
偏愛は、未来の種になる
ぬいぐるみなんて子供が遊ぶおもちゃ。
そんなふうに思うがほとんどだろう。
でも私は、この11年間テディベアのテッドたちと暮らしてきた。
一緒に出かけ、旅をし、写真を撮り、テッドになりきって、
ちょっと不思議なブログを書いてきた。
気がつけば、そのブログは11年続いている。

世の中には、もっと役に立つこと、もっとお金になることがたくさんある。
だから私も、ときどきそのブログを書きながらこう思った。
「こんなことを続けていて、何になるんだろう」と。
実際、私はそのブログをマネタイズできているわけではない。
それで、5、6年前には、本気でブログをやめようとしたこともある。
ところが、
「ブログを辞めます」と告知した後、読者20人くらいから
「やめないでほしい」
「とてもがっかり」
「いつも楽しみにしていたのに残念」
と言われた。
今まで一度もコメントしたことがない人までも
コメントしてきたのだった。
私は驚いた。
自分ではただ、ストレス発散と単に楽しいからという理由で
続けていただけのものが、私の知らないところで誰かの日常の小さな
楽しみになっていたのだ。
それでも私は、その後「好き」だけでは足りないと思った。

もっと人の役に立たなければ、お金にはならない。
そう考えて高額な起業塾に入り、講師のような立場を目指した。
けれど、どうしても心が動かなかった。
正しいと言われる方法に自分を合わせようとすればするほど、
苦しくなった。
いろいろ遠回りした末に、ようやく気づいた。
私は誰かに正解を教えたいのではない。
自分が見たもの、感じたこと、笑ったこと、時には傷ついたことを、自分の視点で文章にして届けることが好きなのだ。
考えてみれば、今までずっとやってきたことだった。
人から見れば、少し変わっているかもしれない。
大人がぬいぐるみと暮らし、その不思議な世界を何年も書き続けるなんて。
でも、その「変なもの」を捨てなかったからこそ、今の私がいる。
私はこれから、その偏愛を自分の表現の真ん中に置いてみたい。
そして今度は、自分の文章を作品にして、文学フリマに持っていこうと
している。
そこで何が起きるかは、まだわからない。
まったく売れないかもしれないし、誰にも届かないかもしれない。
それでも、自分だけの偏愛を捨てずに持ち続けることは、未来の自分に渡せる、小さな種になるのだと思う。
そして、その種がいつ芽を出すかは、誰にもわからない。