
ぽん太の中山道69次歩き旅(2)志村一里塚→大宮公園
こんにちは。ぽん太です。東京は9月は雨の日ばかりでしたが、ようやく10月になって晴天が戻ってきました。
10月4日に中山道歩き旅2日目を歩いてきました。前回短めだったので今回上尾あたりまで歩こうかとも思いましたが、せっかくなので、大宮の氷川神社・大宮公園に寄り道して参りました。
本日の行程
旅日記
2026年10月4日、快晴。今日は雲一つない秋の晴天だ。都営三田線志村坂上駅を8:30過ぎ出発。まずは旧道の清水坂を歩き、志村坂下方面へ向かう。また国道17号線に合流し、舟渡の荒川河川敷にて戸田渡船場跡を探す。



戸田の渡し
久しぶりの週末の晴天ということもあり、荒川河川敷には多くの人がジョギングやウォーキングを楽しまれている。
英泉の浮世絵にも描かれているように、かつては荒川には橋はなく、舟で渡っていたのだ。その舟渡し跡が河川敷にあった。
戸田橋を渡っている途中で、埼玉県に突入。戸田橋を渡り切ると、旧道へ入る。水神社や中山道の解説版などがある。









蕨宿
10時半頃、蕨宿の入り口に入る。蕨宿の碑のほか、木戸を模したモニュメントがある。ここから旧道に入ると、宿場町の雰囲気が感じられる。歴史民俗資料館があるので、入ってみる。無料なのがありがたい。蕨宿の勉強になった。
蕨宿は、江戸から2つ目の宿場であるが、さきほど渡ってきた荒川があるため川留めになることも多く、多くの旅人で賑わったそうだ。地名の「蕨」は、「藁の火」から来たようだ。綿織物業が栄えた時代もあり、機神社にその名残がある。

















浦和宿
12:20、浦和宿手前の調(つき)神社で小休止。今日は多くの参拝客でにぎわっている。租庸調の「調」と関係があり、伊勢神宮へ納める貢物(みつぎもの)(調)の初穂を納めた倉庫群の中に設立されたのでロジスティックスを考慮したため、鳥居がない神社となっている。
浦和宿は、幕府直轄領で、かつて鷹狩の休憩所(浦和御殿)があった。江戸から近いため旅籠が少なく、宿場町としては規模が小さかったようだが、毎月の2と7の日には「六斎市(ろくさいいち)」が立って賑わいを見せていた。調神社の近くには、歴史的な建物も少々見られる。








ランチタイム
そろそろお腹もすいていたので、浦和名物うなぎでも食べようと思ったが、満寿家はじめどこも混んでいたので諦め、菱富という洋食屋を発見。昔風のオムライスを注文。とてもおいしかった。写真を撮れなかったのが残念(12:40-13:10)。

浦和~大宮までの道
13時過ぎ、さてお腹もいっぱいになったので、歩き旅再開。
浦和宿の本陣跡がわかりづらく、どうやら県道の裏の公園にあることが判明。
浦和から北浦和、与野、さいたま新都心、そして大宮とJR沿いの県道沿いに進むが、このあたりの位置関係が今回歩いて初めて明確になった。かつては別の市であったが、2001年の大合併で「さいたま市」となったので、広すぎてかえってわかりにくくなったように思う。











大宮宿・氷川神社
15時過ぎ、ようやく大宮宿の入り口にあたる氷川神社一の鳥居に到着。ここから氷川神社までの参道がかつての中山道であったが、牛馬が参道を通るのは不敬ということなどの理由からか、寛永5年(1628年)に新道を開き、宿場を移した。
大宮宿は日本橋から4つ目の宿場町で、文字通り、氷川神社の門前町であった。人口は浦和宿とほぼ同じ規模であったが、馬継場を起源としていたこともあり、問屋場が多く、脇本陣も9軒あるなど大きな宿場であった。
いまは都市開発の影響で、宿場町の面影はほとんどない。
JR大宮駅前には15時半頃到着したが日暮れまでまだ時間があるので、氷川神社・大宮公園に立ち寄り、東武大宮公園駅まで歩くことに。








記録
総歩数:38,994歩
実際歩いた距離:約26.4km
訪れた宿場:蕨宿・浦和宿・大宮宿
渓斎英泉『木曽海道六拾九次之内』
02.蕨宿


03.浦和宿

04.大宮宿

おわりに
今日は秋晴れで歩くには最高の日でした。
まだまだ都市部を歩いているので、景色はあまりよいものではありませんが、途中柿の木があったり、キンモクセイの香りが漂うなど秋らしさを味わうことができました。
浮世絵を見ていると、浦和で浅間山が見えたり、大宮で富士山が見えたりしていますが、ビルに覆われた現在、なかなかそのような光景が見られないのは残念でした。
しかしこれから北上していくとだんだん高い建物も減ってきますので、山の景色を楽しみたいものです。
それでは皆さん、ごきげんよう。