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「足るを知る」というブレーキ

    人間には、もともと自分を前へ進ませる欲望がある。
    もっとお金が欲しい、もっと認められたい、誰かとの競争に勝ちたい、もっと綺麗になりたい、もっと知りたい、もっと成長したい。
    こうした欲望が、人を働かせ、学ばせ、競わせてきた。

    社会は、その欲望を後押しする仕組みを数多く作ってきた。
    収入や成績、順位、売上、フォロワー数など、「もっと」が数字で見える仕組みがある。
    広告は欲望を刺激し、美容産業はもっと綺麗になりたい人に商品やサービスを提供し、教育や自己啓発はもっと成長したい人を後押しする。
    金融の世界には資産を増やすための手段があり、SNSは人からの反応を数字で返してくれる。
    欲望そのものに加え、それを加速させる仕組みまで社会の中に増えてきた。

    「もっと」には市場が生まれやすく、仕事や教育でも成長や成果は評価につながりやすい。
    企業や組織には、アクセル側の仕組みを発達させる動機がある。

    一方、自分にとってどこからが「十分」なのかを判断するブレーキの仕組みは、アクセルほど発達していない。
    いくら稼げば十分なのか、どこまで綺麗になれば十分なのか、何人から認められれば十分なのか、どこまで成長すれば十分なのか、その基準は用意されていない。
    「もっと」に向かう方法は、社会の中に数多く用意されている。

    休養やマインドフルネス、ミニマリズムなど、生活や心身の負荷を減らす考え方も広がっている。
    それらも、高い生産性を取り戻したり、集中力や生活の効率を高めたりするために使われることがある。
    休むことさえ、再びアクセルを踏むための手段になる。
    いったん休んでも、その目的が再び高い成果を出すことなら、「もう十分」と判断するブレーキとは役割が違う。

    昔から「足るを知る」という言葉がある。
    ブレーキに相当する考え方として長く残ってきた。
    しかし、「足る」の地点をどのように決めるかという方法までは、ほとんど設計されてこなかった。
    言葉は残っていても、自分にとって何をもって十分とするのかは、自分で決めるしかない。

    アクセルには、それを開発し、商品にし、普及させる人がいる。
    数字、広告、商品、サービス、制度まで、さまざまな仕組みが積み重ねられてきた。
    一方、「もう十分」と判断するブレーキは、今も個人の感覚に大きく任されている。

    アクセルは仕組みとして発達した。
    ブレーキ側には、「足るを知る」という言葉が残った。
    アクセルを踏み続けなければならない状態は、それだけ事故を起こしやすい。
    「足るを知る」というブレーキを、個人の心構えのままにせず、もっと精密に設計し、社会に普及させることができれば、事故の少ない社会に近づけると思う。




    マガジンに掲載していただきました


     
     
    社会や政治、文明や科学、気ままに飛び回ります。「人はなぜそう動くのか」を探ることを大切にしています。未来を仮想したり、歴史をひっくり返したり、少し極論に寄ったりもしますが、真面目さと遊び心を行き来しながら、日々のエッセイが小さな思索の種になれば嬉しいです。

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