
漁業協同組合ってどんな組織?
お魚ってどうやって取ってるの?
そんな疑問を持ったこと、ありませんか。
私たちが当たり前のように食べている魚ですが、誰でも自由に海に行って獲っていいわけではありません。「みんなの海」だからこそ、ルールなく乱獲すれば魚はいなくなり、争いが起きてしまいます。
そんな漁業協同組合の成り立ちを北海道白糠町にある「白糠漁業協同組合」の視点から見てみよう、というのがこの記事です。白糠の海で、魚と人の関係を調整し続けてきた「漁業協同組合(漁協 . 漁組とも呼ばれる...)」の役割と歴史を紐解いていきましょう!

1. ルーツは江戸時代の「場所」にあり
漁協のルーツは、実は江戸時代まで遡ります。
寛永9年(1632年)、松前藩によって「白糠場所」が開設されました。当時の「場所」とは、藩から許可を得た商人がアイヌの人々と交易を行い、漁業を営む独占的なエリアのことでした。これが、特定の海域で特定の人が漁をする権利、現代の「漁業権」の原点と言われています。
明治時代に入ると、北海道(当時の蝦夷地)は国の直轄となり、開拓が進みました。漁業者が増えるにつれ、漁場の奪い合いなどのトラブルを防ぐため、地元の漁業者たちが集まってルールを決める「漁業組合」が各地で生まれ始めました。 戦後、民主的な組織として現在の「漁業協同組合」が法的に整備され、海の管理を担うようになりました。
💡ポイント:場所 → 漁業組合 → 漁業協同組合

2. 「漁業権」 海を耕す権利
漁協が管理する最も重要なものが「漁業権」。これは「海そのものの所有権」ではなく、「一定の海域で、特定の漁業を排他的に行う権利」のことです。
なぜこのような権利が必要なのでしょうか?
定置網漁のように巨大な設備を海に設置する場合、場所が重複すれば漁になりません。また、ホタテや昆布のように動かない資源は、誰かが管理しなければ獲り尽くされてしまいます。 農家が自分の畑を耕すように、漁師も決められた海の区画(漁場)を管理し、責任を持って漁をするために漁業権が存在するのです。
💡北海道の立ち位置:当時の蝦夷地に入植し、漁場の管理を行なっていった背景には、鎖国と米経済江戸幕府による統治が関連しています。お米が経済の中心であり、新田開発のために「肥料」の需要が高まっていく。その肥料として北海道で大量に取れる鰊(にしん)がありました。本州のために開発された食糧庫としての北海道だったのです。
江戸後期には、東北から200~300人余りが釧路地域に移住し漁業者に、今でも白糠の方には東北訛りが?!

3. 「獲る」から「守る・育てる」へ
漁協のもう一つの重要な役割が「資源管理」です。
魚は無尽蔵ではありません。特に近年は気候変動により、白糠でもサケやシシャモが減少し、ブリが増えるといった激変が起きています。
• 自主規制の難しさ:
白糠では、シシャモ漁において「漁獲量制限」や「子持ち(メス)の捕獲制限」など、漁協や漁師が話し合って厳しい自主規制を行ってきました。しかし、海水温上昇などの環境変化に対し、従来の規制だけでは資源回復が難しいという現実に直面しています。
• 新しい資源への対応:
近年急増した「ブリ」については、国による漁獲枠(TAC)の管理議論が進んでいますが、現場では「獲りすぎないようにどう管理するか」が模索されています。

4. 現代の漁協が直面する「新しい波」
現在、この管理システムは大きな転換期を迎えています。
海水温の上昇により、サケやシシャモが減り、ブリが急増するといった「魚種交代」が起きています。 国が定める漁獲可能量(TAC)と実際の現場の状況にズレが生じたり、新しい魚種(ブリなど)に対する管理ルールが追いついていない現状があります。
白糠では今、従来の「獲る」管理だけでなく、漁協や漁師、民間企業が連携し、資源を守りながら価値を高める新しいルール作り(独自の資源保護活動など)への挑戦が始まっています。

📖起きていること
2025年10月下旬、国(水産庁)が管理するスルメイカ(小型イカ釣り漁)の年間漁獲枠(TAC)の上限を超過。函館を含む北海道の漁師たちが、これからが最盛期というタイミング(10月22日頃)で「休漁(事実上の操業停止)」を余儀なくされました。都道府県知事が許可を出せる「特別採捕(試験操業)」という枠組みを活用し、北海道全体として、この試験操業のために確保された枠は約400トン
👁️問い
TACが目の前の海に良い影響を出していると実感することはありません。だとすると、前浜で自主規制やその規制に耐えられる漁業づくりが「持続可能な漁業」に近づけるということ?
Photo by : 砺波周平