忘れ物が多い→届けてくれる人がいない→全部持つ、しつこく確認とか。
マインドワンダラーである私は
「変なこと」
考えてるしな、ずっと。
学校が悪いんじゃなくて人間がみなせせこましくなっちゃって
何かと排除しがちなんだろうな。
ゆとり教育のせいでのゆとりのなさが悪いんだと思う。
いずれにしても、社会のせいなんだよ。
何でもかんでも社会のせいにする氷河期世代、とはちょっと違うと思うが、障害は社会モデルだからね。
人間が生きるのに、障害は多いじゃん。
パンツはかなきゃとかさ(パンツキライ。感覚過敏ゆえに)。
社会で生きるということへのハードルが
やたらと多い人、というのが私の「障害者」のイメージ。
ちなみに社会モデルの説明はこちら。
医療モデルはなんというか、個人へのオーダーメイドモデルって感じ。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/udsuisin/pdf/kyo02.pdf
んでもって、私の息子はADHDで
過敏性腸症候群になってたり本人は大変だったんだよな。
書字障害だし。
だけど社会適応はとてもよく、今は社会人などをやっている。
友達も数で勝負じゃなく、本当に好きな人と仲良くしている。
とても幸せそうだ。
彼の幸運は、精神保健に若干理解がある元医療者な俺様が母だったことだろう。あと、なんだか知らないけど彼にとっては我が家は本当に母港のような存在らしく、「ドアを閉めると全部忘れる」と言っていたのが忘れられない。
お外で何かとツライ彼が安心できる場所を与え続けることが私の仕事だと信じていたからかもしれない。
はー、私も私のような母が欲しかったぜ。
ところで私は子どもの頃、
「りんだちゃんって、バカだと思ってたけど頭良かったんだね。これから仲良くしてね!」
と隣のクラスの知らない女子に言われたことがある。
いつも私の躓く石、心のトゲになってる。
仲良くしたからと頭が良くなるわけでもないし、私は頭良くないと思ってるし、どこから見て頭がいいとなったのかとか、私にとっては考えることがいっぱいになる出来事だった。
この記事↓じゃないと思うけど
「偏差値が高すぎても低すぎても偏りで、生きづらい。
それを平すのも教師の役目」みたいな灘高の先生の記事を読んですごく楽になったんだよね。
多分私にとってはADHDの診断くらい楽になった。
そうじゃないんだよ、高けりゃいいってもんじゃない(そもそも統計値だし)。
偏差値を上げるために勉強してるんじゃない、ただ知りたかっただけなんだと叫びたかったんだろう。
だから謎に灘高に感謝している笑

この本は、適応できた人と、躓く人が書いてあって
とても良かった。
ホームランな話ばかりじゃつまんないもんね。
あとやっぱり医療だけではどうにもできんよね、というのが
雑な感想。
ただ、この本で光を見つけられる人はきっと少なくないと信じる。
おしまい。