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身につける短編小説Strength

    💎 Strength

    私の世界を、少しずつ。

    29歳。

    あと少しで、30歳になる。

    彼女は、雑貨店の店長をしている。

    服飾の専門学校を卒業して、アルバイトとして入ったこの店に、そのまま社員になった。

    気がつけば、もう何年もここにいる。

    商品のことも、お客さんのことも、売場のつくり方も、だいたいわかる。

    どの商品が人気になるのか。

    季節が変わると、何が動くのか。

    どこに何を置けば、お客さんが足を止めるのか。

    長く働いてきたからこそ、身についた感覚がある。

    そして何より、

    彼女は、この店が好きだった。

    だからこそ、ときどき思う。

    「このままでいいのかな。」


    30歳になる。

    そう考えると、急に不安になった。

    このまま、この店で店長を続けるのか。

    それとも、もっと自分の好きな世界に近い店へ行くのか。

    いつかは、自分のお店を持ってみたい。

    そんなことも、ずっと心のどこかで思っていた。

    でも。

    転職したからといって、理想の仕事ができるとは限らない。

    今のお店では任せてもらえていることも、新しい場所では違うかもしれない。

    新しいルール。

    新しい人間関係。

    新しいやり方。

    「前の店ではできたのに」

    そう思うことだって、きっとある。

    それに、自分のお店を持つとなったら、もっと大変だ。

    商品を選ぶだけでは、お客さんは来てくれない。

    お店をつくることと、

    お店を見つけてもらうことは、別のことだから。


    ある夜。

    閉店後の店内で、彼女は売場を眺めていた。

    今日も、自分が選んだ商品が売れている。

    「この人、これ好きそうだな」

    そう思って並べたものを、

    本当に誰かが手に取ってくれる。

    その瞬間、ふと思った。

    「私、もう結構いろんなことを知ってるんだ。」

    どんなものが好きなのか。

    どんなものを選びたくなるのか。

    お客さんは何に反応するのか。

    どう見せたら、その商品の魅力が伝わるのか。

    何年もかけて、少しずつ身につけてきた。

    それは、この店に置いてきたものじゃない。

    ちゃんと、自分の中にある。


    帰宅してから、彼女はスマートフォンを開いた。

    Instagram。

    小さなアカウントをつくる。

    好きな雑貨。

    好きなディスプレイ。

    休日に見つけたもの。

    「こんなお店が好き」

    そんなことを、少しずつ投稿してみる。

    まだ誰も見ていない。

    フォロワーも少ない。

    でも、

    自分の好きなものだけを並べた場所が、初めてできた。

    しばらくして、ネットショップもつくってみた。

    商品は、ほんの少し。

    売れない日もある。

    それでも、一つ売れた日には、

    「私が選んだものを、誰かが選んでくれたんだ」

    と、嬉しくなった。


    次の日も、彼女はいつもの店を開ける。

    今までと何も変わらない。

    お客さんに「いらっしゃいませ」と声をかける。

    売場を整える。

    新しい商品を並べる。

    そして夜になったら、自分の小さな世界を少しだけ育てる。

    まだ、どうなるかわからない。

    自分のお店を本当に持つのかもわからない。

    このまま今の店を続けるのかもしれない。

    それでもいい。

    未来を決めるために、
    今を捨てる必要はない。

    今まで積み重ねてきたものを大切にしながら、

    やってみたいことを、

    ひとつずつ試してみる。

    30歳を前にして、彼女は思った。

    私に足りないものがあるんじゃない。
    まだ、知らないことがあるだけ。

    だから今日も、

    少しだけやってみる。

    まだ名前のない、

    自分の世界を。


    💎 Strength

    強さって、

    大きな決断をすることだけじゃない。

    今いる場所を大切にしながら、

    「やってみたい」と思った自分の気持ちも、

    なかったことにしないこと。

    小さく始めてみる。

    失敗したら、また考える。

    うまくいったら、少し広げてみる。

    そんなふうに、

    自分の未来を自分で育てていく。

    その一歩も、きっと強さになる。




    この物語はBOUNDARIESから生まれました。

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    私は蠍で双子。 好きなものを見つけると、 人生は少しかわいくなる。 本、紙、文具、デザイン。 「蠍で双子舎」という編集室で、 未来の一冊を育てる日々を綴っています。

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