
アメリカのダイナーとギリシャからの移民
今回は、アメリカのカジュアル・レストラン「ダイナー」の話。後半には、あまり知られていないと思われる話も。
なぜプレハブ式なのか?

プレハブ:工場であらかじめ(=プレ)作っておいた
部材を現場で組み立てる→安価な量産に向いている
そもそも、開業資金をおさえて飲食店経営をはじめたい人たちが、数多くいた。
起源は移動屋台。派生して、「屋根と席とテーブルのある屋台」「移動しようと思えばできるレストラン」、そのような存在が生まれていった。ワゴン状やトレーラーハウス状な理由だ。
また、その頃、使われなくなった鉄道の食堂車が、駅の近くや線路沿いにすえ置かれていた。それをレストランとして再利用する人たちも、現れた。
人気が出た。もっと席数をスペースを、となった。そうして、プレハブ建築式になった。より大きいが、今までと同じく、素早く安く開業できる。
営業コストもおさえたかった。そのため、ワゴン式ダイナーも食堂車ダイナーもプレハブ式ダイナーも、提供するメニューは同じ。定番のアメリカ料理。手軽に作れるもの(グリル)。

プレハブダイナーやさらに後にできたダイナーは
こんなに手狭ではない。だが雰囲気は引き継いだ。
なぜ深夜も営業するのか?
起源の移動屋台が、「夜のランチワゴン」と銘打って、夜中も営業していたらしい。個人の経営手法だったものが、伝統になったようだ。なんにせよ、便利でありがたい存在だ。
ダイナー業界も、世界恐慌の影響を受けた。
しかし、どんな時でも人は食事をするので、需要はなくならなかった。高級レストランに比べ、安くはじめたり継続できたりしたため、ダイナーは存続した。
ファスト・フード店にとってかわられた頃もあった。それでも。個人経営店とチェーン店、どちらのダイナーも、消滅はしなかった。
1960年代、州間高速道路が発達して、車での旅行者が増えた。ダイナーは、食事や休憩をしたいドライバーたちから求められた。ダイナー・ビジネスがブームになった。
アメリカのさまざまな歴史(運命)は、大がかりな鉄道と道路がいつ発展したかと、強い関連がある。
ここから、少し意外なエピソード。
ーーアメリカのダイナーの多くは、ギリシャ系の人々によって経営されてきたーー
1900年~1920年の間に、約35万人のギリシャ人が、アメリカへ渡った。

その違いや顕著な部分がわかりやすい表
彼ら彼女らの飲食文化で、特徴的なものに、ギリシャのカフェ「カフェニオ」がある。
カジュアルな店。コーヒーや酒や軽食を提供。家族経営。シンプルな内装。
ギリシャでは、社交場のような役割をはたしているそう。定年退職した人たちが集い、ボードゲームなどしながら過ごすらしい。若者の “カフェ” とは違う、それが、カフェニオだと。

たしかに、見た目こそ異なるが、内容的にはダイナーと通ずるものを感じる。
先住民の方々に失礼のないよう、言葉選びには気をつけたいが。アメリカは、移民からはじまった国。母国で食べていた料理を提供する、そういう飲食店を各々が開こうとする。
ところが、ギリシャ移民は、アメリカで「アメリカ料理を提供する店」を経営した。
ギリシャ移民は、レストラン・ビジネスに強い親和性を示した。特にダイナーに対して。(先述したように、自国文化のカフェニオからダイナーに馴染んだのか?)
・アメリカ料理はシンプルで1~2ヶ月で習得できた。アメリカ人の下でしばらく働き学んだ。
・貯金して自らの店を開いた。ダイナーなら安く早く開始できた。
・同郷ネットワークで団結。大量購入で食材を安く仕入れた。
・経営をどんどん拡大。飲食店不足だった南部にも出店。
最初は、飲食業ぐらいしかやれるものがなかったーーーともいえるが。それでも快進撃だ。
第二次世界大戦後、新たなギリシャ移民の波とともに(さらなる同胞を得て)、ニュージャージー州のダイナーに力を入れた。
ニュージャージーには、事実、ダイナーが多い。ギリシャ系の人たちの影響だったのだ。
1990年代には、ギリシャ系アメリカ人が、コネチカット州のピザのビジネスを支配した。
全米レストラン協会会員の20%は、ギリシャ系の姓に。
現在、ニューヨーク州のダイナー(やダイナーでない飲食店)の2/3は、経営者がギリシャ系だという。
にわかには信じがたいくらい、すごい。
1996年のニューヨーク・タイムズに、以下のように、ギリシャ系アメリカ人のインタビューが掲載された。
「私たちは、ダイナーが、いかにギリシャ系コミュニティの推進力になったか、知っている」
「私たちは、オスマン帝国との関わりから、さまざまな人々とビジネスをすることを学んだ。その子孫だ」

これが影の支配者の店だ。笑
日本ではお目にかかれない現象か。否。新大久保や高田馬場や西葛西を考えてみてほしい。