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Photo bysoeji

心の闇を抱えて生きる

    人はだれしも、死ぬほどつらい経験をしたことがあるだろう。

    僕の場合、2年連続でパニック障害を引き起こしたことがその一つにあたる。

    生きる希望を失い、まさに「絶望」の境地だった。




    1回目のパニック障害


    大学を卒業した僕が初めて就職したのは、小さな町の役場だった。

    生まれ育った地元を離れ、知り合いの一人もいない町で暮らすのは楽ではなかったが、積極的に行事の手伝いに参加するなどして顔を売ってきた。

    結果的に、職場や地域の人に受け入れられ、おかげで10年近く勤めることができたと思う。


    もちろん、順風満帆というわけではない。

    特定の人からのパワハラが4年続いたことがあった。
    退職した今振り返っても、公務員人生最大級のトラウマといえる。

    残業も多く、ひと月の残業時間が60時間に及ぶこともあった(過労死ラインの目安は80時間)。
    1回だけだが、深夜1時まで一人で作業をした日もある。

    長きにわたり職員組合の役員を務めたことで、会議や行事のため土日の予定がほとんど埋まっていた時期もあった。
    20代の半分以上は、休日らしい休日を過ごせなかったと思う。

    このように、人や仕事に振り回されることが多かったが、なんとかがんばってきたつもりだ。


    しかし、10年目のある日、がんばりきれないことが起きた。

    忘れもしない2021年6月21日の月曜日、終業時間の数十分前(とはいっても残業は確定していたが)、息苦しさを感じた。

    なんだか気分が悪いみたいだ。
    トイレで少し休もう。

    トイレの個室に入り、カギをかけ、便座に腰かけた。

    ああ、なんかしんどいな。
    息苦しいから体勢を変えよう。

    便座のふたを閉め、便器に突っ伏するかたちでしゃがみこんだ。

    だんだん呼吸が乱れてきた。
    なんだか手足がしびれてきた。

    便器に突っ伏することもままならなくなり、便器とドアの間に収まり、地べたにうずくまった。

    過呼吸になってしんどい。
    手足はしびれて動けない。
    全身はこわばって動けない。
    顔までしびれて声も出せない。

    あ、これやばいな。

    不思議なもので、体は動かなかったが、頭は妙に冴えていた。

    さてどうする?
    自分一人でどうにかするのは無理だ。
    だれかを呼んで助けてもらうしかない。
    しかし、自分でドアを開けられないし、声も出せない。
    さてどうする?
    幸い、頭部はまだ動かせるようだ。

    そこで僕は、うずくまった状態のまま、ドアに頭突きをした。

    ドーンドーン
    だれか気づいてくれ
    ドーンドーン

    何度も、何度も、ドアに頭突きをした。

    ドーンドーン
    だれか助けてくれ
    ドーンドーン

    しばらくすると、聞き慣れたおじさんの声が聞こえた。

    「大丈夫か?」

    上司だ。気づいてくれたんだ。

    頭突き作戦は成功した。
    しかし、ここからが問題だ。
    どうやってトイレの個室から出るか。

    如何せん、僕は声を発することができない。
    「うー」という、声にならない音を鳴らすのが関の山だ。
    現時点で意思疎通は無理だろう。

    ほかの人も駆けつけてくれたようだ。
    後輩や部下が「ドアの上の隙間から中に入って開けましょうか?」と提案する声も聞こえる。
    しかし、隙間といっても成人男性が入りこむには狭いのではないか。

    ならば、自分でドアのカギを開けるしかない。

    ガチガチに硬直した右腕をなんとか後ろへ回し、ドアのカギを探った。

    カギがあった。
    後はこれをはずせば・・・

    バターーーーーン!

    カギが開いたと同時に、ドアが勢いよく開いた。
    そして、便器とドアの間にいた僕は、うずくまったまま横に倒れた。
    脱出成功だ。

    顔がしびれて目も開けられない状態だったが、声を聞いた限りでは5人か6人くらいが集まっていたと思う。
    福祉の部署ということもあり、保健師さんや社会福祉士さんらが手際よく僕を車いすに乗せ、別室に運んでくれた。

    疲労か安堵か、僕はいつの間にか眠っていた。


    別室に運ばれてからは、熟練の保健師さんが僕の口に紙袋を当てながら、しばらく見守ってくれたらしい。
    目が覚めると、その保健師さんの姿が見えた。

    「気分はどう?」

    そう聞かれ、起き上がろうとするが、全身がバッキバキに痛い。
    「あれだけ全身が硬直していたら、そりゃ痛くなるよね」と、保健師さんはいう。

    全身のバッキバキをのぞけば、体は少し楽になった気がする。
    過呼吸は収まり、しびれや硬直もなくなったので、とりあえずは一安心だろう。
    そして、水分補給をした後、「もう少し休んでなさい」という保健師さんの指示で、もうしばらく眠ることにした。


    数十分眠った後、当然ながらすぐに帰宅した。
    そして、翌日は休暇をもらい、療養することに。
    病院にはすぐにでも行きたかったが、精神科の受診可能日は早くて1週間後だったため、予約だけしておいた。

    数日後、精神科を受診した。
    診断名は「パニック障害」。
    何度か通院し、医師と相談した結果、1か月の病気休暇をもらうことにした。
    休暇中は、実家で過ごしたり、友達と遊んだりして、心のケアに努めた。
    そして、考え抜いた結果、役場を退職することにした。

    正直なところ、トイレで倒れた時点で退職することを考えていたが、「公務員という安定した職業を辞めることはもったいない」という謎の観念に縛られていた。
    しかし、両親や友達に相談すると、

    「長い間がんばったんだから、辞めてもいいじゃん」

    「そんなにつらいなら、無理に続けなくていいと思うよ」

    といった言葉をかけてくれた。
    涙が出るほど嬉しかったのを覚えている。

    そんなわけで、僕は9年半勤めた最初の職場を退職した。
    9月30日の雨が降る日だった。




    2回目のパニック障害


    役場を退職してからの数か月は、実家で過ごしていた。

    2022年に突入したころ、「そろそろ新しい仕事をしなければ」と、一念発起して就職先を探し、ある会社に応募した。
    ラッキーなことに、トントン拍子で採用が決まった。

    次の仕事は、空調設備の保守点検。
    公務員とはまったくの畑違いだが、空調は今や必需品だから仕事がなくなることはないだろうし、手に職をつけたいと思ったのだ。

    数か月後に再度パニック障害を発症するとは夢にも思わず、僕は新しい人生をスタートさせた。


    10月半ば、出張先での作業中に事は起きた。

    機械のチューブをはずし、点検作業の後にチューブを元通りに戻す。
    言葉だけ聞くとたったそれだけのことだが、これがなかなか戻せない。

    しかも、機械室の高い位置での作業。
    壊さないようにダクトの上を上り、不安定な体勢で作業をしなければならないのだ。
    慣れない作業に焦るばかりだが、チューブはなかなか戻せない。

    そして、時間も無限ではない。
    ほかの作業もあるので、チューブの取り付けごときに時間を取られるわけにはいかないのだ。
    10分、20分、30分、刻一刻と時間は過ぎていくが、チューブはなかなか戻せない。
    ついに、右手の親指と人差し指は、摩擦で皮がむけてしまった。

    上司にあれやこれやと怒られながらもなんとかチューブを戻し、細心の注意を払って下に降りる。
    汗だくで、息は絶え絶え、僕はすでに疲労困憊だった。
    上司がなにか話しているが、耳に入ってこない。
    異常なほど体が熱い。
    だんだん息が苦しくなっている。
    手や顔がピリピリしてきた。
    この感じ、そうだ、あのときと同じだ。
    トイレで倒れたあのときと。


    見かねた上司に「車で休んでなさい」と言われ、僕はフラフラな足取りで社用車に向かった。

    時間はまだ午前だ。
    この後もやることがたくさんあるのに。

    そう思えば思うほど、裏腹に体は動かなくなる。
    ハイエースの後部座席では、激しい呼吸音だけが聞こえていた。

    過呼吸になってしんどい。
    手足はしびれて動けない。
    全身はこわばって動けない。
    顔までしびれて声も出せない。

    ああ、パニック障害が再発したのだな。


    僕が車で倒れている間、上司は会社に連絡していたようだった。
    僕は会社に戻り、代わりに後輩が作業を引き継ぐことになった。
    上司の運転でバスターミナルに向かい、午後一番の便を予約した後、僕は上司に、「ご迷惑をおかけしてすみません」と謝った。

    すると上司は、

    「仕事にならないんだよね、こういうことになると」

    と言い放ち、一人現場へ戻っていった。

    冷たい秋風に追い出されるように、僕はバスに乗りこんだ。


    翌日、仕事を休み、精神科を受診した。
    当日予約ができたのはラッキーだったと思う。
    診断名は「パニック障害」と「適応障害」。
    やっぱりそうか。
    受診後、上司に連絡し今後のことについて相談すると、後日社長と面談することになった。

    社長との面談の日。
    上司から一通りの事情を聞いているのだろう、社長は複雑な表情をしている。
    僕はそんな社長に、以前の職場でも過呼吸発作を引き起こしたことを説明した。
    僕にパニック障害の経験があることを社長は知らなかった。
    そりゃそうだ。伝えていないもの。
    そんなことを面接時に知られたら、採用されないと思ったのだから。

    そして僕は、退職する旨を伝えた。
    2回目の退職だ。


    社長との面接後、家に帰り、母に電話をした。
    出張先でパニック障害が再発したこと、それが原因で退職を決めたこと、包み隠さず話した。

    不安でたまらない。
    涙が止まらない。
    この先、どうやって生きていけばいいかわからない。

    32歳の男が、咽び泣く。
    見知らぬ土地で親とはぐれた、幼い迷子のように。




    僕は僕として生きる


    2つ目の職場を退職してから半年以上が経ったが、現在は定職に就いていない。

    一応、フリーのWebライターとして活動しているが、自立できるだけの収入はなく、実質ニートみたいなものだ。

    ありがたいことに、両親は健在で、住む家もある。
    父は70代の今も働いているので、明日食べるものに困ることは、今のところない。

    しかし、この状況がいつまでも続くわけではない。
    両親とも健康体とは言い難く、いつ別れが来てもおかしくない状況だ。
    せめて、自分一人で生きていけるくらいは稼がなければ。

    少しでもいいから定収入を確保するため、アルバイトをしよう。
    何日も何日も就職サイトを巡った。
    接客はやりたくない、好き嫌いが多いから飲食店も厳しい、臭いに敏感だから介護や清掃もつらそう、現場作業はこりごり、まあなんと苦手の多いこと。
    加えて、パニック障害が再発するのではないかと、より臆病になっている節もあった。

    いろいろ調べ、僕でもできそうな仕事を見つけ、勇気を出して応募した。
    しかし、結果は不採用。
    正直、アルバイトの面接に落とされることはないだろうと高をくくっていた。
    それなのに、アルバイトを始めることすらできないなんて。
    たった一度の落選だが、僕の心を曇らせるには十分だった。


    僕の悪い癖で、嫌なことが起こると、それに呼応するように過去の嫌な出来事がフラッシュバックしてくる。
    そして、自己肯定感がそぎ落とされていく。

    僕は、ダメな人間だ。
    僕は、できそこないの人間だ。
    僕は、どうでもいい人間だ。

    この悪循環に陥り、人知れず涙を流したのは、一度や二度ではない。


    そんな「絶望」の中にいながらも、生きたいと願うのはなぜだろう?

    それは、僕のことを大切に思ってくれる人がいるからではないか。

    両親、兄弟、親戚、友達、行きつけのお店の人たち……数こそ多くはないが、かけがえのない存在ばかりだ。

    僕がいなくなれば、その人たちはきっと悲しむ。
    それは僕の望むところではない。
    だから、僕は僕として生きる。

    生きる理由にしては他人任せな気もするが、夢も目標も特にない現状では、これが一番近いのだろう。
    というか、生きる理由なんて、明確に持っている人のほうがめずらしいのではないか?
    そんなこと考えている暇があったら働け。
    何度でも応募しろ。
    何度でも落選しろ。
    何度でもあがけ。
    何度でも、何度でも。


    僕は僕自身を辞めることはできない。

    ならば、僕の心の闇までも抱えて、僕は僕として生き続けるしかない。

    その闇に、柔らかな光が降り注ぐ未来を信じて。


    #創作大賞2023 #エッセイ部門

     
     
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