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あなたの「何者かになりたい」の行く末を知る方法

    シロイは今でこそ本業で物書きをしていますが、30代半ばまでは自動車部品メーカーや検査機器メーカーでずっとソフトウェア開発の仕事をしていました。

    プログラミングは私が最初に夢中になった趣味であり、最初に手にした創作のフィールドです。ちょっとした自慢として、中学時代には既にいくつかのパソコン雑誌の付録に自分のソフトが収録されていたりもします。自分で投稿したとかではなく、すべて雑誌編集部からの選出によってです。また、10代のうちに国家資格の応用情報技術者(当時の名称はソフトウェア開発技術者)を取得していたのも世間的には珍しいことだと思います。

    新卒でエンジニアとして働き始めた直後も、私は(今思えばかなり未熟だったとしても)自分が「通用する」ということに手ごたえを感じていましたし、きっとこれが天職なのだと思っていました。

    しかし、実際にはそうではなく、これはその後10年以上も続くメンタル疾患とエンドレス休職退職転職地獄の始まりに過ぎなかったと判明することになります。この辺のお話については、過去記事「今、メンタルの病気で休職しているあなたへ」(2026.5.9)で詳しく書いたとおりです。

    「ここは自分のいるべき場所ではなかった」という感覚をはっきりと抱えるようになったのは、まだ25歳にもなっていない頃のことです。そうであるにも関わらず、私が現実にその業界から離脱したのは10年以上もあとの話になるので、生活の圧力というのは本当に綺麗事ではないよなと思います。

    今の私が簡単に儲かります系の話にめちゃくちゃ手厳しいのは、たぶんこのときの経験と実感が強く影響しています。生活っていうのは人間性を変えちゃうくらいのものなんですよね、本当の本当にね。

    🐟 🐟 🐟

    さて、今回のタイトルには「何者かになりたい」というお馴染みの表現を据えています。つまり、あなた自身のその行き場のない感情をどう扱うべきで、その答えは最終的にどこに見つかるのかという話です。

    私自身のエピソードを冒頭に持ってきたのは、「10代前半から夢中になっていた得意分野を職業にした人間でも、現実はあっさりそれを裏切ることがある」という実例を示したかったからです。そんなにも早くから「自分が本当にやりたいこと」を見つけた人など、おそらく世間では10人に1人もいないのではないでしょうか。これは明らかに幸運なケースに該当していたはずです。

    「○○さえあったらなあ」と言っている人の問題が「本当に○○さえあれば解決する」ことなどほとんどない…という話を以前何かで読んだことがあります。「本当にやりたいこと」というのも、その○○として空想されがちなものの一例なのかもしれません。私の20代での八方塞がり的心理状態についても、特殊な例外ケースでは全然ないと思います。

    ここで、私個人にとっての「何が自分の適職や天職とズレていたのか」という点については、純粋な職業選択や環境の選択、キャリア設計といった視点の話になるので、また機会があれば別の記事で改めて考えることにします。今回の記事で注目したい点は別にあります。

    「何者かになる」という言い回しには、これらの実務的な視点とは異なるニュアンスがあるでしょう。好きなことを仕事にして成功するのがベストだとはされていても、これは基本的には「生き様」みたいな問題であって、仮に自分の事業に失敗して、最後には別のありふれた職業で静かに生活するようになったとしても、信じるもののために生活を賭して挑んだのならば、それは立派です。その人は既に借り物の人生ではない、自分の人生を生きています。

    早くも答えが示されたことに気づきましたか? 「何者かになる」というのは、あなたがあなたであるようになるという意味です。成功した他人のようになろうとすることには意味がありません。あなたが無名から始まって、一定の仕事を成し、その界隈で多少なりとも有名になったとしても、基準があなたの中にないのなら、その成功もやはり借り物です。

    あなたは別に最初からあなたでしかないので、ここに「なる」とか「ならなければならない」という発想が出てくるのは本来おかしなことでしょう。そのように感じられるとしたら、真の問題は外的な何かを「獲得できていない」「達成できていない」ことではなく、内的な意味で「あなたが本来のあなたになっていない」という点にあります。

    環境もスキルも信用も「頑張って獲得していくもの」であることは事実なので、そういう現実的なあれこれを無視せよと言っているのではないです。しかし、メンバーシップ概要の記事に「そこにあなた自身の納得がないなら、いかなる努力も達成も財産も空しい」と書いたとおり、それらの努力も結局は苦痛でしかないと感じられてはいないでしょうか。自分が自分になっていないのなら、それはおそらくそうなります。

    さっきのエピソードで言えば、趣味的なプログラミングをしているときの私は紛れもなく私であったのですが、いわゆるJTC的な企業文化の中で、私は私以外の何かにならざるを得ませんでした。それによって、心身の限界という差し迫った問題、さらには「これほどまでに苦しい自分の人生に、自分にとって真実味のある意味が何一つとして見つからない」という根深い苦悩に見舞われていたというわけです。

    🐟 🐟 🐟

    あなた自身の話に戻りましょう。「何者かって具体的に何なんだよ」ということが自分でもわからないとしたら、その目的地を知るための唯一の方法は自己理解です。

    これが解決されていない限り、自分の中に抱かれる欲求はすべて他人の欲求のコピーでしかなくなるので、あなたの努力はあなたを満たさないものになります。この状態から「何者かになれる」という未来が引き出されることはないと思ってください。

    「何者でもない自分」に対する空虚さ、フラストレーション、劣等感といった感覚につきまとわれているとき、私が「確実に行っておくべきこと」として理解していることが一つだけ存在しています。

    もちろん、これは「そうすれば必ず解決できます」という意味ではなく(そういういいかげんな嘘を言うつもりはありません)、「そうしない限りはあなたの心の穴は永遠に埋まらないと思うよ」という意味です。私はいつでも「たった一つの魔法の解決法」の存在を否定しているのですが、「それ一つで失敗が約束される」というルートは明らかに存在しています。

     
     
    著述家、ソフトウェア開発者、コンサーティーナ奏者、ときどき短歌。相棒はもちもち白文鳥のふみ子3歳です

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