
別冊06:クロッキーの意味……「クロッキー」とは?
『クロッキー解体新書「二律のモメンタム」』として、
その技法、考え方を体系立てて残そうというコンセプトのもと、執筆を開始して約5カ月。
少しずつではありますが、各方面からいろいろと反応があり、嬉しいかぎりです。
そんな中で、あらためて書き残しておきたいと思ったことがあります。
それは、そもそも「クロッキー」とは何なのか。
クロッキーの定義や位置づけ、役割、目的、そして意味について考えます。
■ クロッキーとは?
まず、言葉としての「クロッキー」について。
「クロッキー(croquis)」は、フランス語で、「速描」を指します。
小学館『デジタル大辞泉』では、「人物の動き・量感などを、短い時間でおおまかに写しとる素描。速写。」と定義されています。
また、『精選版 日本国語大辞典』では、短時間で全体の感じを大まかな線や陰影で描く「技法」と、その「絵」の両方を指す言葉として説明されています。
一方、近しい言葉として「デッサン(dessin)」は、これもフランス語で、主に「素描」を指します。
小学館『デジタル大辞泉』では「素描。下絵。」とされ、『精選版 日本国語大辞典』では、「対象を単色の線で簡潔に描くこと、またその画。」と説明されています。
つまり、「クロッキー」と「デッサン」は、必ずしも明確に切り分けられている言葉ではありません。
ただ、実際に絵を描くことについて考えていくと、「デッサン」と「クロッキー」には、明確な違いがあると考えます。
また、辞書の定義だけでは、その意味は狭すぎるとも感じます。
※「デッサン」については、本篇でかなり深掘りしていますので、ここでは割愛します。
■ 「クロッキー=練習」になっている理由
クロッキーは、絵を描くための「基礎的なトレーニング」として扱われることが多いと思います。
たとえば、
全体の形を捉える
空間を認識する
人体の動きや流れを捉える
短い時間の中で、必要なものを判断する
線を繰り返し引くことで、感覚を身につける
など。
いわば、デッサン力や人体の理解を高めるための「練習」としてクロッキーを行う。
これは、もちろんクロッキーの大切なひとつの面です。
だからこそ、
「クロッキーが上手くなりたい」
「クロッキーを練習したい」
という言葉も、問題なく成立します。
でも、ここで少し気になることがあります。
■ 「クロッキーを上手く描く」とは?
そもそも、もしクロッキーは「練習」と考えるなら、
「クロッキーを上手く描く」
というのは、何を意味するのでしょうか。
たとえば、
「人体のデッサン力を上げたいからクロッキーをする」
というのであれば、目的ははっきりしています。
漫画を描くために人体を理解したい。
人物やモノを描くための「形」の取り方を身につけたい。
シンプルに形を捉える感覚を養いたい。
そうした目的のために、クロッキーを描く。
それなら、よく分かります。
でも、
単に「クロッキーが上手くなりたい」
となったとき。
では、その「上手いクロッキー」とは何なのでしょうか。
「練習」とは、本来、何かの目的を達成するためのものだと思います。
野球で言えば、試合で打てるようになるために、バッティングの練習として「素振り」をする。
素振り「そのもの」が上手くなることが目的なのではなく、その先にあるもののために素振りをするわけです。
では、「練習」と捉えているクロッキーの場合、「クロッキーが上手くなりたい」とは、その先には何があるのでしょうか。
「クロッキーが上手くなるために、クロッキーをする」??
「素振りが上手くなるために素振りをする」??
ここが、少し引っかかるところなのです。
■ クロッキーは「練習」なのか?
『クロッキー解体新書「二律のモメンタム」』を書いているのは、ここにも理由があります。
もしクロッキーを、あくまでデッサンや絵を上達するための「練習」とだけ考えるのであれば、この本で書いている内容は、少しズレてしまう。
だってそうでしょ?
私は、クロッキー自体を「作品」と位置づけています。
ここが、私のクロッキーに対する基本的な考え方です。
クロッキーは、何か別のものを上達させるためだけの練習ではない。
クロッキーそのものを、ひとつの表現として成立させること。
だからこそ、
「では、作品とは何なのか?」
というところまで考える必要が出てきます。
そして、それが『クロッキー解体新書「二律のモメンタム」』で書いている内容につながっています。
■ 「クロッキーが上手い」とは何なのか
もちろん、クロッキーを練習として行うこと自体を否定しているわけではありません。
人体を理解するために描く。
デッサン力を高めるために描く。
動きを捉えるために描く。
そうした目的に対して、「クロッキー」という方法を使う。
それは、とても自然なことです。
ただ、その一方で、
「クロッキーを描くこと自体が目的」
になったときには、少し話が変わってきます。
何をもって「良いクロッキー」とするのか。
何を残し、何を削るのか。
どこまで描けば成立するのか。
どの線を選ぶのか。
速描であるがゆえに、そうした判断そのものが、クロッキーを作品として成立させることにつながっていく。そう考えています。
だから、
「クロッキーが上手くなりたい」
と思ったとき。
その「上手くなりたい」は、いったい何を指しているのか。
「デッサン力向上のためのクロッキーなのか。」
「技術(線タッチなど)向上としてのクロッキーなのか。」
「人体を理解するためのクロッキーなのか。」
それとも、「クロッキーそのものを作品として成立させることなのか。」
ここを一度、自分の中で考えてみてもいいのではないでしょうか。
何のためのデッサンなのか?
何のためのクロッキーなのか?
その目的が少し見えてくるだけでも、クロッキーやデッサンとの向き合い方は、自ずと変わってくると思います。
そして、自分が何を求めてクロッキーを描いているのかが分かれば、今までとは少し違った見え方で、「クロッキーそのもの」を見ることができるかもしれません。
クロッキーって、本当に楽しいものですよ。

© Artworks & Diagrams|Shu Natsume [1st-s Atelier]
▼『 クロッキー解体新書』~ 二律のモメンタム
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