
感謝したいならすればいい。したくなければしなければいい。
世のなかには一定数、「感謝できる人は幸せになれる」とか、「どんなことにも感謝しよう」みたいなことを言う人たちがいます。こうした言説を下らないとは言いませんが、個人的に「ぬるい」と思っていますよね。
いや、ぬるいというか「理想論ばっか言ってて下らねえな」という感じです。そりゃあ、感謝できた方がいいですが、現実はそんな単純ではありませんから。
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クライエントとかを見ていても、「そうだよね、こんな状況で親になんて感謝できないよね」とか、「他人からの親切が逆にうっとおしく感じることもあるだろうさ」と思うこともしばしば。
なので、感謝が云々みたいにしきりに言っている人を見ると、「何言ってんだ。バカが。少し黙っとけ」みたいな気分になることもまあ、たまにありますよね。
子供の教育上はどうこう、、みたいなこと言ったら、そりゃ言った方がいいのかもですが、、いや、それでも私はあんまり言いたくないですね。
1、感謝はしたいから感謝するでいい
感謝は「した方がいいもの」ではあるけれど、「しなければならないもの」ではないと思っています。
もうしょうがないですから、できないものは。たとえば、誰かに何かをしてもらったら、「ありがとう」と自然に思ったなら、言えばいいです。
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逆に、「いや、今回は別に感謝するほどでもないな」と思ったなら、無理に感謝しなくてもいいんですよね。
もちろん、社会生活を送る以上、最低限の礼儀として「ありがとう」と伝えることはあるでしょうが、それと「心の底から感謝しなければならない」は別の話です。
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それに、究極的な話、「別に感謝しない事によって相手からの心象がどうなろうがそれはあえて許容する。どうでもいい」と腹をくくれるなら、感謝なんて度外視して我が道を行けばいいでしょう。
結局、この手の道徳論なんてものは「自分が行わない事によって受ける不利益は甘んじて受ける。覚悟はある」となれば、どうでもいいものですから。最後に行動を決めるのは、ほかならぬ自分です。
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ただ、ということはですよ。世間的に考えて明らかに加害・反道徳的な行為を行っておきながら、後になって「こんなはずではなかった。ひどい!」とか泣き言うのはどうなんだって話です。いうのは自由ですが、「ふーん」というものでしょう。
「あなた、それを選んだ結果ですよね。なら、その結果も引き受けましょうね」と言うことになります。それで終わりです。自由には相応の責任が伴いますから。
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2、とりあえず感謝したくなることを見つけてみればいいよ
とはいえ、「じゃあ、感謝なんてしなくていいんだ」と開き直ることを私はすすめません。
だって、現実的に考えて、「いろんなことに感謝できる人の方が人間関係は良くなるし、幸福度も高くなる傾向にある」と言えますから。なぜ、わざわざ自分から苦労しそうな道をとるんですか?という話です。
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そのため、私としては「感謝するべき」ではなく、日頃から「何か自分が感謝できることはないだろうか」と「感謝したいもの探し」をするのを習慣化してほしいと思ったりします。
たとえば、以下の様なささいな事でもいいのです。
今日食べたご飯がおいしかった
天気がよかった
好きな音楽を聴けた
布団が気持ちよかった
誰かが親切にしてくれた
面白い本を読めた
とりあえず、「人生に感謝しよう」とか「生きていることに感謝」みたいに壮大なことは考えなくていいです。それを無理矢理やろうとすると、現実にはつらいことまで「ありがたいことだった」と無理やり意味づけしてしかねません。
私はそれは良くないなと。つらかったものは、つらかったでいいし、嫌だったものは、嫌だったでいいと思いますよ。そのうえで、別に感謝できるものを探せばいいんです。
現実逃避的な姿勢はあなたを幸せにはしません。どこまでも現実主義で行きましょう。それが、大事だと思います。んじゃ、ここらでしまいしまい。
