
「人を変えることはできない。自分は変えられる。」
昔の自分は、人は変えられると思っていた。
相手が間違っているなら、それを伝えればいい。
何がいけないのかを説明すればいい。
それでも納得できないなら、納得するまで話せばいい。
そうすれば、相手の考え方や態度も変わる。
そんな風に思っていた。
だから、自分と考え方が合わない人がいた時は、何度も自分の考えを伝えた。
「それは違うんじゃないか。」
「こうしたほうがいいんじゃないか。」
自分だけがそう思っていたわけでもなかった。
その人は周りの人に、同じように言われていた。
だから、その時の自分たちは、正しいことを言っている、間違っていないと思っていた。
でも、どれだけ伝えても、その相手は変わらなかった。
態度も変わらない。
考え方も変わらない。
そして相手はこう言った。「人を変えるのではなく自分を変えるべきだ。」
その時、少しわかった気がした。
正しいことを言えば、人が変わるわけではない。
どれだけ説明しても、どれだけ論破をしても、最後に変わるかどうかを決めるのは、その人自身なのだ。
昔の自分は、「人は変えられない」と言っている人を見ると、それを自分の問題から逃げるための言い訳だと思っていた。
でも今は、それが本当なのかもしれないと思う。
大学に入ってからも、似たような話がある。
テスト前になると、深夜に電話をかけて、教材を送ってほしいと頼む人がいる。
「やめてほしい」と伝えても、そういう人はなかなか変わらない。
だったら、どうするか。
自分は、ブロックする。
相手を変えようとはしない。
自分が、その人との関わり方を変える。
これも「自分を変える」ということなのかもしれない。
自分は、不登校から復帰した経験がある。
その時も、自分の性格を無理やり別人に変えることはできなかった。
でも、自分がこれからどうするのかを考えて、環境を変える決断をした。
環境が自分に合わないなら、そこから出る。
人との距離が近すぎるなら、距離を置く。
自分にとって、苦しい関係なら、離れる。
もちろん、環境を変えたくても、変えられない時もある。
だから、
「いやな環境なら、出ていくなり、自分が変わればいい。」
と簡単に言うつもりはない。
それでも、自分が変えられるものはあると思う。
相手の態度そのものは変えられなくても、その人とどう関わるのかは考えられる。
嫌なことをされても、何度も相手を説得し続けるのか。
それとも、距離を置くのか。
関係を続けるのか。
それとも、離れるのか。
自分がどんな選択をするのかは、自分で決められる。
「自分を変える」というのは、なんでも我慢することでも、相手に合わせて自分を変えることでもない。
むしろ、自分がこれからどうしたいのかを考えることなのかもしれない。
人を変えようとすると、何度も何度も疲れる。
正しいことを伝えても、相手が変わるとは限らない。
だったら、その力を全部相手に向け続けなくてもいい。
自分が変えられるところに、その力を使ってみてもいい。
環境を変える。
人との距離を変える。
関わり方を変える。
そして、自分の考え方を変える。
全部を一度に変える必要はない。
自分が「ここは変えたい」と思ったところから、少しずつ変えていけばいい。
人間関係も、環境も、自分自身も完璧にはならない。
きっと、完璧に変えることもできない。
人を変えようとしても、変わらないことはある。
それでも、
「自分はどうしたいんだろう。」
と考えることはできる。
人を変えることは、できないことのほうが多い。
でも、自分は変えられる。
別人になる必要はない。
自分がいる場所を変えてもいい。
誰かとの距離を変えてもいい。
関わり方を変えてもいい。
完璧じゃなくていい。
自分が変えたいと思ったところから、変えていけばいい。
自分が、今変わってみたい部分はどこだろう。
今日も、そう考えていたい。