
『マクベス』(5) 第2幕第3場・第3幕第1場・第2場より
戸を叩いていたのはマクダフ。ファイフという土地の領主で、勇猛実直な性格の持ち主です。ダンカン王みずからの言いつけで、王を朝早く起こしに来たのでした。モーニングコールだったのですね。
何も知らずに王の寝室をおとずれたマクダフ、仰天して飛び出してきます。早鐘が鳴らされ、城じゅうの者が駆けつけてきます、もちろん、当のマクベス夫妻も。ショックを装う二人がみごとな連携プレーを見せる場面です。
ところで、殺されたダンカン王の後継ぎの王子マルカムと、弟ドナルベインは、とっさの判断でこの場を去って亡命します。渡りに船とマクベスは、王子たちに罪を着せます。王子が護衛を買収して、王を殺させたのだ、と。
おかしな話です。じきに次の王になれるはずのマルカムに、父君を殺す理由があるでしょうか。皆、それに気づかないほど愚かではありません、マクダフも、そしてバンクォーも。けれども誰も言い出せないのです。誰も。――わかりますよね。誰もがおかしいとわかっているのに、それでも平然と事が進んでいく、この感じ。ねえ。ほんとに。
こうして、いよいよ、マクベスに、念願の王冠が回ってきました。
マクベス夫妻は、幸福の絶頂――と思いきや、そうではありません。日夜、不安にさいなまれる毎日です。
文中の[…]は原文を省略した箇所です。
太字はとくに有名または/そしてサラのおすすめ台詞です。
【2幕3場】
マクベス夫人 何ですか、騒々しい。[…]
マクダフ おお奥方、ご婦人に
お聞かせできることではないのです。[…]
おお、バンクォー、バンクォー、陛下が殺された!
マクベス夫人 なんということでしょう! わたくしどもの邸で?
バンクォー どこであろうと残酷ではないか。ああ、ダフ、
嘘だと言ってくれ、まちがいだったと。
マクベス いっそこの惨事の一時間前に死んでいれば
幸せな人生だった。今この時から、
人の世に生きるに値するものは何もない。
すべてはがらくた、名誉も美徳も死んだ。
いのちの酒は尽き、この世という酒蔵には
とるにたらぬ滓ばかりだ。[…]
ああ、しかし早まった、怒りのあまり
あのお付きの者どもを殺してしまった。
マクダフ なぜにそのような?
マクベス […]目の前に王が横たわっているのだぞ、
白銀の肌に黄金の血の糸を引いて、
[…]そのそばに、人殺しどもが、
おのれの流した血に染まり、剣も血糊を穿いたままだ。
王に忠義あり、また忠義を示す胆力ある者ならば、
誰がためらうだろうか?
マクベス夫人 わたくし、倒れそう、ああ!
マクダフ 奥方が! 誰か介抱を!
マルカム (ドナルベインに傍白)なぜ黙っている、われわれは?
この騒ぎの当事者ではないか。
ドナルベイン (マルカムに傍白)でも何が言えます、
今ここで、運命が錐の穴を突いて
襲いかかろうとしているこの場で。逃げましょう。
まだ涙も湧かない。
マルカム はり裂けそうな悲しみも
凍りついたままだ。
バンクォー 誰か奥方に介抱を。[…]
マルカム どうする? あの者どもからは離れよう。
心にもない悲しみを示すのは、裏切り者の
得意技だ。わたしはイングランドへ行く。
ドナルベイン わたしはアイルランドへ。別行動のほうが
おたがい安全です。ここでは微笑のかげに
短剣がひそんでいます。父上に近い順から
消される危険が。
マルカム […]馬を出そう、
気取っていとまごいなどしている場合ではない、
すぐに発とう。非礼もこのさい許されよう、
許しがたい非道の場を辞するのだから。(王子たち退場)
【3幕1場】
マクベス このままでは安心できない、安心が続かなければ。
バンクォーの生きている一瞬一瞬が刃となって
おれの心臓のぎりぎりのところを突いてくる。[…]
やつは荒野で出会ったあの女どもが
まずおれを王と呼んだとき、平然と
「おれにも何か言え」とたきつけた。すると女らは
やつを王家の父となる者として称えた。
おれの頭には花の咲かぬ王冠を載せ、
おれの手には実らぬ王笏を握らせ、
それを他人の手にもぎとらせて
おれの子には継がせないのか。だとしたら、
バンクォーの子孫のためにおれはこの魂を穢し、
慈悲ぶかいダンカンを殺したことになる。
心の平安という器に苦痛を盛ったのも
バンクォーの子孫のため、永遠のいのちという宝石を
悪魔に売りわたしたのも
やつらを、バンクォーの子孫を、王にするためだったのか!
そうはさせるか。[…]
いいかバンクォー、きさまの魂は
今宵飛び立つ、天国を見つけるがいい。(退場)
【3幕2場】
マクベス夫人 みんな無意味、みんな無駄、
望みをとげても満たされない。
殺されたほうが安心ね、
殺して、おびえながら生きるよりは。
(マクベス登場。)
どうなさったの、あなた、なぜずっとお一人で、
つらいもの思いにふけっているの?[…]
とりかえしのつかないことは考えないようにしなくては、
すんだことはすんだことでしょう。
マクベス おれたちは蛇を斬ったが、息の根を止めてはいない。[…]
マクベス夫人 やめて、あなた、
そんなにけわしいお顔をなさらないで、明るく、楽しくね、
今夜はお客様がたが……[…]
マクベス おれの心には蠍がひしめいているのだ、
バンクォーも、フリーアンスも、生きているからな。
マクベス夫人 でも、いのちには限りがあるものよ。
マクベス そう、ありがたい話だ、やつらも殺せば死ぬ。
だから今夜は楽しんでくれ。[…]何かが起こるはずだ、
恐ろしくなくもないことが。
マクベス夫人 どんなこと?
マクベス おまえは知らないままでいてくれ、いい子だから。
あとで拍手してもらおう。[…]暗くなってきたな、からすも
ねぐらの森に帰っていく。[…]
そう不思議そうな顔をするな。落ちついているがいい、
悪事の始末には、悪事を重ねるしかない。
さあ、行こう。(両人退場。)