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Photo byエドゥアール・マネ / メトロポリタン美術館

他人の不安を取り除くこと

    相手が不安に思っている時、声を掛けられるか否で、その人の人間力の多寡が分かってしまう気がする。

    人間、面と向かえば相手の負の感情は察知できるし、会わずともその人の置かれた状況などから「不安に思っているんじゃないかなあ~」と想像することもできる。

    特に「不安」は表に出やすい感情だと思っていて、その人の言動を少しばかり注意深く観察すれば、心配事があるかどうかわかるものなのだ。


    では、私たちがそうした他者の不安を感じ取った時に、どのような行動を取るべきなのだろうか。

    一般的には、救いの手を差し伸べようという気持ちが湧いてくるのが人情というものだが、その一方で面倒ごとに関わりたくないという感情も生まれてくる。

    心配事があるということは、解決するべき困ったことがあるということを意味するので、その人に関与すれば、何かしらの問題が飛び火してくる可能性があるからだ。


    僕は正直言うと、他人の心配事にはタッチしたくないと考えている人間である。

    面倒なことに巻き込まれるのも嫌だし、自分の力が早々役に立つとも思えない。

    けれど、案外と敏感な性格でもあるので、人の困りごとオーラを感じやすく、無視をしきれずに、ついつい声を掛けてしまう。

    「困っているようなので、僕が引き取りましょうか」などと申し出て、自分の仕事を増やしてしまったりする。

    しまいには、「このままだと誰かが困ってしまうだろうな」ということを先んじて見つけて、トラブルの種を潰しに動いたりしてしまう。

    そういったトラブルシューターの役割をどうしても担ってしまうのである。


    ただ、先に書いたように、元来は人様の厄介ごとは勝手に人様で解決して欲しいと考えるタイプではある。

    しかし、どうしても体が動いてしまうことがあるし、嫌なのに声を掛けてしまうのだ。・・・別に格好つけているつもりもないのだけども。

    ただ、世の中を見渡した時に、もっとスマートに、さっと他者の不安の解消に動ける人間が確実に存在する。

    一番身近な例は、電車でパッと席を譲れる人であり、切符の購入に手間取っている外国人に話しかけられる人である。

    僕は少なからず逡巡する。反射神経よく動くことはできない。気持ちが巡っているうちに時が過ぎてしまうことがある。

    そういう人たちと自分との差は、「人間力」の差であると僕は思う。なので、単純に相手の不安に立ち向かえる人は尊敬してしまう。僕にはできないな、と。


    いま、こうした文章を書いているが、実は頭の中は、ここ数日で解決せねばならない心配事で満たされている状況にある。心配だらけなのだ。

    こういう時、手を差し伸べてくれる人が現れたら、超嬉しいと思うに違いない。何か心配事ありませんか、と誰かに声を掛けて貰ったら、元気でるだろうなあと。

    そんなことで、人間力のある人を絶賛募集中なのでした。




     
     
    尊敬する藤子・F・不二雄先生の名作を、多様な切り口でレビューしてます 野望は世界初、F作品全てを記事化すること 気持ちは毎日投稿中 モットーは「一つの記事に一つの発見を」 本業はエンタメコンテンツを世に届ける仕事(28年目) X(twitter)FF23181933

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