
【ASD夫】 カサンドラ症候群の妻に対するASD夫の声:丁寧に探すと見えてくること
カサンドラ症候群という言葉が広まり、ASD傾向のある夫を持つ妻の孤独は、広く共有されるようになった。
・話が通じない
・気持ちが返ってこない
・一緒にいるのに、ひとりのようだ
その苦しみは現実であり、軽く扱われるべきではない。
では、夫側は何を考えているのか。
探してみると、妻を傷つけてしまったことを認め、関係を変えようとしている夫の声もある。ただ、その言葉は、妻に伝わる形になっているだろうか。
この記事は、夫の内側にあるものと、外に現れる行動との間を、丁寧に読もうとする試みだ。
1.最初に見えるのは、困惑と防御
当事者の投稿を読むと、まず目につくのは困惑だ。
ある人は、パートナーにカサンドラ症候群だと言われ、「どうすればいい?」と尋ねている。すでに夫婦でカウンセリングも受けているという。
共感がない存在だと決めつけられることへの反発もある。妻が苦しんでいる。そのことは否定できない。一方で、夫の側にも「自分には相手を思う気持ちがあるのに、それがないものとして扱われている」という苦しさがあるのかもしれない。
Damian Miltonが提唱した「ダブル共感問題」は、異なる認知のあり方を持つ人同士の間で、相手を理解することが双方にとって難しくなりうる、という見方を示したものだ。もちろん、それだけで個々の夫婦の問題を説明できるわけではない。ただ、「共感がない」の一言で夫の内面まで決めてしまわずに読む手がかりにはなる。(Milton, 2012)
困惑している。責められていると感じている。変わりたい気持ちはあっても、何を変えればいいのか分からない。
そこだけを見れば、溝は深い。だが、それがすべてではない。
2.妻のことを考えているのに、妻には見えない
Redditに「もっとよい夫になりたい」と投稿した男性がいる。
彼は、妻の気持ちや必要としていることに気づくのが遅れ、傷つけてしまうと書いている。妻からはっきり伝えられていても、自分の考えにとらわれて防御的になることがあるという。
その上で、こう書く。
“I love her so much and I want to be the man she truly deserves.”
彼女をとても愛している。彼女にふさわしい夫になりたい。
愛情がない人の言葉には、私には見えない。けれど、妻が何度も傷ついたことも、同じ投稿に書かれている。夫の気持ちが本物であることと、その気持ちが妻に届いていることは、別なのだ。(投稿全文)
この投稿には、別の当事者から、妻の様子を確かめるためにスマホのメモとアラームを使っている、というコメントも寄せられている。
アラームを設定してまで妻を気にかけるのか、と寂しく思う人もいるだろう。だが、自然に思い出せないから何もしないのではなく、思い出せる仕組みを作る。それも、妻に向けた行動だ。(同じ投稿へのコメント)
3.言われて初めて、見えることがある
英国の自閉症支援団体のサイトに、ASD当事者のNicholas Marshallが妻との生活について書いている。
結婚前、二人で暮らし始めた頃、料理と皿洗いは妻がしていた。Marshallは手伝わなかった。妻がそれを望んでいるとは、思っていなかったからだ。
数か月後、妻に「どうして手伝ってくれないの」と聞かれて、初めて気づいた。彼は、自分がそれまで気づかなかったことを申し訳なく思い、手伝うことを日課に加えたという。
妻からすれば、言われるまで何もしなかった事実は消えない。それでも、この話には続きがある。言われて初めて分かったことを、その後の行動にしたのだ。(Nicholas Marshallの寄稿)
「察してほしかった」と「言ってくれればできた」は、簡単には噛み合わない。けれど、そこで終わらず、次からの暮らしを変えることはできる。
4.David Finchが書き留めたこと
David Finchは、自身がアスペルガー症候群だと分かった後、妻との関係を見直した経験を『The Journal of Best Practices』に書いた。
彼がしたのは、妻との間で起きたことや、自分が気をつけるべきことを記録することだった。たとえば、妻が歌っているときにラジオの局を変えない。謝るときに怒鳴らない。ささいに見えることまで、書き留めた。
夫婦の関係をよくしたい。その思いだけでは、同じことを繰り返してしまう。だから、次にどう振る舞うかを具体的にしていった。(出版社による書籍紹介)
Marshallの家事も、Finchのメモも、劇的な変化ではない。気づかなかったことを知り、忘れてしまうことを覚えておくために、やり方を変える。その積み重ねだ。
5.行動の方向を見る
夫の側に愛情があっても、妻は孤独になることがある。
だから、「夫だって愛している」と言うだけでは足りない。妻が何に傷つき、何を必要としているのかを知ろうとすること。分かったことを、その後の行動に移すこと。その姿が妻からも見えること。
夫が提供できる配慮は、アラームやメモ、決めた家事の手順のように、自然な共感とは違う形をとるかもしれない。
それを妻がどう受け取るかは、妻にしか決められない。ただ、夫の側から見れば、それは妻に近づくために考えた方法でもある。
こう見ると、「妻目線」で関係性を改善しようとする意志があるかどうかが、鍵となっていることがわかる。
別の言い方をすれば、結局は——発達障害が制約になっているとしても——妻のことを愛しているかどうか、それだけのことなのかもしれない。
ここでいう愛は、心の中にある気持ちだけではない。妻の言葉を聞いて、自分のやり方を変えていくことまで含んだ愛だ。
夫の沈黙は、無関心の証拠ではないかもしれない。その中に何があるかは、声の表面だけでなく、その後の行動の方向を見ることで、少し見えてくる。
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