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Photo bytkganz

わたしと父と原爆と

    今日は父の命日🕯
    89歳で旅立つ瞬間は誰にも看取られず
    一人ぼっちで亡くなって
    3年。

    私の初めての有料記事は
    父に捧げる記事にしよう。
    私の想い💞を父に届けよう。

    一緒に読んでくださったら嬉しいな。
    少し長いのでボチボチ読んでね。


    ◆得体のしれないもの

    私がまだ小さい頃
    父と一緒に風呂に入っていた頃のこと。
    浴槽に浸かりながら
    洗い場で身体を洗う父を見ていた。

    ふと目線が父の股間に。
    そこには
    なにやら赤黒い塊🟤のような
    大きな物体が見えた。

    子供ながら
    驚いた記憶が鮮明に残っている。

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    子供の私はそれが何なのか 
    まだわからなかった。
    ただ自分にはないものだとは思った。

    自分のツルリとしたところに
    父はなにか得体のしれないもの🟤を
    付けているんだ。

    そう感じた。
    少し気味悪く怖かった。

    それからは一緒に風呂に入っても
    見てはいけない様な気がして
    見なくなった。 

    その後
    一緒に入らなくなり
    得体のしれない物体🟤を 
    目にすることはなかった。

    ◆父を好きではない

    私は父があまり好きではなかった。 
    尊敬もしていなかった。

    タバコを吸ったりパチンコに行く父が
    好きではなかった。

    父は5人兄弟の三男

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    父の母つまり私の祖母は
    医者🩺の養女だった。
    いつも自分の暗い部屋の
    布団の中にいた。

    家事は祖父がしていた記憶がある。

    祖母は身体が弱かったのか?
    それとも大切に育てられたから
    わがままだっただけなのか? 
    子供の私には謎だった。

    そんな少し変わった母親だったから
    父はあまり愛されて
    育っていないように感じる。

    だから父も愛し方が
    わからなかったのか
    私もあまり愛されたように
    感じていなかった。

    私が中学の時に担任の先生が
    これからは女子も
    大学に行ったほうがいいからと
    広島市内の高校受験を薦めてくれた。 
     

    その進学校ではそれなりに
    勉強しなければならなかった。

    試験期間中に
    狭い我が家では
    テレビ📺の音が気になってしまう。

    「お父さんちょっと音を小さくしてよ」
    と言うと父は

    「うるさい女は勉強せんでもいい」
    そうどなった。

    私は悔しくて悲しくて
    涙💧を流しながら勉強した。 

    早く家を出たいと思った。


    ◆父と原爆

    父はいつも原爆の日が近くなると
    自分の肩や手のケロイドを見せて
    原爆で大変だった話をしていた。

    子供の頃はそれを見るのも嫌で
    いつもの話がまた始まったと
    冷たい視線を投げかけた。
    心のなかで耳を塞いだ。

    何もわかっていない
    知ろうともしない
    私がいた。


    その後大人になった私が
    少しずつ父から聞いた話だ。

    父は15歳だった
    8月6日あの朝
    学徒動員で比治山橋の近くで 
    作業をしていたらしい。  

    友達とどんな話をしていたのだろう
    仲良く作業をしていたのだろうか。

    当たり前の日常がそこにはあった。

    午前8時15分⌚
    原子爆弾投下

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    一瞬で
    当たり前の日常はなくなった。
    残酷で恐怖に満ちた黒い黒い⬛世界が
    広がっていた。

    私ではわかってあげれない世界⬛。
    体験していないものには
    絶対にわからない世界⬛。

    どんなに怖かっただろう
    どんなに熱かっただろう
    どんなに痛かっただろう
    どんなに不安だっただろう

    どんなに  どんなに   どんなに
    涙💧を流したのだろう

    知ろうともしなかった
    分かってあげようとしなかった。

    ごめんね💧
    お父さん
    本当に酷い娘だったね。

    15歳の背中や腕は
    火傷でただれていた

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    助けてもらえそうな場所に歩いて行くと

    そこにはすでに
    カメラ🎥を構えた人がいて
    苦しむ人々を撮影していた。 

    後ろを向いて立つ父の火傷した背中も
    写真に撮られた。

    酷く醜い火傷の姿

    その写真を私は
    資料館か新聞で見た記憶がある。

    あれは父の背中だったんだ。

    苦しくつらい記憶が
    閉じ込められている悲しい写真。

    父はどんな思いで
    カメラに背を向けていたのか?
    大人の言う事を
    聞くしかなかったのだろう。

    指を少し火傷しても痛いのに
    父の痛みは想像がつかない。 

    15歳の痛み💧
    身体の痛み💧
    心の痛み💧

    それを写真にとる大人達。

    それから歩いて一人ぼっちで
    一日かけて家まで帰ったらしい。

    あの焼け野原⬛となった
    広島の街⬛を
    死体の転がる空間⬛を
    苦しむ人々の間⬛を

    何を考え歩いたのだろう
    何が目に焼き付いたのだろう
    その時から神を信じなくなったらしい。

    そんな火傷をおった父に
    途中で食べ物をくれた人がいたそうだ。
      
    こんな状況でも
    助けてくれる
    優しい人💞がいた。

    それが日本人なんだ。
    日本🇯🇵なんだ。

    父は無事に家に帰って長い期間
    うつ伏せ寝で過ごしたそうだ。

    祖母の父が医者🩺だったので
    薬💊もあり治療もしてもらえた。

    そうでなければ
    たぶん亡くなっていた。

    曾祖父が湧き出る膿を拭い
    うじをつまんで捨ててくれた。

    父は命を繋げることができた✨
    父は運がよかった✨
    意味があって生かされた✨
    私のためにも生かされた✨  

     
     

    saku

     
     
    三人息子を育て終えやっと自由を手にした主婦です 地域猫さんにごはんをあげるボランティアをしています ベランダでの野菜作りの初心者です 茶道、着物、旅行が好き😍

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