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Dear Newヒノエウマ2026/Sincerely yours,1966vintage

    親愛なる2026年生まれのあなた、誕生おめでとう。
    ようこそ、この世へ、この日本へ。
    あなたが生まれた今年は、60年に1度のヒノエウマの年。
    私もね、あなたと同じヒノエウマなの。
    愛らしくてまんまるかわいいあなた。
    私はというと、髪はずいぶん白くなって、ハリを失ったお肌は、シワッシワのタルンタルン。おまけに最近、膝まで笑うの。フフフ、可笑しいでしょ。
    だって、あなたと同じヒノエウマって言っても、私が生まれたのは1966年だもの。
    あれから60年の歳月が流れたんだから、無理もないわね。
    渋々ながらも、老いを一手に引き受ける今日この頃よ。
    でもね、私の心の中を覗いてみて。そう、生まれたてのあなたと同じ。
    なぜなぜ、なあに?って、好奇心が渦巻いているわ。
    だから今日は特別に、60年分の記憶の断片をあなたに話そうと思うの。
    いつか、あなたが大きくなって、この手紙を読んでくれることを願いながら。
    といっても、なーんてことのない、話だけどね。
    でも、これは1966年ヴィンテージのヒノエウマの私から、心を込めたラブレターよ。

    まずは、あなたが生まれる前の、あの街がどんなだったか話すわね。

    昭和の商店街
    昭和40年代、私がまだ年齢一桁、人生の機微の『き』もわからない、純真無垢な子どもの頃の話。
    当時、毎日のように母とその日の食材を買いに市場(いちば)に行った。
    駅から東西へ延びる商店街を西へ突き進むと、南北に延びる商店街にぶつかる。この2つが大きな商店街。さらに、この2つから枝分かれして幾つかの商店街があった。
    ある日の買い物の様子を再現してみましょう。
    母『市場(いちば)行くよ』と言って鏡台でお白いと紅を差す。
    (ファンデーションやリップスティックのような呼び名ではまだなかったと思う。)
    私『うん!』
    玄関で靴を履く。流石に下駄でもなければ、着物も着ていない。洋服だ。
    レジ袋なんてない時代である。
    エコバッグなんて呼び名もない。
    布で作られた買い物袋だ。
    母は、籐か竹で編まれた買い物籠を提げていた。
    家を出て、少し行ったところにお米屋さん。注文しておくと精米して後で配達してくれる。
    そして、酒屋さんへ。父の晩酌の一升瓶の日本酒とビールを1ケース。うちはキリンの大瓶だった。缶ビールはまだ普及していなかった。これも後で配達してくれる。
    さあ、次はお肉屋さんへ。
    私が毎日母と市場(いちば)に行くのにはお目当てがあった。
    ここのお肉屋さんのショーケースの上に、箸立の箸のように立たされているポールウインナー。当時のポールウインナーの端っこは金具で、金具の下を歯で噛んで、手にしたポールウインナーをクルクル回す。すると、プチッと破けて、外装を剥がすことができた。
    時にはこれを買ってもらって、食べながら歩く。
    次に行くのは、枝分かれした商店街にある玉子屋さん。店にはおばちゃんが3、4人居た。
    『玉子10コちょうだい』
    注文すると、店のおばちゃんは、
    厚く盛られた籾殻に鎮座する玉子を、天井から何本もぶら下がった裸電球の1つに照らして、ヒビが入ってないか確認。恐らくその頃は有精卵も普通に売られてたから、もしかして、ヒヨコがいないかも確認していたのかもしれない。裸電球に照らしてわかるのかは知らないけれど。
    そして、大丈夫と判断された玉子は、裸電球のぶら下がった明るい店頭の後ろ、店中央の少し仄暗い作業台で新聞紙に包まれる。受け取った母は広い口の籠の一番上に置く。
    これで、米屋と酒屋と、肉屋と玉子屋に行った。
    さて、ここで問題。今晩のご飯は何でしょう。
    ピンポン♪そっ、すき焼!
    さて、次に向かうは味噌屋さん。
    味噌がそろそろ切れる頃。小さな店に朱塗りの樽に入った味噌が並んでいる。樽の味噌はどれもてんこ盛り、てっぺん高く、正に『山』の字のごとく悠然と並んでた。種類は赤、白、合わせ、いなか、他には、米、麦、大豆を原料にした、各地の味噌が並んでいた。
    うちの味噌汁はいなか味噌。鰤の味噌漬けをする時はどの味噌だったかしら。
    さて、味噌屋を後に次は豆腐屋へ。1畳ほどのステンレスの四角い中に、木綿、絹ごしが水に浸かって買われるのを待っている。でも、今日のお目当ては焼き豆腐。横には、がんもどき、薄揚げ、厚揚げも並んでいる。糸蒟蒻に板蒟蒻も豆腐屋さんにあったかなあ。ちょっと定かでない。ただ、お豆腐屋さんのおばちゃんの手が白くてとてもきれいだったのは覚えている。
    最後は八百屋だ。当時はどんな野菜も丸ごと買う。小さい大きいはあっても、スーパーのように1/4の白菜やキャベツはない。
    白ネギも長いまま1本。野菜を買うと買い物袋がずっしり重くなる。だから最後に行くのが八百屋さん。
    私も手伝って、重たい買い物袋を持った。そうして少し進んだところに、出店でやって来るメザシ屋さんが。練炭か、炭火で七輪の上の網でメザシを焼いている。
    『お嬢ちゃん、メザシあげよ。熱いで。』
    前を行く母が振り返った時には、私はすでに熱々のメザシを頭からかぶりついている。母は仕方なく、明日の朝ごはん用にメザシを1串買う羽目になるのであった。
    さて、ここまでに登場したすべてのお店が、お勘定は頭で計算するか、ソロバンをはじいた。
    店『おおきに。350円ね』
    母『ちょうどないわ。はい400円』
    母から400円を受け取ったお店の人は、店の天井からぶら下がるザルに400円を入れ、そこからお釣りの50円を取り出し、渡してくれる。たいがいのお店が『天井からザル式』だった。出店のメザシ屋さんはというと、前掛けのポケットがザルの代わりだった。
    現金払いオンリーの時代。主に小銭を扱うにはこの方式が何とも便利だ。
    帰り道、近所のおばちゃんに
    『また、お母さんの後、金魚のフンみたいに引っ付いて』とよく言われたものだ。
    スーパーの進出とともに、1店また1店と店を閉め、市場(いちば)と銘打っていた商店街は、今となってはあの頃の賑やかな面影はない。
    しかし、少なくとも私の脳裏には、一家の台所を切り盛りしていた若かりし母の記憶と共に、懐かしい思い出として色褪せることなく張り付いている。
    あなたにも、そんな記憶がひとつでもできることを願っている。
    今夜のごはんはすき焼きにしようかな、それともメザシを頭からかぶりましょうか。

    さて、次はとっておきの、私のそばにある、小さな幸せの話をしましょう。

    私の特等席
    都会の夜は、星が数えるほどしか見えない。でも、見えなくても空には無数の星が瞬いている。
    小さい頃、自分の住む地の空しか知らなかった私は、都会の喧騒を離れ、自然豊かな山里で過ごす夏休みを楽しみにしていた。そこでは見上げるだけで空いっぱいの星が燦々と輝いていた。
    『うわーっ!きれい…』
    嬉しくて、満たされて、夜の空に包まれる不思議な感覚。手を伸ばせば星に届きそう。でも、実際には何光年と離れていて、決して自分の手で掴むことはできない。
    そんな視界いっぱいの星たちが、特別に私にだけ、その存在を見せてくれてるような気さえした。そんな幸せなひと時を、大人になった私がふと、思い出す瞬間がある。
    それは、時間のある休日にしか行けない山でも海でもない。なんと、私の家の中にある。
    リビングへ続く廊下から窓の外をふと見た時、あの時の感覚に似た幸せが甦る。
    それは、バルコニーに面したリビングの窓いっぱいに、広場を隔てたお寺の大きな楠木の、青々とした緑が迫って来る瞬間。そして、視界いっぱいに広がり、爽やかな幸せをもたらしてくれる。
    もっと近くで感じたいと、星に手を伸ばした時のように、思わず窓に近寄ってしまう。
    遠くにあるモノは小さく見えて、近寄るとだんだん大きくクリアに見えるはずだが、窓枠を通して見る楠木は、近寄ると窓枠の中でだんだん小さくなっていく。不思議な気がするのだが、なんて事はない。カメラのズームレンズと同じ原理で、遠くから望遠で撮ると背景が大きく写るのと同じことだ。
    でも、近づいたら逃げていくような感覚は、手を伸ばすと届きそう、でも決して届かない、あの時の夜空の星と同じに思えるのだ。
    思い直し、もう一度廊下に立って
    窓を見る。
    そう、ここだ!
    私のためだけに楠木がスクっと立ってクスッと笑って爽やかな朝を迎えさせてくれる。
    ここは私の特等席。誰にも譲らない。邪魔されない。ここからの眺めは最高。
    今日も気分上々。
    ありがとう。
    あなたにも、いつかそんな特等席が見つかるといい。山でも海でもない、もっと身近なところに。

    次はね、あなたに聞いてもらいたくて。あなたを産んでくれたママにも。
    そして、そして、私と同じ1966年生まれのヒノエウマ女性にも届けたいの。祝福のエールをね。

    ヒノエウマの夏

    梅雨の晴れ間に夕焼け空がキレイな季節になりました。
    今どきの梅雨は異常気象も手伝って、河川の氾濫に土砂崩れが心配。
    どうか、自然が無理なく雨を蓄え、穀物や山の実り、そして我々人間含む生物にも恩恵の雨となりますように。
    50年前はと言うと、小学校の帰り道、長靴に傘をさし、シトシト降る雨の中、紫陽花の葉っぱの上に、小さい赤ちゃんカタツムリを見つけて喜んだり、草むらではアマガエルを捕まえたり、中核都市の街中でも普通にあった光景だ。長靴を履いているのをいいことに、片っ端から水溜りに入っては『濡れてませーん』とふざけ合って笑った。
    子供の目には、今も昔も雨の日も、楽しいことしか目に入ってこないことだけは確かだ。
    2026年、元号令和8年の干支は丙午(ヒノエウマ)。
    丙午(ヒノエウマ)ってどんな年?
    丙午は、干支(十干十二支)の組み合わせのひとつ。
    60年に一度巡ってくる年。
    「丙」は火の兄(ひのえ)、
    「午」も火の性質を持つ午(うま)。
    火が重なる年で、エネルギーが強く、変化や革新が起きやすいと言われている。
    ということは、暑い夏こそ丙午の本領発揮?
    今の若い子達は、そもそも干支なんて気に留めないかもしれないけど、少なくとも私と同じ昭和41年生まれは、幼少期から事あるごとにヒノエウマを意識してきたと思う。
    女性は特に。
    この世に生まれた時、周りの大人は昭和、大正、明治の人達だから、干支は何?という質問も日常的にあった。
    大人に『干支は?』と聞かれ、
    『ウマです』と答える。すると、
    『ヒノエウマか!お嫁に行かれへんでー』
    現代では、ハラスメント、そう、ヒノエウマハラスメントだ。
    二十歳頃まで幾度となく遭遇したヒノエウマハラスメント。
    何でも、江戸時代から続く迷信で、ヒノエウマの女は気性が荒く、男を食い殺すらしい。
    人喰いだって。
    とんでもない迷信だ。この迷信のせいで我々昭和41年生まれは極端に少ない。出生率は前年比25%減。
    私は、高度経済成長期の工業、商業、下町がコンパクトに詰まった中核都市で生まれ育ったが、クラスの数も、1クラスの人数も、他の学年より少なかった。そのせいか、ゆとり世代のように競争心があまりないように思うのは私だけだろうか。
    受験や就職活動も、競争が少なく有利と言われたが、実際苦労した私はただ単に出来が悪かったのだろう。
    社会人になった頃、私達世代は新人類と呼ばれた。人類に新が付いて、おまけにヒノエウマ。
    希少な存在のように聞こえるが、そんな昭和のヒノエウマも今年で還暦。ずいぶん古くなったものだ。
    私は2026年が来るのをずっと待っていた。
    待っていた理由は3つある。
    1つは、出生数が気がかりだった。
    だが、この心配はもう不要だ。
    60年前と比べて晩婚化し、すでに少子高齢化した日本で、ヒノエウマを理由に出産時期を計画するなんて現実的ではない。とはいえ、江戸の迷信を耳にして、不安になっているママがいたら、どうか安心してほしい。
    古くなったけど、ホンモノのヒノエウマが言うから信じて。
    『男を喰い殺してませんからー!』
    2つ目は、どんな時代になっているかこの目で確認したかった。
    結論からいうと、時代は変わったな、と思う。
    60年前は、ほとんどのお母さんは会社勤めをしていなかった。
    なぜなら、学校を出て会社に就職しても、結婚すると寿退社していた。現在と比較して、女性蔑視だ、不公平だと言うなかれ。高度経済成長期のこの時代は、多くの世帯が農林漁業などの自営業から重工業、製造業へ正社員として雇用される形へと変わった。
    現場は長時間労働や交代勤務が前提だったので、男性中心の職場として設計されていた。
    実際に級友のお父さんの中には材木屋さんを廃業したり、工場で夜勤勤めをしたり、単身赴任だったりした。
    『お父さんは仕事』『お母さんは家のことをする』が1セットで高度経済成長を築いた。これが、この時代の働き方であり、女性の多数がそうだったというだけ。
    男女雇用機会均等法ができたのは、私が社会に出た時だ。その頃も寿退社は普通だったし、結婚してからも勤続する人は妊娠すると退職することがほとんどだった。
    社会情勢によって法律やルールは変わるが、明らかに目に見える形で世の中が変化するにはそれだけ時間がかかる。今はその過渡期かもしれない。男性にも女性にも育児休暇ができ、家事を夫婦で分担するのも当たり前になった。
    『お父さんもお母さんも仕事』『お父さんもお母さんも家のことをする』。これまでの社会を見てきた私には、それがいいかどうかはわからない。ただ、『お父さんとお母さん』で1セット。仲良しが1番だと思う。
    あなたに言いたい。ヒノエウマハラスメントはもうなくなったも同然。
    だから、ヒノエウマ本来の熱いエネルギーとパワーで、この混沌とした世の中を、未来が楽しみな世の中になるように形作って行ってほしい。
    最後3つ目は、
    私と一緒の昭和41年生まれの女子達!男を喰うとか、気性が荒いとか、結婚できないとか、自惚れたくともいい風に言われてこなかったけど、無事、60才に成ったね。あなたの還暦、私にもお祝いさせて。
    おめでとう。そして、これからも頑張って生きて行こうね!
    今年は我々ヒノエウマの年だよー!後半も突っ走ろう!

    ふーっ。何だか熱く語ってしまったわね。クールダウンしたところで、最後のお話をしましょうね。

    困った時の八百万の神々
    神様にお願い事。
    誰でも一度はあるのでは?
    私もモチロン。
    これまで、いろんな場面で神様にお願いをしてきました。
    子供の時は、
    『お金持ちになりますように!』
    七夕の短冊には、いつもそう書いていたような。
    大人になってからも
    『宝くじが当たりますように!』
    労せず、棚から牡丹餅狙い。
    思春期にはこんなのもありました。
    『明日の身体測定までに、
    どうか体重が減ってますように!』
    晩ご飯のおかわりを、前夜だけ我慢して、あとは神様にお願いする。
    お腹を下したときは、
    『もう二度とアイスクリーム2個食べませんから、お腹痛いの治して』
    このお願いは、大人になっても言ってます。喉元過ぎれば何チャラですね。
    他には家族の病気を案じ、大好きなビール断ちを願掛けして、全快をお願いすることもありました。
    この場合、深刻にして真剣なお願い。神社に仏様にご先祖様に、
    必死にお願いしました。
    それでは、危機一髪、生命が危険に晒された時は、どの神様にお願いするのか。
    私の場合、危うく車に轢かれそうというヒヤリハットの後、咄嗟に十字を切っていました。
    なぜ?
    クリスチャンではないのに…
    不思議です。
    それにしても、私は一体、どの神様を信じているの?
    神社に行くし、仏様も拝むし、十字は切るし。
    自分の都合でアレコレ拝んでどーゆーつもり?
    優柔不断?
    浮気者?
    無宗教の無神論者?
    いえいえ、そうではありません。
    私の中には確かに神がいます。
    じゃあ、その神は何神様?
    この疑問、最近になって、ようやく解けた気がしています。
    なぜ、長年解けなかったのか。
    それは、あまりにも自分の中に自然に神様が溶け込んでたから、気づかなかったのだと。
    日本には古代から八百万の神がおわします。
    古事記では、一体、何柱の神様が登場するでしょう。たくさんすぎて、
    数えたことがありません。神々は神社で祀られていますが、病気が治る神様や学問の神様、台所の神様、戦いの神様、芸事の神様等々、その土地に纏わる神々の由来が、御利益となって祀られています。
    神様それぞれに違った役割を持っていらっしゃる。
    仏教が高僧、空海と最澄により本格化した時も、神道か仏教、どちらか一方を切り捨てることなく、神仏習合として根付きました。奈良時代、8世紀ごろの話です。それから1千年後の明治初年の1868年、神仏分離令が出されます。
    そして、どうなったか?
    神社から仏教要素は取り除かれたというものの、仏様が日本からいなくなったわけではありません。
    これも、神道とは被らない仏様ならではの役割があったからでしょう。
    さて、神社ができる前の原始的な祭祀形態は、神が降臨する神聖な場として、巨岩や奇岩を祀る磐座信仰がありました。
    奈良の大神神社は三輪山が御神体です。
    先日の夏至点に私は太陽に感謝の気持ちを伝え手を合わせました。これも原始的な形態のひとつです。
    御神体として注連縄がなされてなくとも、海、山、川、森、雨、風などの自然に神々しさを感じるのは、災害の多いこの日本に生まれ育ったからかもしれません。
    古代から大きな災害があると、命も家も、道具も何もかも破壊される。そんな経験から、日常のあらゆるものに敬意を払い、大切にする心が今日まで育まれてきたのだと、改めて思います。
    私自身の古い記憶としては、3歳頃でしょうか。まだ、神という概念がなかったと思いますが、あらゆるものに『心』があるように思っていました。言い換えると、当時は知らなかった言葉、『魂』です。
    ぬいぐるみのコロちゃんに話しかけ、外に行くと虫や鳥に話しかける。
    そういえば、恥ずかしい記憶で、小学校の何年生だったでしょう。理科の時間に、光合成だったと思います。
    『光合成についてわかる人〜!』
    はーい、はーい。
    当てられた私は、
    『葉っぱは明るくて暖かいお日様のの方を向きたいから、一生懸命がんばってると思います。』
    みたいな内容を言ったと思います。先生の目が点になったのは覚えていて、これを機に理数に力を入れ出した記憶があります。
    小さい頃から、夏祭りと初詣と十日戎には神社に行き、盆踊りではお地蔵さんに手を合わせる、祖父母の墓参りに行く。
    クリスマスはケンタッキーを食べてケーキを食べる。
    そのケーキは仏壇にも供えられる。
    勤務先では神棚に榊と塩と酒を供え毎朝拝み、旅行先では神社仏閣を巡る。親族の命日には般若心経を唱え、たまに写経もする。
    これらすべて生活に溶け込んでいます。
    そして、神々はそれぞれ違った役割だからこそ、他の神に寛容なのかもしれません。また、寛容であると同時に、神々皆の役割が全部揃って和、一つになるということではないでしょうか。
    聖徳太子が約1400年前の604年に制定した17条憲法第一条、
    『和をもって貴しとなす』
    意味は、何事も皆が調和し、対立を避けつつ、互いに納得するまで議論し合うことを最も大切とする。この精神性、道徳感に神々の大いなる役割も、私たち人間の目指すものも現れてるのではないでしょうか。
    あなたに覚えててほしいの。
    日本には寛容な八百万の神がいる。
    あなたが困った時、どうかあまり一人で抱え込まないでほしい。空を見上げれば、きっと何かが応えてくれる。
    あら、もうすっかり夜が更けたわね。お腹がすいたわ。こんな時間だしホットミルクにしようかしら、それともポタージュスープ…うーん、
    『どれにしようかな、天の神様の言うとおり。鉄砲打ってドン。大砲打ってドン。もひとつおまけにドンドコドン。』
    ポタージュスープに決定!
    あなたは、とっくにスヤスヤ寝息を立てているわね。寝る子は育つ。いい夢見てね。おやすみなさい。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    昭和生まれの丙午(ひのえうま)です。 還暦の年に筆を持ちました。 善と悪、➕と➖、喜と悲、 対立するのではなく、万物の理を現す。いかにバランスよく存在するか…そんなことが、ようやくわかりかけてきた私が、 昭和の話や日常のあれこれを心情を交えて書き綴りたいと思います。

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