
いなりちょうのおばさんのはなし
稲荷町に住んでいたおばさんは、ひいおじいさんの姪っこでした。たまに東京に用があって出てくると、おばさんの顔を見にきたそうです。
稲荷町は上野と浅草の間にあって、どちらにも歩いて行ける便利な場所ですけど、大正時代には寺だらけの、のどかな町だったそうです。
大正12年9月1日に、関東大震災が起きました。地震で家は壊れ、近くで火事が起き、おばさんの家族は着の身着のままで逃げました。どこへ逃げたらいいのか分からなかったけれど、みんなが上野の方へ向かってるので、ついていきました。
上野の山へ辿り着いてみたら、自分たちと同じように逃げてきた人で一杯でした。とりあえず、家族みんなで固まって座れる場所を見つけました。
余震もあったし、食べ物はないし、心細い気持ちで3日が過ぎました。とりあえず命は助かったけど、家があった辺りは全部焼けちゃったという話が広まって、これからどうしようと途方に暮れていました。
どこか遠くから、自分の名前を呼んでいる声が聞こえてきました。こんなところで誰だろうと思って、声がする方を見てみたら、ひいおじいちゃんの家の小僧さんたちでした。彼らは大八車に着るものや食べ物を積んで、おばさんを探しに来てくれたんです。
ひいおじいちゃんの家は栃木にあって、そこからは20里(80km)もあるのに!
おばさんの家があったあたりは、家が全部なくなっちゃってて、上野の巡査さんから、あの辺の人は山に避難したと聞いたんで、探しに来たというんです。生きててよかったと笑顔で言われました。
いなりちょうのおばさんは、この恩を一生忘れませんでした。