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リコとあいす。【短編小説】

    「ねえ、今日は一緒にいてもいい?」

    リコは甘えた声で、僕の胸に顔を押しつけてきた。

    シャンプーの微かに甘い香りが、いつものように僕の理性を攻撃してくる。

    「急にどうしたんだよ。」

    「いいじゃん、別に。」

    リコはうれしい時に鼻の下を指でこする癖がある。たぶん本人は気づいていない。
    だから僕はそのことは絶対に誰にも言わない。
    もちろん本人にも。

    今も鼻の下をこすっていた。
    長いきれいな指先に目を奪われる。

    「ダメ?」

    「いいよ。」

    もちろんダメなことなどない。
    むしろ大歓迎だ。

    上目遣いで僕の顔を覗いてくる。
    反則だ。
    これを無意識でやってくるからタチが悪い。
    いや、本当はガッツリ狙っているのかもしれない。
    まあどちらでもよかった。

    「ユウトの家で本が読みたい。」

    こんな状況は、三か月前には全く想像していなかった。

    * * *

    三か月前。
    僕とリコは文芸サークルの新入生歓迎会に参加していた。

    文芸サークルというと、お堅い感じがするが、うちの大学の文芸サークルはかなり緩い感じの集まりだった。
    本好きなら誰でも歓迎。出会いを求めるのもアリ。
    実際、僕以外の新入生は友達同士がほとんどで、彼らの目的は、ほぼ後者のようだった。
    リコも友達のユアと二人で参加していた。

    出会い目的が悪いとは言わないけれど、
    少しくらいは本の話ができる奴もいるものだと思い込んでいた。だから僕は肩透かしを食らっていた。

    まあ結局は僕も、このサークルでリコと出会ったのだから偉そうなことは言えないけど。

    僕はこの歓迎会の空気に馴染めずにいた。
    少し居心地が悪い。

    場の空気が程よく温まってきたところで、新入生の自己紹介が始まった。

    みんな自分の学部と恋人の有無は必ず話すことになっていた。好きな本か作家も言うことになっていたが、誰も興味がなさそうだった。恋人の有無には、毎回しつこい確認が入っていた。

    残酷なもので、この確認が人気投票の役割を担っていた。

    「さすがにデリカシーに欠けるな。」

    声に出してしまった。
    誰かに聞かれていないか不安になってキョロキョロしてしまう。

    僕は目立ちたくなかったので、一番端の席に座っていた。それが裏目に出た。自己紹介の順番が一番最後になってしまった。

    「こいつら、ほんとバカだよね。」

    僕はびっくりした。さっきの僕のセリフが聞こえていたのだろうか。今のも周りに聞こえたら気まずいだろうに。

    「そう思わない?」

    彼女はやはり僕に向かって言っていたようだった。

    「え? あ、うん。」

    「じゃあ順番が来る前に行こう!」

    騒がしくて周りに僕らの会話は聞こえていないようだった。彼女が立ち上がった。

    「リコ、どこ行くの?」

    「トイレ。順番が来ちゃったらユアが私の分も自己紹介しといて。」

    「それは無理だって!」

    彼女はリコというらしい。リコはテーブルに置いてあったスマホを取る時に僕に少し近づいてさりげなくウインクしてきた。

    彼女の髪が揺れた時にシャンプーの甘い香りがした。
    僕の理性はその甘い香りに一瞬で破壊された。

    僕も立ち上がる。だけど誰も声をかけてくるヤツはいなかった。

    そのままリコを追いかけて店の外に出た。
    リコは振り向かずに言った。
    「近くにいると連れ戻されるから、もう少し歩こう。」

    「彼女、置いてきてよかったの?」

    「大丈夫。ユアはこれくらいじゃ怒らないよ。私に優しいの。」

    その時だった。
    彼女のスマホが振動する音が聞こえた。

    「ユアだ。出るね。」

    「あ、うん。ごめん、具合悪くてそのまま帰ることにした。ウソじゃないよ。違うって。今度アイス奢るから。本当!」

    リコは僕を見ながら大袈裟に両手を広げた。

    「ウソついちゃった。それにユア、すごく怒ってた。」

    リコは笑っていた。僕もつられて笑った。

    「怒らないんじゃなかったっけ?」

    「私に優しいのは本当。だから大丈夫。」

    リコはまた笑った。えくぼが妙に可愛かった。

    「ユアにアイス奢るって言っちゃった。買いに行こう。」

    「戻るの?」

    「そんなわけないじゃん。」

    「アイス、買っても溶けちゃうよ。」

    「それって溶けるまで帰してくれないってこと?」

    「そんなことは言ってない。」

    「言ってくれないんだ。」

    僕は何と返したらいいか分からなくなっていた。

    「ユアにアイスを奢ることになったのは、君のせいだよ。だからアイス奢って。」

    この人は一体何を考えているのだろう。
    もしかして、そうなのか?
    いや、そんなはずはない。
    こんな美人が僕のせいで新歓を抜け出したなんて。

    だけど少し確認してみたくなった。
    僕はおかしなテンションだったに違いない。

    「僕もアイスが食べたくなった。僕のを半分ならあげてもいいよ。」

    そんな気がなければドン引きだろう。どうだ?

    「やったあ! ありがとう。じゃあそこのコンビニで買おう。」

    手を引っ張られて、僕はコンビニに吸い込まれていった。また僅かに甘い香りがした。

    「どれにする?」

    「え、どうしよう。」

    僕の心拍数は急上昇していた。さっき手を掴まれた時にバレなかっただろうか。

    「これおいしいんだよね。だけどカップは食べづらいか。」

    「あ、こっちは新しい味だ。抹茶好きなんだよね。」

    僕は上の空だった。

    「どれか好きなのある?」

    僕は適当に手前にあったアイスの袋を掴んだ。

    「これかな。」

    「ふーん。そうなんだ。」

    リコが急につまらなそうな顔をした。
    僕が手に取ったのは、パキッと割って二人で分けられるタイプのアイスだった。

    コンビニを出て近くの公園に行った。
    街灯に照らされたベンチに並んで座った。

    「これ。」

    僕はアイスを袋ごと渡した。

    「ありがとう。」

    リコはそう言うと中のアイスを半分に分けた。
    片方を僕に渡してきた。

    「食べよう。」

    「うん。」

    僕はアイスの口を開けて吸った。
    コーヒー味だった。

    リコを見るとアイスはまだそのままだった。

    「食べないの?」

    「食べるよ。」

    リコは僕の手にあったアイスを取り上げて、
    口をつけて吸っていた。

    僕はリコの唇に釘付けになっていた。

    「見すぎ。」

    リコは僕の手に、さっきまで吸っていたアイスを戻した。

    「イヤだった?」

    「そんなはずないだろ。」

    口をつけた。
    アイスの味は全く感じなかった。

    リコの視線を感じる。
    僕は一気にアイスを吸い出した。

    「頭痛い!」

    リコは隣でキャハキャハ言いながら笑い転げていた。

    「見すぎなんだよ。」

    「お返しだもん。」

    僕も笑った。
    さっきまでの心臓の高まりはすっかり収まっていた。

    「ところでさ、」

    「何?」

    「君、名前なんて言うの?」

    「今さら?」

    「自己紹介、お互いまだだったじゃん。」

    「ユウト。」

    「いい名前。私好み。私はリコ。」

    「知ってた。」

    「はい、これ。」

    リコは残りのアイスを渡してきた。

    「イッキ、イッキ。」

    「本気か? 僕に何のメリットもないよ。」

    「じゃあできたらこっちもあげる。」

    リコは唇を尖らせた。

    僕の心臓がまたうるさくなる。

    僕は勢いよくアイスを吸った。

    「いってえ。」

    目をつむって両手でこめかみをおさえた。

    「チュッ」

    唇に柔らかくて暖かい感触があった。
    目を開けた時には何もなかった。

    「どうしたの?」

    リコの耳が真っ赤だった。
    僕は仕返しした。

    「リコ、ご褒美は?」

    「ユウトのいじわる。」

    今度は間違いなくリコの唇が僕の唇と重なっていた。

    リコは離れると、鼻の下を指でこすっていた。
    リコの耳はまだ赤かった。

    * * *

    リコは僕の家のソファーに転がっていた。
    キャミソールに短パン姿で正直、目のやり場に困る。

    僕は積み上がった未読の本たちを少しずつ消化している最中だった。

    リコが裸足の足で僕の背中を突いてきた。

    「ユウト、それ面白い?」

    「面白いよ。ところでさ、」

    「何?」

    「リコは僕のどこがいいんだ?」

    「うーん、そうだな。普通なとこ?」

    「何だよ、それ。」

    少しがっかりした。普通なやつだったら誰でもいいと言っているように聞こえた。

    「ユウトは私のどこがいいの?」

    「普通じゃないところ。」

    「私、普通だもん!」

    「そういうところだよ。やっぱり好き。」

    リコはまた足で僕の背中を突いてきた。頬を膨らませて怒っているアピールしている。

    指でリコの膨らんだ頬をつまんだ。
    「ぷひっ」
    変な音がした。

    「今、何読んでるの?」

    「推理小説。」

    「じゃあ私が今どんな気持ちか推理して。難しいよ。」

    そう言って指で鼻の下をこすっていた。

    「簡単だよ。嬉しいと思ってる。」

    「残念でした。正解はすごく嬉しいでした。」

    「正解じゃんか。」

    僕の抗議は軽く流された。

    「私、彼氏の家のソファーでくつろぎながら、構ってくれない彼氏の背中を足で突くのが夢だったんだよね。」

    僕は声に出して笑っていた。

    「僕も彼女に足で背中を突かれるのが夢だったんだ。」

    リコは少し照れているようだった。

    「ユウト、私、三か月前に一目惚れしたの。結構勇気出したんだよ。一目惚れなんて、人生で初めてだった。」

    「一目惚れ?」

    「うん、実は新歓に行く電車で最初にユウトを見かけたの。」

    「そうだったの?」

    「電車に乗る時にベビーカーの人を手伝ってたでしょ。」

    「そうだっけ?」

    「あと駅を出てすぐの信号で、おじいさんが横断歩道を渡ってた時のユウトも見てた。」

    「僕、何かしたっけ?」

    「何もしてないよ。おじいさんが渡りきる前に信号が点滅し始めたから、ユウトもわざとゆっくり歩いてたでしょ。あれって渡りきれなかったら助けるつもりだったんじゃない?」

    「どうだろう。そうかもしれないけど覚えてないや。」

    「やっぱりね。」

    リコは鼻の下をこすっていた。

    「それで、あの人優しいな、よく見てるな、って気になってたら、同じサークルの人だったからすごくびっくりした。」

    「僕は見られてたなんて全く気づかなかった。こんな美人に見られてたら、すぐに気づきそうなんだけどな。」

    リコはなぜか僕の頬をつまんできた。
    照れ隠しなのかもしれない。

    「新歓のあの自己紹介の雰囲気もすごくイヤだったから、この人も同じだとわかって勇気を出したの。私、頑張った。」

    「リコの気持ちが聞けて、嬉しいよ。」

    僕も無意識に鼻の下をこすっていた。

    僕はリコを抱き寄せた。
    カーテンの隙間から街灯の灯りが見えた。

    僕は公園のベンチでの出来事をまた思い出していた。

    了


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