
「AIに仕事を奪われるのか」という話に、ずっと違和感がありました!
「人間はAIに仕事を奪われるのか」
ニュースでもSNSでも、この話題はずっと続いています。そのたびに、僕は少し違和感を覚えます。勝つとか負けるとか、そこで争っている時点で、話がずれている気がするんです。
【ここに、この違和感を最初に覚めた場面があれば。誰かとの会話や、ニュースを見たときのことなど】
知識量では、最初から勝負になりません
はっきり言います。情報の量でも処理の速さでも、人間はAIに勝てません。僕は勝とうとも思っていません。
最初にそれを認めたら、むしろ気が楽になりました。知識の勝負はAIに任せていい。そこから、AIとの付き合い方が見えてきた気がします。
知識と知性は、別のものだと思う
僕の中では、こう分けています。
知識は、過去の膨大な情報を覚えて整理して、「こういう答えが考えられます」と候補を出してくれる力です。これはAIが得意です。
知性は、正解がわからない中で、リスクを背負って決めて、相手の痛みに寄り添って、結果の責任を引き受ける力です。こっちは、人間にしかできません。
AIは、完璧な提案書を作れます。でも、断られるのが怖くて手を震わせながら受話器を握ることは、できません。失敗したときに頭を下げることもできません。
知識は借りればいいと思っています。でも、「誰のために、どんな気持ちで使うのか」を決めるのは、自分です。
僕が決めている、3つのこと
① AIは「物知りな参謀」、自分は「現場で決める人」
データ集めや下準備はAIに任せます。その分、自分は本当に大事な決断に時間を使います。
② 候補がたくさん出ても、最後は自分の直感で選ぶ
AIは、無難で平均点の答えを出すのが上手です。でも、その中から「これでいく」と選ぶのは、自分の信念であるべきだと思っています。迷ったときは、あえて少し尖ったほうを選ぶこともあります。
③ 冷たいデータに、自分の体温を足す
AIが作ってくれる骨組みは、正確です。でもそこに、現場で流した汗や、悔しかった気持ちを自分で足すと、文章が急に動き出します。
【ここに、実際にAIの骨組みに自分の経験を足して、反応が変わった具体例があれば】
どん底で僕を立たせたのは、知識じゃなかった
ハワイの事業に失敗して、お金がゼロになって、車の中で夜空を見上げていた夜があります。
あのとき、僕を支えたのは知識ではありませんでした。理屈ではなく、「泥水をすすってでも、もう一回立ち上がってやる」という気持ちでした。
あの気持ちは、どんなに賢いAIにも作れないと思っています。
【ここに、車中泊の夜の一場面を1〜2文。
寒さや、そのとき何を考えていたかなど】
AIを避ける人でも、任せきりの人でもなく
これから強いのは、AIを遠ざける人でも、丸投げする人でもないと思います。
AIの知識を遠慮なく借りて、そのうえで自分の足で現場に出ていく人です。
知識はAIに借りて、気持ちは自分の体で燃やす。僕はそう決めて、明日も現場に出ます。
まだ、やれる。
何度でも、ここから。