
もっとイワシを書けと天啓を受けた気がするので。
イワシの頭も信心から。
昔の人は、なかなか失礼なことを言う。
イワシの頭である。
あの、魚へんに弱いと書く魚。
海では大群で泳ぎ、陸に上がれば人間に下魚だと罵倒され、煮られ、焼かれ、食べられる。
挙げ句の果てに、頭である。
身はどこへ行った。食卓だよ。
いや、そこじゃない。
「イワシの頭も信心から」とは、つまらないものでも信じる人にとってはありがたいものになる、という意味らしい。
節分にイワシの頭を柊の枝に刺して飾る風習が由来だとか。
鬼が嫌がるらしい。
鬼も大変である。
ただでさえ豆をぶつけられるのに、玄関先には魚の頭。
嫌がらせのフルコースだ。
かわいそ。
しかも、こちらは真剣である。
鬼を追い払うため、家族の健康を守るため、昔の人はイワシの頭を飾った。
そこには、目に見えないものを信じる心があったのだろう。
科学が発達した現代。
鬼がいるかどうかはさておき、イワシの頭を玄関に飾っている家を見かけたら、山田はそっと距離を取ると思う。
怖いからではない。
臭いが気になるからだ。
信心よりも生活感が勝った。
グッバイ、イワシ。
山田除けにもなりますね。
だがしかし、見かけたらネタとして記事にします。
あ、じゃあ、山田ホイホイか?
見かけたらご一報ください。
山田拝
ポップちゃーん、サムネありがとうね?
イワシ積んどくね。🐟🐟🐟🐟