
スキを押せないと、読むのを止めてしまう。応援したい人が増えたから
最近、フォローしている方の記事を読むことが増えました。
気になった記事を開いて、読んで、いつものようにスキを押していきます。
でも、ときどき途中で気づきます。
「あれ? これ、もしかしてスキ押せてなくない?」

最初は気づかないこともあります。
押したつもりで次の記事へ進んで、また押して。
何記事か読んだところで、ようやく反映されていないことに気づきます。
スキを押せないと、読むのを止めてしまう
短時間にたくさんスキをすると、しばらく押せなくなることがあります。
仕組みとして必要なのは分かります。
機械的に大量のスキを押すような使い方もあるでしょうし、何も制限しないわけにもいかない。
もし自分が仕組みを作る側だったとしても、たぶん同じような結論になると思います。
それでも。
押せないと、やっぱり少しつらいです。
私はそこで、いったん記事を読むのを止めてしまいます。
読んだのに、そのことを相手へ伝えられない感じがするからです。
私にとってスキは「応援」です

私にとってスキは、
「この記事を全部理解しました」
という意味だけではありません。
もちろん、面白かったとか、参考になったとか、共感したとか。
そういう気持ちもあります。
でも、それと同じくらい、
「読んだよ」
「応援しています」
「フォローしてくれてありがとう」
という気持ちで押しています。
フォローしてくださった方の記事は、できるだけ読みに行きたいと思っています。
ただ、正直に言えば、内容が難しくて全部は理解できない記事もあります。
専門外だったり、知らない分野だったり。
読んでも頭に入ってこないこともあります。
でも、
内容を全部理解できることと、その人を応援したいことは別です。
フォローしてくれたことがうれしい。
記事を書いていることを応援したい。
その気持ちは残ります。
制限が必要なのは分かる。それでもやるせない

スキの制限そのものをなくしてほしい、とは思っていません。
たぶん、それは難しいと思います。
エンジニアとして仕組みを考えてみても、運営側なら同じような制限を入れると思います。
だから、理屈では理解できます。
でも、
理解できることと、やるせなくないことは別です。
押したかったスキを押せないと、
「ちゃんと読んだのに」
という気持ちだけが残ります。
あとで戻れる仕組みがあったらうれしい

スキを押せなくなったら、私はそこでいったん読むのを止めます。
ただ、直前に押せなかった記事は、あとで履歴から戻っています。
スキが押せるようになったら、そこからもう一度見に行きます。
それでも、全部覚えているわけではありません。
何記事か取りこぼしているかもしれません。
もし一つだけあったらうれしい機能を挙げるなら、
「スキできなかった記事」
をあとで一覧で見られるようにしてほしいです。
制限はそのままでいい。
でも、
押したかった記事だけ残ってくれたら、あとでちゃんと戻れます。
それだけでも、かなりうれしいと思います。
応援したい人が増えたことが、うれしい

最近、このことを考えていて、ふと気づきました。
前よりスキ制限がつらく感じるのは、
noteが使いにくくなったからではありません。
応援したい人が増えたからなんだと思います。
以前より、名前を覚えている方が増えました。
コメントをくださる方も増えました。
記事を見かけると、
「あ、この人の記事だ」
と思うことも増えました。
そういう人たちが少しずつ増えてきたから、
押したかったスキを押せないことが、前より気になるようになったのかもしれません。
そう考えると、このやるせなさも全部が嫌なものではない気がします。
noteを続けてきた中で、
応援したいと思える人が増えた。
それ自体は、すごくうれしいことです。
いつも読んでくださる方。
スキをくださる方。
コメントをくださる方。
本当にありがとうございます。
もし私からスキが付いていないことがあっても、
読んでいないとは限りません。
押したかったのに、押せなかっただけかもしれません。
そして押せるようになったら、
またこっそり戻っているかもしれません。
