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寛容はヤヌスのような顔をしている

    寛容の歴史について。

    寛容という概念はヨーロッパにおいて、宗教改革から続く宗教と政治の対立の中で、政治哲学的言説の1つとなった。

    最も活発に寛容について語られていたのは、この頃に・この辺りでだろう。だが。「寛容の歴史」を知るには、古代にまでさかのぼる必要がある。


    キケロは、寛容は忍耐の美徳であるとした。不運や痛みや不正義に適切かつ確固たる方法で耐える、という美徳であると。

    新旧や複数の分派によるぶつかりあいが起こるよりも、前のこと。そもそも、以下のような考えが、初期のキリスト教の言説の中に存在していた。

    ・内なる確信にもとづく信仰だけが神に喜ばれる。
    ・外部からの強制なしに内部から発展しなければならない。

    特定の信仰を強制されるべきではないと。好きや嫌いはそれぞれ自由でいいと。


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    ボッティチェリによって描かれた
    アウグスティヌス

    ヒッポのアウグスティヌス。(354年~430年)

    アウグスティヌスは学校で首席だったが。スクール・カーストの上位をしめていたのは、多少の悪さをしながら女子たちと交流し、基本的には遊びまわっているーーそんな男子生徒たちだった。言うて、結局アウグスティヌスも一緒になってやんちゃをしていたらしいが。

    19才でキケロの書物と出会った。これが、彼の哲学との出会いでもあった。知恵がどうこうというよりも、キケロの愛の深さに強く心をうたれた。

    寛容について書かれた本ではなかったかもしれない。この『ホルテンシウス』という書物は、タイトルと断片的な内容しか現代に伝わっていないため、中身が不明なのだ。

    しかし、いつか・どこかでは、キケロの寛容に関する考え方にも触れていたはずだ。最推しの思想は探るだろ。

    彼は、一時期、マニ教にひかれている。

    マニ教では、善悪の区別がハッキリしていたが。人の信仰心に対してそれを適応したりしなかった。寛容な諸教混交の立場を表明していた。開祖のマニは、バビロニアのヘレニズム的環境で育った。多様な民族・言語・慣習・文化が共存した環境で。より現代的ーー迷惑をかけないはんちゅうでお互いある程度好きにしよう、という感じ。

    複数の宗教の要素をもちあわせていれば、新規フォロワーを獲得しやすい。マニ教徒が伝道先で、キリスト教徒や仏教徒のふりをして巧みにやっていたことは、今はおいておこう。笑

    アウグスティヌスは、初期の著作では、「内なる確信にもとづく信仰だけが神に喜ばれる・外部からの強制なしに内部から発展しなければならない」これ系の論を擁護していた。


    ところが。カトリックと分派との争いを経て、彼は「愛、二つの王国、そして両国の愛の理由は同じ」と言うようになった。

    よさげな意味にも聞こえる。さぁ、どっちだ。

    詳しくはこう。

    もしも、それが人の魂を救う唯一の方法であるなら、「不寛容の行使」(武力を含む)をキリスト教徒の義務とすることもできる。(アウグスティヌス書408番、書簡93番)

    あのトマス・アクィナスさえも、限定的かつ条件つきの寛容の多くの理由を示した。

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    アウグスティヌスはまだしも、アクィナスは類まれなる寛容な人物だった。それだけ、この問題は難しかったということだ。

    世の中で寛容がヤヌスのような顔をしはじめたのだ。

    ヤヌス:出入り口と扉の守護神(ローマ神話)。前後に反対向きの2つの顔をもつ。


    マルティン・ルターが、個人の良心は神の言葉にのみ結びつくと主張し、プロテスタントの考えを擁護した。

    激しい宗教対立のあった17世紀には、多くの寛容理論が生み出された。

    スピノザの『神学・政治論』、ベールの『寛容さ 哲学的解説』、ロックの『寛容についての手紙』など。

    スピノザの考えをまとめると、こうだ。

    国家には平和と正義を実現する使命がある。したがって、国家には宗教の対外的行使を規制する権利がある。それでも、思想や判断の自由・内なる宗教に対する自然権を国家に委ねることはできない。

    ベールの考えをまとめると、こうだ。

    信仰に関係なく、無神論者も含め全ての人に、特定の道徳的真実を明らかにするための理性の「自然な光」がある。宗教の真理と、理性を使って到達する真理とでは、認識論的性質が異なる。

    ベールは、この時すでに、無神論者に対する寛容についても触れていた。ベールの理論は、ロックによる国家と教会を区別する理論よりも、急進的なものであったと言えるだろう。寛容の普遍的に有効な議論を展開した最初の思想家だ。

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    ここから、一気に時を進めて見てみる。

    1940年代にカール・ポパー氏が、「寛容の矛盾」を提唱した。

    無制限の寛容は寛容の消滅につながる。結果的に、寛容な人々が破壊されるからだ。合理的な議論や世論によってそれを抑制できる限り、弾圧は必要ないだろう。しかし、拳や銃を使って議論に答えるような人たちには、制圧も必要だ。

    ざっと、このような内容である。私が今回のテーマにあわせて抜粋と要約していることには、留意してほしい。

    要するに。寛容は素晴らしいものだけれど、実際問題、寛容だけじゃ社会って成り立たないよねと。


    寛容という言葉は、ラテン語の tolerare(我慢する・顔を見る・苦しむという意味)をもとにする。

    ︎︎︎︎︎︎自分が同意できない意見や行動の存在を容認する能力。またはその意思。︎︎許容できる信念や行動を条件つきで受け入れること。もしくは干渉しないこと。

    現代の寛容に関する議論は、このあたりのどこかに座すのではないだろうか。

    私たちは、寛容の一般的な概念とより具体的な事例を、区別して考える必要があるのかもしれない。


    SNS上のとある言い争いを見たのがきっかけで、今回の内容を書いた。

    同じトレーニングにはげむ人たちが、その中で、私のメソッドが正しい!あなたのは間違っている!と互いに言いあっていた。

    場所も時代もテーマも異なるのに。いや、異なるからこそ。人は本質的に変わらないんだなと思ったよ。


    参考文献

    https://theconversation.com/how-old-ideas-about-tolerance-can-help-us-live-more-peacefully-today-114082

     
     

    紗綾

     
     
    世に溢れんばかりに出まわっている処世術や俗説に、「また同じ話だ」「ぶっちゃけこれじゃない」と感じている人へ。 行き止まり感を払拭できるような、そんな文章を目標に書いています。 読みやすいよう仕上げていますが、短い文章が好きな人にオススメできる長さではないです。 月に3~4回更新。