
「考えろ」が当たり前の社会で
理性的な判断が求められる場で感情を持ち出すと、その感情はノイズとして扱われ、脇に置かれやすい。
一方、感情を共有している場で、その感情の分析を始めると、今度は思考がノイズとして扱われやすい。
思考と感情には、それぞれが優先される空間がある。
現代社会では、少なくとも公の場では、理性的であることが正しい態度として求められる。
感情を表に出すことは弱さや未熟さと見なされ、人は感情を抑えて考えることを強いられる。
理性を優先することを求められるほど、感情に素直でいられることが、一種の解放になる。
だからこそ、現代社会では、感じることの価値が際立つ。
「考えるな、感じろ」
この言葉が強く響く理由の一つは、考えることが優先され、感じることが後回しにされやすい社会にあるのではないだろうか。
もし、感情によって物事を決め、思考は補助的なものとして扱われる社会だったら、どうだろう。
そこでは、
「感じるな、考えろ」
という言葉が、人々の心を動かすのかもしれない。