
「落とし物の持ち主」#拝啓文芸部

「落とし物の持ち主」
あなたに逢いに行くために、私は海沿いの道を車で走っていた。水平線を昇っていく朝陽が、雲の切れ間を押し広げるように光を放って、私の横顔を照らしていた。その光がハンドルを握る左指のリングをひどく生々しく輝かせていた。
別れたはずの人、それでも逢いたい人。
電話を掛けたのは一昨日だった。
「もう一度逢ってくれないかしら?やり直したいの」
そんなこと、出来るはずがないと分かっているのに、それでも言葉を重ねるたびに、嘘は真実の顔をし始める。
「明日行くわね」
そう告げたのに、私はわざと一日、約束を破った。海沿いのリゾートマンションは、あなたが執筆に専念できるように私が選んだものだった。ただ、購入資金も月々のローンの出どころも、あなたも私も口にしなかった。
あなたも薄々は気づいていたのだろう。それでも知らないふりをしてくれた。私もまた、あなたが気づいているのを気づかないふりをした。
五階建てのそのマンションが朝陽を浴びて、私のリングと同じ色で輝いている。駐車場に車を停め、バックミラーで自分の顔を覗き込む。前髪の乱れを手櫛で直して、鏡に向かって微笑んだ。
ーー大丈夫。
エレベーターを降りて、五階の角部屋のチャイムを押した。一回、二回……。
眠い目を擦りながら、上半身裸の男がドアを開けた。
「早かったね」
私は答えずに男の身体に腕を回した。
「逢いたかった」
胸に顔を埋めると懐かしい匂いがした。その奥に知らない女の匂いが混じっていた。私はもう少しだけ男を強く抱き締めた。
開け放たれた窓から、潮風が吹き込みカーテンを揺らしている。朝の光に満ちた部屋は、何事もなかったかのように明るかった。男の脇を通り抜け、ベッドへ向かった。
乱れたダブルベッドから、吐きそうになる臭いが漂ってきた。男と女の情事の痕跡。
その枕元に、ゴールドの細いリングが転がっている。私は自分の薬指からシルバーのリングを外してベッドの上へ投げた。
「ねぇ、あなた、どちらの落とし主を選ぶ?」
男は黙っていた。
「私?それとも彼女?」
男はしばらく、窓の外の海を見つめていた。やがて視線を落とし、二つのリングを見比べると、小さく息を吐いた。
「……帰ろう」
男は言った。
「何処へ?」
「家に決まってるだろ」
私は答えなかった。
窓から吹き込む潮風が、女の匂いを少しづつ薄めていった。
(了)
Mr.Qさんの企画に参加させて頂きます。
よろしくお願いします。