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「考えろ」が当たり前の社会で

    理性的な判断が求められる場で感情を持ち出すと、その感情はノイズとして扱われ、脇に置かれやすい。
    一方、感情を共有している場で、その感情の分析を始めると、今度は思考がノイズとして扱われやすい。
    思考と感情には、それぞれが優先される空間がある。

    現代社会では、少なくとも公の場では、理性的であることが正しい態度として求められる。
    感情を表に出すことは弱さや未熟さと見なされ、人は感情を抑えて考えることを強いられる。

    理性を優先することを求められるほど、感情に素直でいられることが、一種の解放になる。
    だからこそ、現代社会では、感じることの価値が際立つ。

    「考えるな、感じろ」

    この言葉が強く響く理由の一つは、考えることが優先され、感じることが後回しにされやすい社会にあるのではないだろうか。

    もし、感情によって物事を決め、思考は補助的なものとして扱われる社会だったら、どうだろう。

    そこでは、

    「感じるな、考えろ」

    という言葉が、人々の心を動かすのかもしれない。

     
     
    社会や政治、文明や科学、気ままに飛び回ります。「人はなぜそう動くのか」を探ることを大切にしています。未来を仮想したり、歴史をひっくり返したり、少し極論に寄ったりもしますが、真面目さと遊び心を行き来しながら、日々のエッセイが小さな思索の種になれば嬉しいです。

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