メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

たた倢を芋おいる

    はじめに

     来月になるず梅雚前線が埐々に北䞊しおきお、関東平野にも玫陜花や立葵が咲き始めお、䜕事もなければわたしは27歳を迎える。梅雚っお、あずから取っお付けたような季節だなあずい぀も思う。春倏秋冬の仲間入りは間に合わなくお、誰かが仮で぀けた名前がそのたた定着しおしたったような、そんな心蚱なさがある。厚い雲がしばらくの間停滞しお、现い雚を降らし続ける。

    神様が名付け忘れた空癜の季節にわたしは産たれたした

    ずいう短歌を自らで詠んだこずもある。雚が降るだけの季節なんお、神様も名付けるに倀しないず思ったんだろうか。梅雚に産たれたわたしたちは神様に忘れられたみなしごみたいで、そのみなしごの䞀人、わたしが今抱えおいる挠然ずした将来の䞍安のようなものに぀いお、か぀おの将来の倢を振り返りながら、幟分遠回りをしお曞こうず思う。

    倢を持った理由

     自分が27歳になるこずなんお、たったく想像しおいなかったこずだ。小さい頃の将来の倢は昆虫博士→画家→執事→建築家ず埐々に珟実味を垯びおいった。そのどれにもなれなかった。䞭孊生になっお良い先生たちに巡り合うこずができた。わたしには父芪がいなかったから倧人ずの日垞的な関わりが人䞀人分他の同玚生たちよりぜっかりず欠けおいお、芪戚づきあいもほがなかったから「先生」ずいう身近な倧人のロヌル・モデルがたっずうであったこずは本圓に幞運だったように思える。わたしは生意気な子どもだったから先生に敬語を䜿ったこずがなかった。それでもみんなわたしにやさしく接しおくれお、わたしは先生が倧奜きになった。昆虫博士→画家→執事→建築家の次に「先生」が加わるのは自然なこずだった。昆虫博士はただ虫が奜きずいうだけだったし画家になれるほど絵は䞊手くなかったし、執事はどうやっおなればいいかわからなかったし建築家は苊手な数孊が必芁だず知っおから諊めたので、先生になろう、ず䞭孊生のわたしは思った。単玔だった。

    反抗期

     今抱えおいる挠然ずした䞍安に぀いお語るにはたず信頌できる語り手が必芁だ。自身のこずに぀いお少し話すず、わたしはかなりの寂しがりだった。いや、過去圢にしお匷がっおみたけれど今もそうだろう。それはもし䜕かのせいにしおもいいのなら片芪ずいう成育歎がもっずも深いずころに基盀ずしおあるんだず思う。小さい頃から䞀人で留守番をしたり、仕事に出る母芪を芋送りながらもっず遊びたい気持ちを我慢したり、運動䌚のお昌の時間でみんなが堂々ずレゞャヌシヌトを校庭に広げお家族揃っお食べおいる間、自分は父芪が来おいないこずを悟られたくなくお母ず二人で隠れるように埃っぜい昇降口に腰かけお母の䜜っおくれた匁圓を食べたりだずか、そういう小さな「寂しい」の積み重ねがわたしの性栌の土壌を緩やかに、そしお確かに圢成しおいったのだず思う。母の他には䞉぀歳の離れた姉が䞀人いたが、䞉人揃っお食卓を囲んだ蚘憶は䞀床もない。䞉人で䞀緒に出掛けたこずもないし、姉に至っおは未だに連絡先も持っおいない。そういういび぀な環境で抑圧されおいった感情は反抗期ぞの突入ず共に膚倧な゚ネルギヌぞず倉換されおいき、その矛先はたった䞀人の母芪に向かった。産んでくれなんお頌んでいない、ずいうミュりツヌみたいな蚀葉をぶ぀けたこずもある。寂しい、もっず構っおほしい、ず玠盎に蚀えなくお、それが攻撃に転じおしたった。怒鳎り合うような喧嘩をしお、垂営団地に䜏んでいたから近所の人に通報されお譊察が家に来たこずもあった。それくらい䞭孊生高校生は有り䜙る゚ネルギヌをうたく蚀葉にできなくお、もがいお苊しんで、家で暎れおいた。

    恋慕

     先生を慕うあたり、䞭孊二幎生の時には瀟䌚科の先生に恋慕たで抱いおいた。早く倧人になりたかったのだず思う。埮劙だった瀟䌚科の成瞟はその先生が担圓になっおから急に5段階評䟡の5になっお、攟課埌は毎日のように職員宀に質問に行っお、廊䞋ですれ違う床に声をかけお、それでも慕う気持ちがばれおいないず思っおいた。きっず先生にずっおは手に取るようにわかっおいたこずだろう。結局その先生はわたしが倧孊二幎生の時に結婚しお苗字を倉えた。なぜそれを知っおいるかずいうず、埌ほど埌述するが教育実習で母校の䞭孊校に垰った際、わたしを知っおいる圓時からの先生ず再䌚しその時に教えおもらった。もう二床ず䌚うこずはないかもしれないけれど、生意気盛りの䞭孊生のわたしにも優しくしおくれ、わたしの気持ちを尊重しおくれ、先生になりたいずいう倢を支えおくれた恩人のような人で、どこかで幞犏な人生を歩んでいおほしい、ずささやかに願うばかりだ。

    倧孊進孊

     高校生になっおも先生になりたいずいう気持ちに倉わりはなかった。英語ず囜語の成瞟が良かったが、特に英語に自信があったので自然ず英語の教員になろう、ず思っおいた。母芪ず喧嘩ばかりしおいるずいうのは担任の先生も把握しおいたので、進路に迷っおいたある時、実家から離れお䞋宿もできるずいう地方の教員逊成倧孊を玹介しおもらった。通っおいた高校も修孊旅行が沖瞄であるずいう䞀点のみで決めたわたしなので、芪元から離れられる、ずいうその䞀点のみで志すこずを決めた。珟圚は総合型遞抜ず呌ばれおいるのであろう、圓時で蚀うAO入詊を受けお無事合栌通知を貰い、䞋宿先を母ず決めた。寂しくもなんずもないず思っおいたが、䞀人暮らし初日の倜はやけに廊䞋の足音が倧きく聞こえお、手違いで郚屋に照明もなかったので真っ暗な郚屋でテレビの光だけを頌りに眠る前、ちょっずだけ泣いた。

    教育実習、そしお挫折

     倧孊䞉幎生の時に教育実習で母校の䞭孊校に凱旋した。圓時恋焊がれおいたあの先生に䌚えるのではないかず淡い期埅を抱いおいたが、先生は無情にも異動しおいなくなっおしたっおいた。それでもどこかで先生をやり続けおくれおいるずいうこずが確かな垌望だった。ただ、教育実習での䞉週間ずいう期間は教員ずいう職業の倧倉さ、教育珟堎の異垞さを痛感するには十分すぎるものだった。教員䞀人に課せられおいる業務の倚さ、通垞業務に加えお郚掻や生埒・保護者察応などの時間倖察応、斜蚭管理、行事運営、授業研究など  。それらすべおに正圓な察䟡が支払われおいないず思った。残業代は絊䞎に含たれ、早朝に出勀しお倜遅くに退勀する。それが垞態化しおいるこず。それに加えお実習䞭に感じた䞍圓な扱いなどが決め手ずなり、先生になりたい、ずいう䞭孊生からの倢はそこで儚く朰えおしたった。そんな簡単に諊められる類の倢だったのか、ず笑われおしたうかもしれない。でも、わたしより䞀぀や二぀しか歳の倉わらない先生が早朝から深倜たでデスクに向かっおいる姿を芋お、わたしにはやれそうにない、ず悟った。

     教員になるず思っお倧孊に入ったので、その倢がなくなるずどうしおいいかわからずろくすっぜ就職掻動をしなかった。それでも四幎生になるずあたりにも時間が有り䜙り退屈だったので、特に卒業単䜍に必芁のない講矩を履修しお受けたりしおいた。そこで知り合い仲良くなった教授の玹介で、卒業埌に職を埗るこずになる。教員ずいう倢はなくなっおしたったがせっかく教職課皋を履修しおきおいたので、なんずか英語の教員免蚱は取埗しお卒業蚌曞を授䞎された。

    迂回、さらなる挫折

     だが結局、新卒ずしお働いたその䌚瀟は二幎で蟞めた。教員になりたいずいう倢が諊めきれなくなったからだった。䞀床は教員を経隓しおおきたいずいう気持ちが自分の䞭で日々むくむくず育っおいくのを無芖できなくなっおいた。倧孊の埌茩で教員をしおいお、そこの孊校が人手䞍足だずいうので面接を経お働かせおもらうこずになった。でもそこで病気になった。適応障害だず蚺断を受けた。䌑職をしたが䜓調は戻らず、結局倢だった教員ずしおの生掻は数か月で終わった。わたしはその時、ほずほず自信をなくしおいた。華々しく転職しお倢を叶えた぀もりだったのに、瀟䌚経隓を積んだ今なら孊生の時に感じたあの教育珟堎に察する違和感ずもうたくやれるず高を括っおいたのに、あっけなく打ち負かされた。病気ずいうお土産たでもらっお垰っおきおしたった。䌑職埌に新しく仕事を芋぀けたが、そこも䞀幎足らずで蟞めた。

     病気の症状は重くなった。乗りなれた電車でも数駅乗っおいるず冷や汗が出お止たらず、眩暈がし、嘔吐しそうになった。電車に乗れなくなった。パニック障害になった。無職になり数駅先のハロヌワヌクに自転車で通うようになった。お金がなかったので持っおいる小説や挫画やゲヌムなどをほずんど売った。二぀持っおいた本棚も䞡方ゞモティヌで知らない家族に譲った。小孊生の頃から集めおいたワンピヌス党巻もメルカリで売った。そしおハロヌワヌクで倱業手圓をもらいながらなんずか珟圚の職を芋぀け、今に至る。

    珟圚

     珟圚の仕事はフルタむムではなく週に4日勀務で、䞀日の勀務時間も8時間以䞋ず今たで正瀟員ずしおしか働いおこなかったわたしには気楜な条件だった。通勀時間も倧幅に短瞮され、しっかりずした組織䜓系が組たれおいる職堎なので人手䞍足もなく、職堎には䜙癜のようなものがきちんず甚意されおいた。くだらない冗談で笑い、季節の移ろいを憂う䜙裕があった。仕事は①人間関係②絊料③やりがい のうち2぀でも自分に合えば奜条件、3぀すべお満点になるこずはほがないず蚀うが、今働いおいるずころはほがすべおが申し分なかった。か぀おは倚く悩たされおいた人間関係のしがらみもなく、莅沢はできないものの䞀人暮らしができる絊䞎がきちんず支払われ、やりがいに満ちおいる。倧孊の時に取埗した教員免蚱もきちんず履歎曞に曞いたうえで採甚されたので無駄ではなかったず蚀える。

    未だ名前のない䞍安

     そしお、冒頭の䞻題に立ち返ろうず思う。わたしは今䞍安で、このたたでいいのだろうかず思っおいる。仕事は軌道に乗っおいる。生掻はできる。でも、正芏雇甚の職員ず比べるず安定した雇甚䜓系じゃない。病気の症状は波があり、今は萜ち着いお電車にもたた乗れるようになったが、い぀悪化するかわからない。それがあるから週5日フルで働くこずには恐れがある。でもい぀かはフルタむムに埩垰したいず思っおいる。呚りを芋れば結婚しおいる友人が増えおきた。焊りがあるわけではないず自らに蚀い聞かせおいるが、぀い自分ず他者ずを比べお「わたしはなにをやっおいるんだろう」ず思っおしたう倜がある。病気を患い仕事をしおいなかった期間は瀟䌚からドロップアりトした感芚が匷くあった。芋捚おられおしたったような、幌い頃スヌパヌで母芪ずふいにはぐれたようなあの䞍安感。凊方されおいる薬を飲み忘れるず匷い恐怖に襲われる。27歳はもっず逞しいものだず思っおいた。

     わたしが恋焊がれおいた瀟䌚科の先生は出䌚ったずき新卒だから22歳で、蚘憶の䞭の先生の幎霢をあっずいう間に远い越しおここたで来おいる。こんなに頌りない27歳になるずは思っおもみなかった。週4日非正芏雇甚ずしお働き続けお、なんずか䞀か月を耐え凌ぐ。貯金ができる䜙裕はないからたた䞀か月健康に働き続けなければならずこれがほんずうに難しい、芋合う絊䞎を埗お、その繰り返し。か぀お自転車操業をしおいた頃よりは遥かにたしだけれど、生産性がなく、向䞊心が芋受けられないのっぺりずした日々だ。小さい頃に曞いた䞋手な䜜文みたいに、奥行きがなく、濃淡がない。

    わたしはわたしを満足させおあげないずいけない

     十代埌半二十代前半の頃は连る若さでなんずでもごたかしが効いた。戻れない日々が矎しく芋えお、でも本圓は目の前にあるはずのもっず矎しいものを芋萜ずしおしたいそうになる。過ぎさっおいくものが矎しいのならば、今目の前にあるものを倧切にすればいいだけの話なのに、それが難しい。自分だけが䜕かの拍子で人生ゲヌムの枠の倖に攟り出されお、マス目のない道をひたすら歩き続けおいる感芚になる。どこで間違えたんだろう、どこがゎヌルなんだろう。

     こんなこずを蚀っおいるず語匊が生たれおしたいそうなので曞いおおくず、友人や職堎の人間には本圓に恵たれおいる。それなのに、今埌の人生が限りなく䞍安になる。じりじりず枛っおいく預金残高、枛らない薬、平行線の絊䞎。たずえばあず5幎ゆるい幞せがだらっず続いたずしお、非正芏雇甚なので昇絊もないからただ薄く匕き䌞ばしたマヌカヌみたいに同じ人生を歩んでいたら、それは果たしお意味のある行為なのだろうか いたずらに幎霢ず時間ずを亀換しただけなのではないか 神様のボヌトを乗り継ぐように幟぀もの職を転々ずしお、䜏む堎所も倉えおきた。実家が転勀族だずいうのもきっずあるのだろう、同じ土地にずっずいるず「ここから出ないずいけない」ずいう匷迫芳念のようなものに襲われる。自らの䞍甲斐なさを䜏んでいる街に投圱しお、そこから離れるこずで自らもたた生たれ倉われたず思えるから。本圓はそんな小现工をせずずも、わたしはわたしを満足させおあげないずいけない。

    䜕歳たで倢を远い続けおいいの

     ささやかな将来の倢がある。昆虫博士→画家→執事→建築家→先生ず連綿ず続いおきた矢印に続きを描けるのだずしたら、今は「䜜家」になりたい。英語の教員免蚱を取ったけれど倧孊で自身の英語力のなさに倱望し、察照的に惹かれるようになったのが日本の珟代文孊だった。玔文孊系統の小説が奜みで、䞀番奜きな䜜家は村䞊春暹。自身でも小説を幟぀か曞いお新人賞に応募しおみたりもしおいるが箞にも棒にも掛からない。それでも䜜家になりたくお、昚幎自費出版ずいう圢で自䜜の掌線や短歌、゚ッセむなどをたずめたZINE個人や少人数のグルヌプが、出版瀟を通さずに自由な発想ず手法で制䜜する「自䞻制䜜の小冊子」のこずを制䜜・販売した。それがオンラむンで60郚ず少し売れお、自分の䞭ではかなり嬉しかった。60人以䞊の人が、わたしが曞いた文章を買っお読んでくれおいるずいうこずが倢みたいだった。珟圚は二䜜目のZINEの制䜜に取り掛かっおいるずころだ。長線小説も曞き進めおいる。それでも、い぀たで倢を远い続けおいいんだろう。

    創造的人生の持ち時間

    倧奜きなお笑いのドキュメンタリヌを芳おいお、40代になっおようやく倢を叶えたお笑い芞人がいた。そこたで倢を远い続けお、それでも叶わなかったら䞀䜓どうしたらいいんだろう。実際にそういう人たちがごたんずいるのだろう。映画『颚立ちぬ』で「創造的人生の持ち時間は10幎だ」ずいう印象的な台詞がある。だから君の10幎を力を尜くしお生きなさい、ず。19歳の時に初めお小説を曞き始めたから、そこを起点ずするずわたしの持ち時間はあず2幎ずいうこずになる。あず2幎。そこでなにか結果を残せなければ、朔く蟞めればいいのだろうか。それずもみっずもなく泥臭く叶うたで瞋ればいいのだろうか。そうしおたで叶えた倢の先で、たた䞍利益を被ったら 将来の倢を远いかけた結果挫折した過去がある。それが圱のようにわたしに付き纏う。このたたでいいのか。答えは出ない。䞀床、倢をあきらめた。性懲りもなくたた倢を芋おいる。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

    あなたぞのおすすめ