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見上げれば空はブルー

    泣けないのはなぜ
       飼い猫のソラミが死んだ。悲しかったが涙はでなかった。そして親友の突然の死・・・でも、泣けなかった。

    2 泣けないのはなぜ
     
    純太たちは泉第三小学校から泉中学に進んだ。
    泉中学では、クラブ活動は必ず何かに参加しなくてはいけない。純太は生物クラブに入った。飼育や観察が特別に好きだという理由で入部を決めたのではない。何となく、楽そうな響きがあったからだ。
    生物クラブの部屋は理科室だ。いくつかの実験用具の他に、水槽があって、その中に二十センチくらいのフナが一匹いた。傍にメダカの水槽があった。誰もいない理科室で純太は好奇心からメダカを一匹フナの水槽に入れた。
    フナは興味なさそうに浮かんでいたのに、ふっとメダカを飲み込んだ。それは生物クラブに入って、初めてフナがメダカを食べる事を知った一瞬だった。
    綾乃も同じ生物クラブにいる。時間が楽なクラブにしたのはフルートの練習が多くなったからだ。音大付属の高校に進学する夢を持っている。
    メダカをフナの水槽に入れた日、綾乃はメダカが一匹いないと大騒ぎした。メダカが死ぬと大抵は水槽の上にぷかぷか浮かんでいる。だが、その日は一匹のメダカも浮かんではいなかった。純太は十数匹いるメダカの数をいちいち数えている奴がいたなんて初めて知った。
    突然消えたメダカに女子は大騒ぎだったけど、
    「死んで、底に沈んでいるよ、きっと」
    と誰かが言ったからその場は収まった。メダカの寿命が短い事はみんな知っていた。
    純太は胸をなでおろし、メダカの水槽に餌をいつもより多めに撒いた。
     
    小学校から中学校に進学したという事は、今まで知らなかった生徒たちとも交わるという事だ。
    純太のクラスがメダカの水槽で、純太がその中の一匹のメダカだとしたら、純太にとってのフナは隣のクラスの木田卓也だ。
    卓也は背も高く、でっぷりと太っている。茶色いジャケットタイプの制服の前のボタンが閉まらない。水槽で飼われているフナと違って好きに動き回って、学校の誰彼構わず手当たり次第に因縁付けて、怪我をさせる。凶暴なフナだ。万引きもやっている。だから純太は自ら近づいたりしない。誰かにフナの水槽に入れられることが無ければ安全なのだ。
    聡にとっても卓也はフナだったが、もう一つ、ゴリラでもあった。聡はテレビの人気芸人のまねから離れて、一人で物まねの技を磨いていた。癖のある教師は良い題材で生徒たちに大受けだった。
    卓也は絶好の物まねのネタだった。おでこが眉毛に向かって少し出ていたり、鼻の穴が横広がりで、威嚇している時はさらに広がった。
    卓也は空手の大会でいつも上位にいる兄がいた。その存在が卓也をより強く見せていた。そして、卓也の唯一の武器が空手有段者の兄がいるという事だけだった。そんな鼻つまみの卓也を陰で笑い者にする事が聡の目下の楽しみだった。
    他にも中学生になって変わった事と言えば、男女の友達関係だ。女子対男子という構図になった。告(こく)ったり、告(こく)られたりしてお互いに気になる相手とは一対一の交際になる。純太はまだ、誰にも告られてないし、告ってもない。
    クラスの杉田が綾乃に告った話を聞いた時、純太の胸が少しざわついた。結果は、気にしない事にした。まあ、それなりに中学生活を過ごしていた純太だった。
     
    今日は久しぶりに軟式テニス部の聡と帰りが一緒になった。聡は小学校ではまった織田信長と明智光秀の「本能寺の変」を今度は中学の歴史の授業から影響を受けていた。
    「1582年6月2日早朝、京都本能寺に滞在していた織田信長を、家臣明智光秀が謀反を起こして襲撃した」
    カバンから透明ファイルを取り出し、雑誌の切り抜きを見て、純太に読んで聞かせた。
    それから、「本能寺の変がテレビドラマになるんだ」と言った。「絶対見る」とも言った。純太は動画の特訓の時のように「本能寺の変」にあまり興味が湧かなかった。
    「あのさ」
    と聡は急に話題を変えた。もう直ぐ三者面談が始まる。三者面談とは教師と生徒とその保護者との面談である。主に進路について話し合いが行われる。高校進学の話になると親と喧嘩になるとぼやく聡は
    「純太はどこの高校に決めたんだ」と聞いた。
    「そうだな、近場だったらどこでも良いんだ」
    純太は親にそう言って叱られた記憶が蘇った。
    「公立だったらN高かな」
    「じゃ、俺も」
    気楽に答えた聡は
    「うちの親はさ、純太の事、信頼しているから、一緒のところを受験するって言ったら安心すると思うよ」
    「やめてくれよ。競争相手が増えるじゃないか」
    「大丈夫だよ。偏差値、お前の方が上なんだから」
    「そういう問題かよ」
    純太が抗議の為に聡の腹に軽くパンチをかましたら、それをヒョイとかわして、聡は引きずるように持っていたラケットを肩にかけ直した。
    二人は笑い声をあげた。その時、
    「おい、お前」
    茶色いジャケットに紺色のネクタイ。泉中の制服を着崩した卓也が聡の前に立ちはだかった。
    「え、俺?」聡はとぼけた様子で自分の鼻先を指で指し示した。
    「お前だよ」
    卓也の仲間は他に二人いた。同じクラスの安田と今井だ。三人並んで立ちはだかるとちょっとした壁ができた。
    「おい、お前、田村聡」
    卓也はイラついた気持ちを、わざわざフルネームで呼び捨てて表した。
    「おい、お前」ともう一回言った。
    「俺の物まねして笑ってんだろ。いい度胸してんじゃんか」
    卓也のゴリラそっくりの顔に肩をいからせて歩く姿はまるでそれだった。聡はそれを誇張して卓也の顔を面白可笑しくいじった。
    弱い者いじめをする卓也は生徒たちに恐れられていたが物まねされてから、少し怖がる生徒が少なくなっていた。それも気に食わないようだ。
    卓也は広がった鼻の穴を思いっきり広げて俺たちの方に肩をいからせて歩き出した。
     純太は笑いそうになったが、怖くてこらえた。聡が「ぷっ」と噴き出した瞬間、卓也が繰り出した足蹴りで聡の顔面に衝撃が走った。聡はその足蹴りを上手くかわせなかった。鼻血が飛び散ってぐらりと体勢を崩したところに重ねて足蹴りをした。
    腹を押さえて倒れ込んだ聡の元に駆け寄って良いものか、判断を迷っていると、車道を挟んで反対側の道にいたおじいさんが騒ぎに気が付いて「こら! お前たち、何やってる」と怒鳴った。
    卓也は「俺を甘く見てんじゃねえぞ」と捨て台詞を残して仲間と共に駅に向かって駆けていった。
    純太はやっと聡の傍に駆け寄って、体を起こし様子を見た。鼻血は口元まで垂れてきて、開いた口の中に入った。前歯が血で赤くなった。
    「ちぇ、何だよ、あいつ」と言って聡は鼻血を手の甲で拭った。
    「もうあいつの物まねなんかやめた方が良いよ」
    純太は持っていたハンカチで聡の鼻や口の周りを拭いた。ハンカチは血で赤くなった。
    「あいつが怒ったって何でもないさ。あいつが怒ったって事はそれだけ、俺の物まねがあいつに似てたって事だろ?」
    「だけどさ、やめないと何が起こるか分からないよ。本気で怒ってたし」
    「平気さ。なんだよ、純太。お前、あいつの味方なのか?」
    「違うよ」と、強く否定したが、少しも怖がっていない聡とは違って純太は少し怖くなった。
    「あいつの兄貴はいじめにあって空手を習ったらしいけどさ。あいつはその兄貴に空手を習っているだけだし。大した事ない。威張りたいだけの奴。頭、からっぽ」
    と言ってから
    「俺、ホントはもう、物まねは飽きてきて、次にやる事考えていたんだけどさ。こうなったら徹底的にやってやるぞ。負けてたまるか。あいつは怒る時って、口がこう、右上がりになる」
    聡の頭の中はもう、卓也のまねの改善点について考えを巡らせていた。俺は聡のお笑いに対する本気度を理解できなかった。
    いくら卓也が空威張りだとしても、あの足蹴りを見たら恐ろしくなる。聡と一緒にいると純太にも災いが飛び火してきそうだ。純太は卓也の餌食にならないように、聡と少し距離を置くべきだと考えた。
    卓也はそれから事あるごとに聡に威嚇してきた。卓也は聡の笑いを受け入れられなかったし、そんな度量もなかった。
     
    夏休み最後の日の夜、聡は卓也に呼び出されて秋川の河川敷に向かっていた。
    夜の九時はまだ月明りも朧で、土手から下がったところにある河川敷には光が届かなかった。
    それでも、川の臭いや夏の終わりの臭いは昼間よりずっと濃く漂っていた。その中で卓也は安田と今井と連れだっていた。
    今井隼人はカエルのように手足が伸びて腹だけが膨れていた。対で話すと良い奴なのにどうして卓也と一緒につるんでいるのか分からない。多分一人でいると誰かにいじめられそうな雰囲気がした。安田稔はただの乱暴好きだ。いつも工作用のナイフを持ち歩いて、チラつかせる。何度も教師に取り上げられてはいつの間にかまた手にしていた。ナイフはお守りだと信じていた。
    そんな三人が聡を取り巻いていた。
    「何だよ、用事って」
    と、初めに口を開いたのは聡だった。
    「お前、ホントに一人で来たのかよ」
    「そうだよ」
    「良い度胸してんじゃん」
    やくざ映画の台詞のようで、聡はまた吹き出しそうになったが今度はこらえた。
    「お前、俺たちの仲間になるなら許してやっても良いぞ」
    思いがけない卓也の言葉に、聡は聞き返した。
    「え? 仲間になるってどういう事?」
    聞き返された卓也は少しうろたえた。
    「うっせ、許して欲しけりゃ土下座しろ」
    聡は馬鹿にしたように
    「なんだよ、そんな事で呼んだのかよ。俺はお前の仲間にもならないし、土下座もしない」
    と言った。
    聡は卓也たちから何らかの暴力を受けるのではないかと少し恐れていたが、気が抜けた。本当は純太に連絡して一緒に来てもらうつもりだったが、巻き込みたくなくて一人で来た。それに純太はきっと「行くな」と言うに決まっている。
    これは、明日の話のネタになるぞと内心思った。その気持ちが、無意識に笑い顔になった。その時、聡の頭にガツンと何かが当たった。それが何なのか聡は直ぐに理解した。卓也のいつもの足蹴りが聡の頭に当たったのだ。
     卓也は聡の勝ち誇った笑い顔に腹が立った。いつものようには事が運ばず、仲間の前で馬鹿にされたと思った。そして、聡の胸の内も見透かした。
    兄に習ったばかりの得意な足蹴りを聡の頭に向けた。卓也の常に勝者のプライドが聡の傲慢な態度によって傷ついた。カッとなった怒りを聡の頭にぶつけた。
    一発では聡は倒れなかった。聡はよろけながら卓也に向かっていった。この前の時のように殴られっぱなしじゃないぞ。
    「グオー」
    声にならない聡の叫び声を聞いて、卓也はたじたじとなって少し後ろに下がった。後ろにいた稔にぶつかった。稔はとっさにいつも持っていた刃渡り十五センチのナイフを卓也の手に握らせた。
    聡はそうとは知らずに卓也に飛びかかっていくと、卓也の手にしたナイフは聡の胸に刺さった。
    聡の胸から血が噴き出し、それを見て焦りまくった卓也に幾度も胸や腹を刺された。思いがけない事の成り行きに、稔は興奮した声で、「やれー、やっちまえー」と叫んだ。隼人は思わぬ事の成り行きを呆然と見ていた。倒れる聡を見て、卓也は得も言われぬ高揚感で体が震えた。そして、横たわり血に染まった聡の姿を見て、今度は体中の血が凍るような恐怖が襲い掛かってきた。
    三人はかつて足早に去ったように、その場を立ち去ることができなかった。河原の泥に足が取られ身動き一つできなかった。それに橋の上で偶然その現場を見た人は動画を取るだけで、おじいさんのように声を掛けることもなかった。
    聡は純太と二人でアイスを食べた河川敷で鼻血よりたくさんの血を流して死んだ。
    純太がその知らせを聞いて夢中で駆け出し、橋の袂に着いた時には、数台のパトカーが赤色灯をくるくる回したまま止まっていた。河川敷にはたくさんのお巡りさんがいた。純太は見物に来ていた大勢の人たちが河川敷を覗き込んでいる中で、一人パトカーの赤色灯の光をいつまでも見ていた。
     
    聡の葬式に来たクラスの皆が泣いている。明日はきっと目が腫れるだろうと思うくらい綾乃は泣いている。聡のお父さんもお母さんも泣いている。勝手にパソコンを使った日、聡を殴った兄ちゃんの豊も泣いている。
    一番の友達だったはずなのに、純太は何故だか涙が出てこず、ハンカチを顔に当て泣いているふりをした。(俺は本当に聡の親友だったのか)聡と距離を置いた自分の心の中に潜んでいた冷たい部分に気付かされた年だった。
     そして、卓也たちは少年院へ送られ、短い中学時代があっという間に終わった。


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