
「アート好き」への美術館の答え
大山顕『新写真論 スマホと顔』は、その「はじめに」で美術館のSNS運用に触れている。SNSマーケティングで成果を上げたある美術館の担当者は、展示作品を「コンテンツ」と呼び、炎上防止のため、公式アカウントでは政治・思想・宗教・性に触れないと明言しているという。その美術館は写真撮影を許可したレアンドロ・エルリッヒ展で、61万人を動員した。
大山はこの展覧会を「絶景展」だったと評し、思想について沈黙する美術館を前に、アートとは何かと問う。
私が気になったのは、美術館が思想について沈黙していることそのものではない。その沈黙が、SNSマーケティングとして合理的に成立していることだ。
美術館のSNSが思想に触れないのは、炎上を避けるためだけではない。狙っている客が「アートが好きな人」ではなく「アートが好きな自分が好きな人」だとすれば、沈黙は欠落ではなく、その客への正確な答えになる。
作品をきれいに見たいだけなら、公式サイトや図録に、スマホより鮮明な写真がある。それでも人は展示室でスマホを構え、ときには作品の横に自分を写し込む。そこで記録されているのは、作品そのものではなく、作品の前に自分がいたという事実だ。
その写真を投稿するとき、作品の政治性や宗教的葛藤、歴史的文脈を説明する必要はない。タイムラインに置くのに必要なのは、一目で美術館とわかる画面と、誰も傷つけない「感動」の言葉だ。
美術館は、この客が求めるものを過不足なく差し出している。SNSでは作品の思想に触れず、撮影できる空間を用意する。そうすれば来場者は自ら写真を撮り、投稿し、無償で宣伝を担う。大山の言葉を借りれば、消費者であると同時に、労働者としてだ。
来場者が浅いと言うのはたやすい。ただ、その浅さを正確に読み、数字に換えているのは美術館の方だ。思想を語れば炎上のリスクを負い、語らなくても写真は共有され、いいねは積み上がる。
今日も展示室ではシャッター音が響いている。美術館は「アート好き」が投稿したくなるものを用意し、「アート好き」はそれを自ら配信する。両者の利害は、きれいに一致している。
出典:大山顕『新写真論 スマホと顔』(ゲンロン、2020年)pp.37-38。同書が参照する洞田貫晋一朗『シェアする美術――森美術館のSNSマーケティング戦略』(翔泳社、2019年)。