
【短編小説】 彼女の結婚
彼女が結婚した。同時に、私の初恋は失恋で終わった。
その知らせを聞いたのは、十一月の雨が降る、退屈な休日だった。
スマートフォンの画面に並んだ文字を、私はしばらく眺めていた。
『結婚しました。これからもよろしくね』
添えられた写真には、純白のウェディングドレスを着た彼女がいた。隣には、見知らぬ男の人が立っている。彼女は笑っていた。昔から知っている、あの笑顔だった。
私は「おめでとう」と打ち込んだ。それから、句点をつけるかどうかで少し迷い、結局、何もつけずに送信した。たった五文字。それが、私にできる精一杯だった。
彼女とは、物心ついた頃から一緒だった。家が隣同士で、同じ幼稚園に通い、小学校も中学校も一緒だった。夏休みには二人で蝉を捕まえ、冬には彼女の家のこたつでみかんを食べた。彼女はいつも私より少しだけ背が高く、走るのが速くて、泣き虫のくせに強がりだった。私たちは、よく姉妹に間違われた。違うよ、友達だよ。彼女はいつもそう訂正していた。そのたびに私は、なぜだか少しだけ寂しかった。
初めて彼女を特別だと思ったのがいつだったのか、正確には覚えていない。たぶん、中学二年の夏だったと思う。部活帰り、突然の夕立に降られて、私たちは駅前の小さな屋根の下に逃げ込んだ。彼女は濡れた前髪を指で払いながら、私の肩に寄りかかってきた。
ねえ。
なに?
私たちって、ずっと一緒にいられると思う?
いられるんじゃない?
そっか。
彼女は安心したように笑った。その横顔を見た瞬間、私は初めて、自分の知らない彼女の未来があることを恐ろしく思った。彼女が誰かを好きになること。誰かと手をつなぐこと。誰かと結婚して、その人の名字を名乗ること。そんな未来が、私たちの間にあるのだと、そのとき初めて気づいた。
それでも、私は何も言わなかった。
言えるはずがなかった。
彼女の笑い声を聞くと安心した。彼女が悲しんでいると、自分のことのように胸が痛んだ。彼女が風邪をひけば、代わってあげたいと思った。彼女の人生に、自分がいない時間があることを想像するだけで、息が苦しくなった。それを恋と呼ぶまでに、私はずいぶん時間がかかった。
高校は別々になった。大学も別々だった。それでも連絡は取り合っていたし、長期休暇には会った。互いの恋愛相談もした。もっとも、私には彼女以外に好きな人などいなかったから、相談されるばかりだったけれど。
私ね、好きな人ができたんだ。大学三年の春、彼女はそう言った。カフェの窓から桜が見えていた。私はストローをくわえたまま、できるだけ自然な顔で尋ねた。
どんな人?
優しい人。私の話をちゃんと聞いてくれる人。
いいじゃない、応援するよ。
うん。今度、紹介するね。
その日、帰宅してから私は泣いた。声を出さないように、枕に顔を押しつけて泣いた。彼女に恋人ができることくらい、いつか来るとわかっていた。わかっていたのに、いざ現実になると、こんなにも自分が醜くなるとは思わなかった。
彼女が幸せになることを願っていた。本当に、心から。
でも、その幸せの隣にいるのが私ではないことが、どうしても受け入れられなかった。
一度だけ、告白しようと思ったことがある。大学を卒業する春だった。二人で旅行に出かけた帰り、夜行列車の窓に映る彼女の寝顔を見ていた。窓の外は暗く、遠くに街の灯りが流れていた。彼女の肩には、私が貸したカーディガンがかかっていた。その手を握ってしまいたいと思った。
ずっと好きだった。あなたが誰と恋をしても、誰と付き合っても、私はあなたが好きだった。でも、彼女は眠ったまま、私の肩にもたれていた。私はその髪をそっと避けて、窓の外を見た。起こしてはいけないと思った。いや、起こしてしまえば、もう元には戻れない気がしたのだ。
それから数年が過ぎた。彼女は仕事を始め、私は別の街で暮らすようになった。会う回数は減ったけれど、誕生日には必ず連絡をした。年末には短い近況報告を送り合った。
私たちは変わらず幼なじみだった。少なくとも、彼女にとっては。
結婚式に招待されたのは、それから半年後だった。招待状が届いたとき、私はしばらく封を開けられなかった。出席するかどうか迷うことさえ、彼女に対して申し訳ない気がした。
式場のチャペルで、彼女は本当に美しかった。白いドレスに身を包み、父親と腕を組んで歩いてくる。少し緊張した顔をしていたけれど、私を見つけると、いつものように笑った。
ああ、私はこの笑顔が好きだったのだ。幼い頃からずっと。彼女が笑うたびに、世界が少しだけ明るくなるような気がしていた。
教会の鐘の音が聞こえた。それが、私の恋の終わる音のように思えた。
披露宴では、彼女の幼なじみとしてスピーチを頼まれていた。私は昔の思い出を話した。夏休みに二人で迷子になったこと。彼女が転んで膝をすりむいたこと。二人で秘密基地を作ったこと。会場は何度も笑いに包まれた。
最後に私は言った。
小さい頃から、彼女は私にとって、ずっと大切な人でした。これからも、どうか幸せでいてください。
私が、大切な人、といったその本当の意味を、彼女はきっと永遠に気付かないだろう。
帰り道、駅までの並木道を一人で歩くと、街路樹の葉はすっかり落ちていて、冷たい風が吹いていた。
ふと、子どもの頃のことを思い出した。彼女が転んで泣いた日、私は彼女の手を握って言ったのだ。大丈夫。私がずっと一緒にいてあげる。あの頃の私は、本気だった。彼女が大人になっても、どこへ行っても、隣にいるのは自分だと思っていた。子どもというのは、ずいぶん身勝手な約束をするものだ。そして、大人になるというのは、その約束が叶わないことを知りながら、それでも相手の幸せを祝えるようになることなのかもしれない。
スマートフォンが震えた。彼女からだった。『今日はありがとう。久しぶりに会えて嬉しかった。昔から変わらないね、私たち』
私は画面を見つめた。
変わらない。
彼女にとって、私たちは何も変わっていないのだ。そのことが嬉しくて、悲しかった。
あの夏の夕立も、夜行列車の窓に映った寝顔も、二人で過ごした何でもない日々も。彼女に知られなかった恋。もし知られていたら、きっとその時に終わっていたに違いない。
それでも、私の人生でいちばん長く、いちばん大切な、恋だった。
スカートの裾についた落ち葉を払いながら、私は少しだけ笑顔を取り戻し、彼女の幸せを願った。
おわり。