
「共産主義とは何か」ではなく「人はなぜ従うのか」を問うた本
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タイトルだけで、賛否を迫る本だと決めつけていました
先に断っておくと、私はこの本を手に取るまで、『共産主義的人間』というタイトルから、共産主義を持ち上げるか、あるいは断罪するか、そのどちらかの立場で書かれた政治評論だろうと思い込んでいました。政治的な主張の本を読むときは、賛成か反対かをあらかじめ選ばされているようで、どこか身構えてしまいます。そうやって身構えたまま本を開くと、著者の立場に同意できなければ反発したくなるし、同意できればただ追認して終わってしまう。読み終えたあとに何も残らない、そんな読書になりがちです。本書もそのどちらかだろうと踏んでいました。ところが、思想史家・林達夫が戦後まもない時期に書き継いだこの評論集を読み進めるうちに、その予想は根底から崩れていきました。
林達夫著『歴史の暮方 共産主義的人間』はこちらから読めます。
ソ連の公式資料から読み解いた、「忠誠する人間」の姿
本書に収められた「共産主義的人間」は、林達夫が敗戦の翌年である1946年から書き継ぎ、1951年に一冊の評論としてまとめたものです。この評論が論じているのは、共産主義というイデオロギーそのものの是非ではありません。本書は、党や人民、あるいは掲げられた観念に対して絶対の忠誠を求められたとき、方針が朝令暮改で変わっても異を唱えず従い続けられる人間が、なぜ、どのようにして形づくられるのかを、1950年前後のソ連に関する報道や公式資料をもとに描き出した、と論じています。ある書評では、フルシチョフによるスターリン批判演説が1956年に行われるより5年も早く、粛清という手段に頼らざるを得ない体制の構造的な問題を指摘していた、とも評されています。本書にはさらに、姉妹篇にあたる「歴史の暮方」(戦時下の1940年から42年にかけて書かれた時代批判のエッセイ群)も収められており、「こんなに頼りにならぬ人間ばかりだとは思っていなかった」という著者自身の嘆息をはじめ、当時の知識人たちの姿がより踏み込んで描かれています。ぜひ本書で確かめてみてください。
会議室で「あっさり態度を変える人」への見方が変わりました
本書を読む前、私は職場の会議で、上司の指示が朝と夕方で違う内容に変わったとき、それにあっさり「わかりました」と切り替える同僚を見て、内心で「主体性がないのではないか」と見下すような気持ちを抱いていました。自分だったら納得できるまで質問するはずだ、と。ところが本書を読んでからは、同じ会議室で似た場面に出会ったとき、抱く感情が変わりました。方針の変化にすぐ従う姿の背後には、組織の中で波風を立てずに生き延びるための、その人なりの構えがあるのかもしれない、と考えるようになったのです。実際、先週の会議でも似た場面があり、以前なら黙って心の中で評価を下していたところを、会議のあとにその同僚へ「急な変更、大変でしたね」と一言かけてみました。返ってきたのは、思いのほか率直な本音でした。誰かの態度をひとことで断じる前に、その人が置かれている構造に目を向けるようになったのは、本書のおかげです。
知らないまま「忠誠」を語っていたら、と思うと惜しい
もし本書を読まないままでいたら、私は「共産主義的人間」という言葉を、政治的なレッテルとしてだけ理解していたと思います。京都帝国大学で哲学を修め、戦前は雑誌『思想』の編集に携わり、戦後は平凡社『世界大百科事典』の編集長として1958年の完結まで陣頭指揮を執った林達夫だからこそ、イデオロギーの外側に立って、人間の精神そのものを見つめることができたのでしょう。1973年には朝日文化賞を受賞し、大江健三郎をはじめとする昭和の知識人たちが師と仰いだという逸話も、読み終えたあとには納得できます。自分の中にも、気づかぬうちに誰かへの忠誠を求め、あるいは求められている場面があるのかもしれない。そう思い当たった方には、この一冊をおすすめしたい気持ちです。
林達夫著『歴史の暮方 共産主義的人間』はこちらから読めます。
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