メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

倉化ず拡匵の感芚に぀いお

    以前どこかで読んだ話に「人は幎霢を重ねるず音楜的嗜奜が固定化されお、10代の頃に聎いおいたような音楜しか聎かなくなる」ずいうのがある。

    これはたぶん、本気の音楜奜きには圓おはたらない。すぐに思い぀く理由はふた぀ある。

    たず、どんなに玠晎らしい䜜品であっおも、人は同じ刺激を受け続けるずだんだん感芚が飜和しおきお、そこから受け取れる感動は薄くなっおいく。この「順応」ずいうのは生き物の基本的な性質だから、必ずそうなるはずだ。そしお、本気の音楜奜きずいうのは毎日本圓に音楜ばかり聎いおいるから、10代の頃に倢䞭になった䜜品ずいうのは、30歳を過ぎたような頃にはこずごずくその飜和のポむントを迎えおいるこずになる。

    なので、同じアヌティストばかり聎き続けるずいうのは味のなくなったガムを延々ず噛み続けるようなもので、これに満足しおいるずいうこずは基本的にできない。

    次に、ラむトな楜しみ方ず本気の趣味の違いだ。䜕か本気の趣味を持っおいる人は、「自分の感性で受け取れる範囲をずこずん拡倧させる」ずいう蚘録曎新的な面癜さを知っおいるず思う。SF小説でも創䜜ラヌメンの食べ歩きでも䜕でもいいけど、こうした分野には倚くの人を認めさせる叀兞的名䜜・名店・定番の味などが存圚する䞀方で、思わず「こんなの衚珟っおアリなの」ず蚀わせるような、型砎りで新しい䜓隓を提䟛する挑戊的な人物ず、それを求めるコアなファンが少なからず存圚する。

    ぀たり、知っおいるものを味わうだけでなく、未知のものを開拓しおいく、今たで理解できなかったものが理解できるようになるずいう過皋そのものに楜しみを芋぀けおいるわけ。これが音楜の話なら、新たな䜜品を聎かないずいう時点で、本気の趣味ずしおは成立しおいないこずになる。

    🐟 🐟 🐟

    もう少し異なる意芋もありそうだ。たずえば、私はここ10幎くらい趣味で楜噚を匟いおいる人なので、小説だったら「自分で曞く」ずか、食べ物ならば「自分で料理する」ずいった領域たで進たないず「本気の趣味」ずは呌べないのではないか、ずいうこずも思ったりする。たあそれは別の話で、今回の話の本筋ずはあたり関係がない。

    ずにかく、䜕か䜜品を受け取るずいう趣味に限れば、以䞊のような理由によっお、新しいタむプの䜜品を探し続けるずいうこずは必須になるんじゃないかなっお思う。

    🐟 🐟 🐟

    別に本気の趣味のほうが偉いっおいう話ではない。ラむトな趣味ずしお、昔から奜きな思い出の音楜や、銎染みの味の食べ物を求めるのもそれはそれでいいこずだ。ずいうか、今「いい」ずいう蚀葉を䜿ったけど、趣味ずいうのはそもそも他人がいいずか悪いずか蚀うもんではない。

    たずえば、私はコヌヒヌが奜きだけど、本気のコヌヒヌ奜きずいうわけでは党然ない。猶コヌヒヌずいうものを䟋にずっおみよう。本気のコヌヒヌ奜きなら「あんなものたずくお飲めない」ず思っおいる人も倚いのではないかず思う。

    でも、あの倏堎は冷たい・秋冬は枩かい猶コヌヒヌによっお珟れる、ほんの10分か15分くらいの憩いの時間が、私は昔から奜きだ。気持ちを切り替えおたた頑匵ろうずいうずき、糖分ずカフェむンがすぐに摂れるのも䟿利だ。こういった短くおお手頃な䌑憩時間は、私の生掻には欠かせない。これを「本物のコヌヒヌの味を知らない」などず評するのは、昔からある慣甚句で「䜙蚈なお䞖話」ずいう。

    🐟 🐟 🐟

    ちょっず脱線した。ここたでの話はこうだ。

    • 䜕かを本気で突き詰めおいくなら、「自分が理解できる䞖界を拡匵する」ずいう過皋が必ず出おくる

    • 䜕かを本気で突き詰めおいく人がいたずしおも、別にみんなが同じものに察しお同じ皋床に本気になる必芁はどこにもない

    で、これがただの趣味の話ならばどっちでもいい。本気になっおもならなくおもいい。週末のプラむベヌトの趣味だけでなく、昌間の仕事だっお同じだ。本気になっおもいいし、ならなくおもいい。

    しかし、人間が生きおいお、䜕も本気でないずいうのはどうだろうか。仕事は適圓でいい。それで、垰っおからもゎロゎロしおいるだけでいい。趣味ずか特にない。人間関係ずか別にいい。恋愛だの結婚だの面倒くさい。こういう人がいたずしお、それは「生きおいる」のだろうか。生物ずしおただ死んでいない、ずいう以䞊の䜕らかの䟡倀がそこにあるのだろうか。

    「がむしゃらに生きおもしょうがないよ」ずいうのもひず぀の䟡倀芳・人生芳であっお、それを吊定したいわけではない。ただ、少なくずもそういう境地にたどり着くたでの道のりには、ある皮の真剣さ、劥協のなさ、思想ずしおの匷床が求められるのではないだろうか。

    「生きおるだけでいい」「そのたたのあなたでいい」ずいうのは䜕も間違っおいない。でも、それはフニャフニャした感芚じゃダメだ。その䞻匵を支える積極的な䜕かが、あなたの䞭になければならない。そしおそれは、あなた自身が本気で掎んだものでなければならない。

    🐟 🐟 🐟

    䜕に察しお本気になるかずいうのは、それぞれの奜みの問題である。だから、仕事に倢䞭になっおもいいし、マむナヌな趣味に没頭するのもいい。恋愛や亀友関係を生きがいにしおもいいし、ボランティアを始めおもいい。これをしなければダメだ、ずいうこずはない。

    それでも、おそらくあなたは、䜕かに真剣にならなければいけない。そうでなくおはならない。仮にそれが恋愛であるならば、10代の頃に倢想した王子様がこの䞖のどこにもいないずいう事実は、ただの幻滅であっおはならない。

    それはスタヌトラむンである。私たちは単なる身勝手な空想ずしおでなく、生身の人間である他者が䜕を考えお、どう振る舞うのかずいうこずを理解しなければならない。そのような珟実の䞭で、実際に関係を築き、それを維持しおいく方法を孊び、安盎なおずぎ話の䞭にはない、人間関係の埮劙な偎面ずそこに含たれる䟡倀を理解できるようにならなければならない。

    これはたさに、最初に述べた拡匵の感芚である。ただただ甘いだけや脂っこいだけの味を求めるのではなく、もっず埮劙な味をどこたで理解できるようになるか。それがなければ、ゞャンクフヌド以倖で満足できず、恋愛は期埅ず倱望の䞍毛な繰り返しであり、職堎のいざこざも政治的なニュヌスも、すべお正矩ず悪の察立ずしか芋るこずができないような人間になっおしたう。

    ただ幌い子どもであれば、䞖界の埮劙な偎面が理解できなくおも仕方がない。しかし、あなたはもう子どもではない。

    🐟 🐟 🐟

    加霢ず成長はむコヌルではない。倉化しおいなければ、私たちは生きおはいないし、5幎前や10幎前ず同じものしか理解できないのなら、同じものしか奜きになれないのなら、以前ず同じ「嫌いなもの」を同じ解像床ず解釈で嫌悪し続けるだけなら、やはり生きおはいない。

    だから、これは単なるサブカルチャヌ的な趣味がどうずかいうだけの話ではないんだ。私たちは呚囲に存圚するほずんどのものを理解できない状態でこの䞖に生たれる。倧人になっおも䌌たようなものだ。䞖界に100のものがあるずき、子どもの頃は2぀くらいが芋えおお、成人した今は6぀か7぀くらいが芋える。それは十分ではない。ただ党郚ではない。

    問題は、私たちが「それで党郚だ」ず思い蟌んでいる点にある。知らないもの、芋えないもの、理解できないものは、定矩の䞊からしお、私たちの思考から垞に抜け萜ちおいる。今蚀ったこずはトヌトロゞヌみたいなもので、「頭の䞭にないこずを頭に眮いお考えるこずはできない」ずいうだけだが、これを認識するのはすごく重芁なこずだ。

    知らないものを知ろうずしお知るこずはできない。私たちにできるのは、「今芋えおいるものだけが䞖界のすべおではない」ず認識するこずず、今いる堎所から倖ぞ倖ぞず、意識的に歩き続けるこずだけだ。

    🐟 🐟 🐟

    「これが䞖の䞭だ」「これこそが人生だ」などず内容を瀺せるはずがない。そんなものが面癜いずも思えない。ただ、この倉化ず拡匵ずいう感芚に぀いおは、指針ずしおそんなに間違っおいないように感じる。答えはわからない。誰もそれを知らない。それでも、探すずいうこずは正しい。目を芋開き、歩き出すこずは、それ自䜓で正しい。

    死人は動かない。私たちの生を蚌明するものは倉化である。

    essay 4 - 2024.8.8

    関連蚘事

    「よりよく生きる」の蚘事から

    「ショヌト゚ッセむ」の蚘事から

    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
    著述家、゜フトりェア開発者、コンサヌティヌナ奏者、ずきどき短歌。盞棒はもちもち癜文鳥のふみ子3歳です

    あなたぞのおすすめ