
春の泥の美しさに感動し、「スパイ防止法」を立ち上げた高僧の文字より道具の大切さに想いを馳せる。 〜三溪園とその周辺②
さて、いよいよ三溪園に入ります。
三溪園とその看板について


桜の時期というのもあってすごい人だかりでした。
横浜らしく海外の人も入り乱れて(最近はどこもそんな感じですけど)国際的な雰囲気を味わうことができますね。
園内の様子は上のインスタにあらかた載せていますので、気になる方はめくってください。
三溪園についてですが、原三渓氏が築造した庭園で、横浜・本牧に広がる園内には、京都や鎌倉などから集められた三重塔や茶室などの歴史的建造物等が巧みに配置されているのが特徴です。
明治〜大正頃に歴史的建造物をたくさん持ってきたようです。どうやって移築したのかどっかの案内板に「一旦解体して、再度修復した」的なことが書いてあったと思いますが、とんでもない作業ですよね。
さて、入場ゲートにある「三溪園」の字、誰のだろうと探ってみましたが、はっきりせず。ただ、原三渓氏も書画をよくしたと記述がありましたので、おそらく本人の書でしょう。

公式HPに上記の写真がありました。一般公開された昭和30年頃の写真でしょうか?
そこに掲げられています看板には「遊覧・・・三溪園」とありますね。現在は「三溪園」だけが残されて印字されているようです。

提灯にかかれると味わいが増しますね。ロゴとして完成度の高い書だったことがわかります。

どこだか忘れましたが、明らかに違う手で書かれた「三渓園」もありました。こちらはやや米芾風を感じる太細の変化に富んだ書です。
高浜虚子句碑




上のインスタにも載せていますが、高浜虚子の句碑が園内にありました。
「鴨の嘴(はし)より たらたらと 春の泥」
春は心地よく眠くなります。鴨も気持ちよく寝ていたのでしょうか、よだれが泥になっていく様を描写しているようです。ちょうどこの日も季節は春。鴨たちが仲良く居心地よさそうにしているのが見れました。
茶筅塚
お茶をする人にとってとても大事な茶筅。お茶に暗い私は名前を初めて意識しました。

調べて「ああ、アレね!」とすぐにわかる代表的な道具。
塚はお墓のことというのは歴史で習いますが、これも古くなった茶筅を供養するお墓のことです。
今でも三溪園では毎年春に供養が行われているそうです。


塚の脇に建立由来碑が立っています。

茶筅は伝統芸術茶道に必要欠くことの出来ない点前道具の一つであり 茶人のすべてが茶筅に感謝し心から供養することは当然であります 今般横浜を中心とする茶人が永い間の夢であった茶筅塚を三溪園の深い御配慮を得て多くの茶人が寄進する浄財をもって建立することが出来ました 毎年梅の花咲く頃 この茶筅塚をめぐって感謝の心をこめ茶筅供養行事を念願して居ります 名園の創始者で偉大な文化人原三渓翁を偲び御縁の深い名僧朝比奈宗源老師の御揮毫をいただき一入感銘いたします
建立は昭和51年とのこと。「茶筅塚」を書いたのは朝比奈宗源というお坊さんだと書かれています。
調べると「スパイ防止法」を呼びかけた人物として名が上がりました。
それだけでなく、「水戸黄門」などの題字を手がけたともありました。
国立国会図書館のHPで調べると割合、お茶の世界との関わりが深かったようで、いわゆる茶掛の書に好まれた方であるそうです。
決して誇張しないものの根に芯があるようにみえるのはさすがお坊さんの字だなと納得のいくものですね。
【参考文献】