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山頂だけを、覚えているんじゃない

    山に登るとき、目的はだいたい決まっている。

    山頂に立つこと。

    登山口から歩き始めて、登って、山頂に着く。
    そこで景色を眺めて、写真を撮って、また下山する。

    ずっと、そんなふうに山を歩いてきた。

    もちろん、今でも山頂に立ったときの達成感は好きだ。

    登ってきた道を振り返ったときの景色や、山頂から見える遠くの山々。
    「ああ、ここまで歩いてきたんだな」と思える瞬間には、登山ならではの充実感がある。

    でも、山に行った日のことを時間が経ってから思い出してみると、意外なことに気づく。

    山頂だけを覚えているわけじゃない。

    むしろ、山頂に立つまでの途中や、山を下りた後のことまで含めて、その日の記憶になっている。

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    車で通っていた道を、歩いてみた

    3年ほど前、青梅の「赤ぼっこ」という山に登った。

    このときは、電車で登山口まで向かった。

    普段、車で走ることのある青梅の道を、歩いて通る。

    それだけのことなのに、見えてくるものがまったく違った。

    車で走っているときは、ただ通り過ぎていた場所。

    歩いてみると、建物や道沿いの景色が目に入る。
    道の傾斜や、周りの空気まで感じる。

    「ここ、こんな場所だったんだ」

    普段知っているつもりだった街なのに、歩いてみると知らない場所のようだった。

    そして、山を歩いた帰りだったと思う。

    青梅の和菓子を知った。

    山そのものとは直接関係がない。

    でも、なぜか今でも覚えている。

    赤ぼっこでどんな景色を見たのかに加えて、あの日、青梅という街を歩いて、そこで出会ったものの記憶も確かに残っている。

    山へ行ったはずなのに、山だけを見て帰ってきたわけではなかった。

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    頂上に一本の大木、すごく印象的
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    電車登山の醍醐味はお酒説


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    同じ山なのに、見えているものが違う

    2年ほど前には、山梨の昇仙峡へ行った。

    このときの目的は、観光ではなく登山だった。

    羅漢寺山、白砂山を歩いた。

    登山道を歩いていると、もちろん「山を歩いている」という感覚がある。

    ところが、その山を下りて昇仙峡の観光の道を歩いてみると、少し不思議な感覚になった。

    観光の道から見上げると、その先に山がある。

    その山の中には、自分がさっきまで歩いていた登山道がある。

    でも、観光の道からは登山道が見えない。

    そして登山道からも、さっきまで歩いていた観光の道は見えない。

    距離としては、それほど離れていない。

    同じ場所にあるはずなのに、お互いの姿を見ることができない。

    「こんなに近いのに、見えないんだ」

    そんなことを考えながら歩いていた。

    登山道から見える世界と、観光の道から見える世界。

    どちらも同じ昇仙峡なのに、自分がどこを歩いているかによって、見えているものがまったく違う。

    そのとき、山って思っていたよりずっと深いんだな、と思った。

    高い山に登ったときのような、大きな達成感とはまた違う。

    その日の行程全体を歩き終えたときに、

    「今日はいい一日だったな」

    と思える。

    僕にとっては、そういう充実感だった。

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    山頂の世界と
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    観光の道


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    初詣の続きで、山に入った

    今年の正月には、鎌倉アルプスを歩いた。

    もともとは初詣だった。

    その続きで山に入った。

    鎌倉というと、寺社や古い街並みを思い浮かべる。

    僕自身も、山に入るまでは「鎌倉」と「山」をそこまで近いものとして考えていなかった。

    でも実際に歩いてみると、街のすぐそばに山がある。

    さっきまで初詣で人の多い場所を歩いていたのに、少し進めば山道になる。

    古都と山が、思っていたよりずっと近い。

    それが妙に新鮮だった。

    これも、山頂そのものが目的だったら、気づかなかったかもしれない。

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    鎌倉アルプスは街が近い


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    山に行くと、山以外のものが見えてくる

    こうして振り返ってみると、僕の山歩きは少しずつ変わってきたのかもしれない。

    最初は、山頂に立つことが大きな目的だった。

    もちろん今でも、それは変わらない。

    でも最近は、山頂に着くまでの道や、下山してからの街、そこで出会うものまで含めて、その山旅なんだと思うようになった。

    車で通っていた道を歩いてみる。

    登山道から見えない場所に、観光客が歩く道があることに気づく。

    初詣の続きを歩いていたら、いつの間にか山の中にいる。

    どれも、最初から目的にしていたわけではない。

    でも、時間が経ってから思い出すのは、そういうことだったりする。

    山頂から見た景色は、写真に残っている。

    でも、その日の空気や、途中で見つけたもの、歩きながらふと感じたことは、写真には残っていない。

    それでも、なぜか覚えている。

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    山に行くときは、いつも目的地を決めている。

    この山に登ろう。
    ここまで歩こう。
    山頂に立とう。

    でも、そこで何を見つけるのかまでは決められない。

    だから最近は、山に行くことを「山頂へ行くこと」だけでは考えなくなった。

    山頂に立ったことも、その途中で見たものも、下山してから出会ったものも、その日一日の全部が山旅なんだと思う。

    そして、何年か経ったあとに残っているのは、案外そういう「予定していなかったもの」なのかもしれない。

     
     
    仕事に追われ、“いま”を味わえてない事に気づいた40歳。 登山とロングトレイル好きで、歩いてる時間が自分とつながれる時間。 仕事と趣味、キャリアと人生。境界線を揺らしながら、心地よい生き方を模索中。 「働き方」や「暮らし方」を見直している方に、何か届くものがあれば嬉しいです。

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