
祖父のカレーだけ肉が多かった
80歳まで生きた祖父
75歳を過ぎても
自転車に乗る人だった
「危ないから、もう乗るな」
家族が何度言っても
どこ吹く風
気がつけば
また自転車で出かけている
ずっと僧侶だった
私は中学生まで
祖父と一緒に暮らしていた
朝が早い
お寺の掃除をして
仕事
よく働く人だった
夜も早い
相撲中継が終われば
布団の中
私がまだテレビを見てるとき
「ちょっと貸せ」
チャンネルを変えてしまう
どこかへ遊びに
連れて行ってくれるわけでもない
「おじいちゃんに可愛がってもらった」
そう言えるような思い出は
正直ない
そんな祖父とのある日の夕飯
小学生だった私は
家族のカレーを盛り付ける手伝い
祖父の分も盛ろうと
おたまを持っていると
普段は台所になど入らない祖父が
ふいに現れ
「自分のカレーは自分でやる」
そう言って
私の手からおたまをひょいと取り上げる
そして、自分の皿へ
何事もなかったように
居間へ戻っていく
あとから見ると――
祖父のカレーだけ、肉がやたらと多い
お坊さんでも
肉をいっぱい食べたいんだ
なんだか可笑しい
少しだけ嬉しい
ずっと「お坊さん」だった祖父が
その瞬間だけ、、
ただの肉好きなおじいちゃんだった
今思えば
私は祖父に優しくされた記憶よりも
そんな小さな人間らしさを覚えている
僧侶として立派だった
自分の皿には肉を多く入れたい
そんな人間味のある人
少しだけ欲張りで
頑固で家族の言うことを聞かない
そんなところが
今では妙に愛おしい
人は
優しくされた記憶だけで
心に残らない
「こんな人だったな」
ふと浮かんでくる
何気ない一場面
何年経っても消えないのは
案外
そんな記憶なのかもしれない
もし
もう一度会えたなら
私は祖父に聞いてみたい
「あのときのカレーさ
なんで自分で盛ったの?」
きっと祖父は、何でもない顔で答える。
「肉が少なかったからだ」
そんな返事を想像すると
今でも少し笑ってしまう
自転車に乗る祖父
相撲を見る祖父
誰より早く眠る祖父
自分のカレーにだけ
肉を少し多めに入れる祖父
あの頃は
そんな小さな欲が可笑しかった
今は――
そんな祖父と一緒に食べた食事の時間が
愛おしい
もう聞けない理由を私は
今も
あの肉の多いカレーと一緒に覚えている