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寺は、変わったか――ある改革派僧侶の死@編集長日記

    長野県にある臨済宗妙心寺派・神宮寺の元住職だった、高橋卓志氏が77歳で亡くなりました。

    近年はガンで闘病中という話も聞いていました。

    まずはご冥福をお祈りします。

    この高橋氏の世間一般における知名度というのはわかりませんが、2009年に『寺よ、変われ』(岩波新書)という本を書いて、仏教界内部にはそれなりの衝撃をもたらした、いわゆる「改革派僧侶」の代表的存在だった人です。

    すなわち高橋氏とは、旧態依然とした日本の仏教寺院のあり方を「葬式仏教にとらわれている」といった形で厳しく批判し、寺はもっと社会に開かれるべきだ、僧侶はもっと現代人の苦しみに向き合うべきだと説き、さまざまな活動に取り組んでいた人物だったのです。

    こうした高橋氏の活動に影響されたお坊さんたちも少なくなく、2000~2010年代ごろには、彼のような「反葬式仏教を掲げる改革派僧侶」といった人たちが、そこかしこに珍しくなくいたものでした。

    しかし、ここであえて言うのですが、その後の日本の仏教界、つまりお寺業界が、高橋氏の訴えたごとく「変われたか」というと、なかなか難しい現状があります。

    前述した高橋氏の著書『寺よ、変われ』は、当時の日本仏教界に対する、実に厳しい問題提起の本でした。

    高橋氏は1948年、長野県の寺に生まれ、やがてその住職となった、いわば典型的な「世襲僧侶」です。

    しかし高橋氏は、ただ血統によって寺を継ぎ、葬儀や法事を繰り返すだけの生き方に、強い疑問を抱いていました。

    同書によると高橋氏は学生時代、友人から「お前の家は、人が死んだら儲かる」などと言われ、苦悩した経験もあったそうです。

    日本の仏教界では「葬式仏教」という言葉が、かなり否定的な意味で使われています。

    お坊さんが日々取り組んでいる仕事といえば葬儀と法事ばかり、生きている人々の悩みや苦しみに向き合っていない、これで本当に仏教といえるのか――という状況に対する批判の言葉です。

    高橋氏は、そうした仏教界の現状を何とか変えようとした人でした。

    高橋氏は自分のお寺で、芸能人や文化人を招いてのイベントをたびたび開き、音楽コンサートなども行い、従来の檀家ではない人々にも、寺の門戸を開きました。

    また、さまざまな社会問題に対する発言も多かった人です。

    そういう高橋氏に影響を受けたお坊さんがたくさん現れたことは前述した通りで、その後の日本仏教界には高橋氏のような形で、お寺でイベントをしたり、喫茶店を開いたりしていたお坊さんたちが本当に多々現れ、またそうした形こそが「日本仏教のあるべき未来の姿である」と、マスコミに華々しく取り上げられていた時期もあったのです。

    ただし、これは事実であり、これまでも私がたびたび言ってきたことですので、高橋氏の訃報を前にしてもあえて書きますが、私はそうした「改革派僧侶」たちの姿勢に、以前からある種の疑問も持っていました。

    まず、高橋氏が住職をしていた神宮寺というお寺は、彼が著書に実際に書いていることなのですが、檀家数500軒超という、一般の寺院と比べれば、かなり恵まれた運営基盤を持つお寺でした。

    もちろん、大きなお寺だからといって、その住職が何も努力せずに豊かな生活を送れるわけではありません。

    高橋氏が、そのお寺の運営や改革に注いだ努力は、正当に評価されなければならないと思います。

    しかし、それでも問題は残ります。

    高橋氏のように、多くの檀家を抱えるお寺の住職であれば、従来の葬儀や法事から得られる収入を基盤としながら、さまざまな事業に取り組むことも可能です。

    お寺としてのスタッフ(従業員)を新たに雇い、文化的な催しを企画し、またお寺のなかに自前の葬儀社的な部門や、福祉部門を立ち上げて、そこでいわゆる「新規事業」のようなことを始める動きもとれるはずです(実際、高橋氏とはそういうことをやっていた人でした)。

    しかし、日本の地方にある小さなお寺の住職が、そうした活動を簡単に模倣できるでしょうか。

    そうした、むしろ日本全体のなかでは多数派である「小さなお寺の住職」たちは、日々の葬儀や法事をこなし、お寺の維持管理をするだけで手いっぱいで、そもそもお寺から得られる収入だけでは暮らせず、別の仕事を持っているお坊さんも少なくありません。

    そういうお坊さんたちに対し、「寺をもっと社会に開きなさい」「地域のために新しい活動を始めなさい」と訴えても、なかなか難しい注文でしょう。

    実際に高橋氏の活動に対しては、生前より仏教界内から「あれは神宮寺だからできることだ」との声もあがっていました。

    そしてまた高橋氏以外の「改革派僧侶」に関しても、よく見れば元から富裕なお寺の住職といった人々が珍しくありませんでした。

    もちろん、私は彼らの努力や熱意を否定しているわけではありません。

    しかし、日本の多数派のお寺やお坊さんたちが置かれている経済的、社会的な条件を考えたとき、彼らがいわゆる「改革派」の活動をどれだけ現実的な手本にできたのかという問題は、そういう「改革派」にそこまでの勢いがなくなった今こそ、検証されてしかるべきだとは思います。

    そもそも、彼らがいわば目の敵にしていた「葬式仏教」は、そこまで悪いものなのでしょうか。

    これは実際に、さまざまな仏教界関係者らと話していて、よく指摘の声として出てくるものなのですが、世間の一般の人々は「お坊さんがお葬式をすること」を、それほど否定的に考えていません。

    むしろ、それは「当たり前のこと」だと考えています。

    ところが、お坊さん自身は、「葬儀ばかりやっていること」に強いコンプレックスを抱いている場合があり、特に真面目なお坊さんほど、そうした思いを抱きやすいのです。

    確かに、日本人の葬儀や法事に対する考え方は、昔とは大きく変わっています。

    高額なお布施や戒名料に疑問を持つ人は多いですし、檀家制度そのものを負担に感じる人もいます。

    しかし、だからといって、家族が亡くなったときにお坊さんにお経をあげてもらいたい、故人を仏教の儀礼によって送りたいという気持ちまで、消滅しているわけではありません。

    だとすれば、「改革派僧侶」たちがまず取り組むべきだったのは、「葬式仏教からの脱却」を訴えることではなく、「葬式仏教」そのものの価値を再構築し、社会に示すことだったのではないでしょうか。

    もちろん高橋氏は、そうした形で葬儀そのもののあり方についても、真剣に改革を試みていました。

    現代の葬儀の「主導権」は、もはやお寺よりも葬儀社にあります。

    葬儀社が会場を用意し、遺族と打ち合わせをし、全体の進行を管理する。

    お坊さんとはすでに、そうした葬儀社のつくった枠組みのなかで、「お経を読む係」のような形で組み込まれている例が、少なくありません。

    そこで高橋氏は前述したように、お寺のなかに自らの葬儀社部門のようなものをつくり、必要なスタッフを雇用するなどして、「葬儀社に依存しない葬儀のあり方」を模索しました。

    しかし、私はこうしたことについても、単純に「葬儀の主導権をお寺に取り戻そう」という話ではすまないと思っています。

    そもそも、かつて日本の葬儀の「主導権」は、本当にお寺にあったのでしょうか。

    葬儀とは、その村のコミュニティのなかから死者が出た場合、親族のほか多くの地域住民たちも集まり、準備や雑務を分担して、共同体全体(そこには当然、お寺も入るのですが)で行うものだったのです。

    そうした地域コミュニティが衰退したからこそ、その役割を引き受ける葬儀社という存在が発展してきたのです。

    つまり、葬儀社が寺から主導権を奪ったというよりも、日本社会の構造変化によって、葬儀の運営形態そのものが変わっていったわけです。

    これは、お寺やお坊さんの努力だけで「変えられる」話ではありません。

    また、日本のお寺が衰退している根本的な理由は、「住職たちの意識が低いから」というような単純な話でもありません。

    少子高齢化、地方の過疎化、核家族化、そして地域コミュニティの衰退――こうした日本社会全体の変化によって、長年にわたって寺院を支えてきた檀家制度そのものが持続困難になりつつあるのです。

    そのような社会的問題を、個々のお坊さんが「努力すること」によって、どれだけ「変えられる」のでしょうか。

    お寺でコンサートを開こうが、喫茶店を開こうが、過疎地の人口減少が止まるわけではありません。

    お坊さんがどれほど一生懸命布教活動に取り組んでも、それだけで失われた地域コミュニティが復活するわけでもないのです。

    そして、高橋氏のような優れた行動力を持った僧侶であっても、そうした社会全体の構造変化をひっくり返すことはできませんでした。

    すでに述べたように、2000~2010年代くらいは、高橋氏に代表されるような「改革派僧侶」のいわば全盛期で、彼らの行うイベントなどがマスコミで日々、華々しく紹介されてもいました。

    しかし、そうした「ブーム」は今、かなり落ち着いています。

    そしてそうなった現在、日本仏教界には何が残ったのでしょうか。

    もちろん、個々のお寺では、さまざまな成果があったでしょうし、改革派僧侶たちの活動を通じ、仏教に関心を持つようになった人もいるはずです。

    しかし、日本仏教界全体を見渡せば、大多数のお寺が今なお、葬儀や法事を中心に活動している基本構造は変わっていません。

    また、地方のお寺の経営はますます厳しくなり、後継者不足や檀家の減少に苦しみ、実際に潰れてしまうようなお寺も増えています。

    では、かつてあれほど盛んに語られた「お寺の改革」とは、結局何だったのでしょうか。

    「お寺に人を集めること」と、「仏教の教えを広めること」は、必ずしもイコールではありません。

    そして「お寺を有名にすること」と、「お寺が宗教的な価値を社会に発信すること」も、また同じではないのです。

    そしてさらに言えば、「お寺に社会的な価値を持たせること」と、「お寺の経営を持続可能なものにすること」さえ、実は必ずしも一致しません。

    もちろん、高橋氏が自らのお寺で取り組んだもろもろの活動には、真剣な宗教的実践も数多くありました。

    しかし、それらが全国の寺院に広く共有され、日本仏教界全体の姿を変えるまでには、結局、至らなかったと言っていいと思います。

    ようするに、「個々のお坊さんが意識を変えれば、お寺も変わる」という発想だけでは、日本の寺院が抱える問題は解決できない――高橋氏の活動とは、結果としてそのことを示した面もあったのではないかと、私は考えています。

    高橋氏は2018年、長年住職を務めてきたお寺を血縁関係のない後継者に任せ、住職を退きました。

    これは、寺院の世襲制や家業化を批判してきた高橋氏にとって、まさにその主張を自ら実践した行動であり、そういう意味でも高橋氏は間違いなく、傑出した人物でした。

    そして晩年の高橋氏はガンと闘いながら、自らの死と向き合い続け、そうした闘病の日々についても、社会への発信を続けていました。

    そこには一人の宗教者としての、強い覚悟があったのだろうと思います。

    すでに述べてきたように、私は高橋氏の提唱した「お寺を変えよう」という運動に対して、さまざまな疑問を持っています。

    それはもう、私がずっと前から言ってきたことなので、高橋氏の訃報を前にしても、失礼を承知で、あえてここに書きました。

    しかし、そのことと、高橋氏が真剣に仏教と向き合い、行動してきた事実は、別の話です。

    そうした高橋氏の生き方そのものは、敬意をもって評価されるべきだと思います。

    高橋氏が『寺よ、変われ』を出版してから、すでに17年が過ぎました。

    その間、日本仏教界にはさまざまな改革論を唱える人々が現れ、多くの試行錯誤を繰り返してきました。

    しかし、その結果として日本のお寺が全体的に元気になったかといえば、残念ながら、そういう状況にはなっていません。

    その意味では高橋氏は、自らが理想とした日本仏教の改革を、十分に実現できないまま世を去ったといえるのかもしれません。

    ただ、繰り返しますように、私自身は高橋氏の「改革論」に賛同できない点が多々あったとはいえ、彼自身が自分なりの理想を抱いて、真剣に人生を歩んだ人だったことは事実でしょう。

    ゆえに高橋氏の、その問題提起そのものが無意味だったわけではないと、私はまた思います。

    むしろ高橋氏の死後、残された日本の仏教界には、これまで以上に難しい問いが突きつけられているように思います。

    実際すでに述べたように、日本のお寺の衰退状況は、今や「待ったなし」のような段階にまで来ています。

    その現実を踏まえたうえで、お寺やお坊さんたちには何ができるのか、何ができないのかを考えなくてはなりません。

    そして、高橋氏の「改革」は日本仏教を根本から変えるには至りませんでしたが、「変えようとした人がいた」という事実は残るのです。

    高橋卓志氏のご冥福を、あらためて心よりお祈りいたします。(編集長)

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