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ザハ・ハディドが世界に与えてくれた動きと流れを受け継いでいけ。

    「私の究極の目標は、あらゆる意味で内と外の間に流動的な空間を創り出すこと。人々が1つの空間から別の空間へと移動する際に、境界がないようにすること」

    これは、ザハ・ハディドの遺した言葉だ。

    名前だけでは誰かわからなかった人も。次の画像で誰なのか必ずわかる。

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    2020年東京五輪のメイン・スタジアム「新国立競技場」の「幻のザハ案」ーー2012年に行われたコンペで勝った彼女の案は、結局実現されなかった。

    このデザインを「カメ」と呼び「東京は動物園ではない」と批判したのは、1年前にお亡くなりになった槇文彦氏だ。

    もちろん、私は個人攻撃のために文章を書いたりしないが。今回はそれだけでなく。

    彼女のプロジェクトがはじめて実現したのは日本でだった。国際コンペで初入賞した時、落選しかけていた彼女の案を拾いあげたのは日本人だった。という事実もあるのだから。

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    カメに似ているとして、何が悪いのだろうか。
    カメはすばらしい生き物だ。
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    くうちゃん超かわいい。

    世界がハディド氏の存在を知ったのは、1983年に国際コンペで初入賞した時だった。(前述したように)落選しかけていた彼女の作品を拾いあげたのは、審査員の1人の磯崎新氏だった。彼も2022年にこの世を去った。

    槙氏・磯崎氏・ハディド氏は、3人とも、建築のノーベル賞と言われているプリツカー賞を受賞している。

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    槇文彦

    以下、槙氏の設計。

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    「東京体育館」(1964年東京五輪体操競技会場)
    ご自身のこれがよくてハディドさんのあれがダメというのは、素人の私にはわからない。あれがカメ🐢なら、これはカニ🦀ではないか。と思ってしまう。生物大好きな私はもちろん賞賛の意味で言っている。
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    「沖縄海洋博物館水族館」=「美ら海水族館」
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    「テレビ朝日本社ビル」(六本木ヒルズ内)

    ワールド・トレード・センターの跡地に建てられた「4ワールド・トレード・センター」を設計したのも彼。

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    磯崎新

    以下、磯崎氏の設計。

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    「水戸芸術館」
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    「パラウ・サン・ジョルディ」(バルセロナ)
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    「大分県立大分図書館」(開館時)

    彼のことを「なかなかよくわからない人」と言った建築史家、「エニグマ」(謎めいている)と呼んだ思想家、「オイディプスかスフィンクスか」と表現した人もいたらしい。(誰、こんなオシャな言いまわしした人)

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    ギリシャ神話のオイディプスとは、世界の謎に主体的に挑み、それらを解いていく英雄だ。

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    『オイディプスとスフィンクス』ギュスターヴ・モロー
    オイディプスがスフィンクスの謎を解くエピソードから描かれた作品。

    彼は、時代や状況に応じてスタイルを次々と変えてきたと。その点がつかめない的に言われたのだろう。

    新都庁舎コンペ(現在の東京都庁舎の設計者を決める際に行われたコンペ)で。超高層建築の実績をもつ大手数社とアトリエ建築家らが競った。

    磯崎案だけが超高層ものではなかった。師から教わった市民原理にもとづいて、そうしたのだと。師とは、丹下健三氏のことである。

    彼もまた、プリツカー賞の受賞者で。日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍した1人。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がけた。槇氏や磯崎氏を育成した。

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    丹下健三

    以下、丹下氏の設計。

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    「国立代々木競技場」
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    「東京カテドラル聖マリア大聖堂」
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    上空からの写真

    何度も検討にのぼりつつ、磯崎案は落選。選ばれたのは丹下案だった。結局、旧都庁舎と同じ設計者になったわけだ。

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    旧
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    新

    その場がどんな空気だったか私にはわからないが。一般論、この状況で「いや、先生から教わったとおりにしているのはこっちで」とコメントしたら、バチバチなのでは?

    私などでは何の有益な情報も発せないため、人様の文章を紹介しておく。こういう本があるようだ。とてもおもしろそう。

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    人間関係と作品と歴史が同時に解説されているのだろうな。こういう知と知がつながる内容、大好きだ。

    磯崎氏は『UNBUILT/反建築史』という本で、1960年以降の自身のアンビルト(建てられなかった)作品を紹介した。ハディド氏とアンビルトの話を後ほどする。


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    ザハ・ハディド

    1950年、イラクのバグダッド生まれ。父親は、イラクを代表する自由主義派の政治家であり実業家でもあった。幼少期は両親とひんぱんに旅をしたそう。イラク南部に残っているシュメール文明の遺跡の見学に親がつれて行ってくれたことから、建築への関心が芽生えたと。

    「砂 水 葦(あし)鳥たち 家々 人々がともに流れていた風景。忘れられない美しさ」と、ハディド氏は思い出を語っていた。

    彼女は学問に熱心で、女子が教育を受けることを推進していた。

    彼女が子どもの頃と現在では、イラク国内の状況はかなり異なっているのだろう。

    「Human Rights Watch」(世界中の人権侵害を調査・報告し人権を保護する非営利の国際人権非政府組織)が提示する論文によると。

    ・歴史的に見て。イラクの女性と女児は、中東の多くの女性と女児よりも、比較的多くの権利を享受してきた。
    ・戦前のイラク女性の権利は、政府の政治経済開発政策と結びつき推進されている最中だった。
    ・1991年の湾岸戦争後。イラク女性が獲得してきた多くの権利は、さまざまな要因によってくつがえされた。例)政府・保守的な宗教団体・部族指導者・国連制裁・湾岸戦争後の経済への影響
    ・これらの要因が重なり、イラクの女性と女児は家庭内での伝統的な役割におし戻された。

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    2013年の記事をお借りした。
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    2023年の記事をお借りした。
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    2024年の記事をお借りした。

    2つの動画の「問題のカテゴリー」は同じではない。人類の悲しみという意味では、違いなどないが。

    彼女の人生の初期がイラクが近代的な独立国家として発展していっていた時期と重なっていたことは、フランク・ロイド・ライトやジオ・ポンティやル・コルビュジエといったモダニズム建築家たちが(近代的な)バグダッドのための建物の計画/建造に招かれていたことからも、推測できる。


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    以下は、イタリアの建築家でデザイナーのジオ・ポンティの作品。

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    「サンカルロ病院教会」
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    ポンティが全面プロデュースした南イタリアの
    ホテル「パルコ・デイ・プリンチピ」
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    以下は、スイス生まれでフランスで活躍した建築家のル・コルヴュジエの作品。

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    「ロンシャンの礼拝堂」
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    「サヴォア邸」
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    レマン湖畔の小さな家
    (彼が両親の終の住処を建てたのだとか)
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    インド国内で最も高い生活水準および収入水準のチャンディガールは、コルヴュジエの手がけた都市計画でも有名だ。

    日本の「国立西洋美術館」も、彼がデザインしたものだ。


    ハディドの半生の話に戻る。

    幼い頃は、カトリック修道院の学校で教育を受けた。イスラム教徒とユダヤ教徒が机を並べて学べる学校だった。

    レバノンのベイルートにあるアメリカン大学では、数学を学んだ。「数学は、絵を描いたり音楽を聴いたり本を読んだりするのと同じくらい、私の日常生活の一部だった。科学と創造性を区別することは決してなかった」

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    こちらからお借りした。

    フセイン政権が権力を握ると、家族でイラクを脱出し英国へ移住した。英国建築協会で建築を学んだ。

    その後。ロンドンの「オフィス・オブ・メトロポリタン・アーキテクチャー」で働いたり、卒業校で教える側として働いたりした。

    1979年に、ロンドンンで建築事務所を設立。コンペに挑戦していった。

    「新しいものを受け入れる冒険心と発明の力に対する信念が、私をロシアの前衛芸術にひきつけた。特にマレーヴィチに魅了されたことで、絵画をデザインのツールとしてとり入れるようになった。建築における伝統的な描画システムの貧弱さに限界を感じ、新しい表現方法を模索していた頃のこと」


    カジミール・マレーヴィチについて。

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    これを笑うだけで終わらせる人は、終わらせていればいい。続きなど読まなくていい。別に私は痛くも痒くもない。幼児でも、これを笑うことはできるだろうよ。

    彼によると。シュプレマティズムとは、絵画における新たなリアリズムである。

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    この『飛行する飛行機:シュプレマティスムの構図』は飛行機そのものを描いたものではないが、飛行感覚を表現しようとした作品である。本当に不思議なことに。飛行感覚……伝わってくるのだ。絶対に、受け手(私やあなた)のセンスの有無ではない。発信側が天才なのだ。

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    『黒の正方形』は、芸術における純粋創造の第一歩で、あらゆる可能性の胚芽であると。

    目に見える世界の表現にとらわれない、「純粋な感情」にもとづく、非客観的な芸術。芸術家は物質的な現実を超越し、そのビジョンを他者に伝えることができると。彼は信じていた。

    「芸術作品の真の価値とは、表出された感覚以外にはない。ありふれた対象性を無視するものである」

    誰もTakaを笑いはしないだろう。彼らは同じことを言っているよ。マレーヴィチの作品に円換算で数十億出す人がいるのと、ワンオクのワールド・ツアーに20万人集まるのは、同じことではないか。感動したからでしょう。

    20世紀初頭。芸術界と文学界では、神秘的な伝統や多次元非ユークリッド空間の理論が盛んに議論されていた。マレーヴィチはと言うと、神秘的な幾何学に関心を抱いていた。

    過去回で好きなことを好きに書きなぐっていた私↓

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    彼がいつまでも「神」と言うの、すごくわかるよ。

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    このムーブメントは、レーニンによるロシア革命以降、「ロシア・アヴァンギャルド」や「ロシア構造主義」へとつながったが。スターリン体制下になると、一転、これらの芸術は弾圧を受けることとなった。

    非具象絵画の先駆者は具象絵画(具体的な対象物を極端な捨象なしに具体的に描いた絵画)へと戻り。そのまま亡くなった。

    重要な作品すぎるだろ。

    ハディド氏がこの芸術家にどのようにひかれたのか、これでわかるだろう。マレーヴィチ、私がひきつぐからね!と心を熱くしたかもしれない。

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    よく言う「自分にも描けそう」ーーそういうことじゃあないから。あと、実際、描けないよ。

    「青い渋谷がこの主人公にしか描けない」ように。「この文章が私にしか書けない」ようにでもある。親の七光りと中傷していた奴らを黙らせたのは、Takaさんの技術だけでなく彼のその時の想いだからだ。そういう点は、親が七色に光っていようが八色に光っていようが関係ない。


    ハディド氏がマレーヴィチに関心をもったことから生まれたのは、絵画をデザインのツールとして用いることだった。

    伝統的な建築製図のシステムに限界を感じ新たな表現方法を模索していた彼女は、抽象概念を探求の原理とすることを見出したのだ。

    香港の九龍の丘陵地帯に建てられるプライベート・クラブ「ザ・ピーク」のコンペで、ハディド氏が勝利した。

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    これを絵画でなくシンプルな線形で表すと、こうだ。

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    丘を掘削し、削りとった岩石を使い人工の崖(彼女はこれを「人工の地質」と呼んでいた)をつくることで、敷地を変貌させることを提案した。新しい地形に、破片のような断片や、構造物を無数の構成要素に分裂させるような要素をちりばめようとした。

    まるで、何らかの強力で不安定な力にさらされているかのような。重力に逆らって浮遊しているような。そんなデザインだった。

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    『Blue Slabs』ザハ・ハディド
    幾何学的形状と原色の相互作用により、力強い空間構成が表現されている。

    スラブって?建築の分野で言うなら、こういう意味。↓

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    彼女の中にマレーヴィチがいるのが見える。みんなつながっている。

    同一面上に多くの軌跡を描く連続線など、さまざまな視点を用いて。ゆがみを生み出す。

    爆発・断片化・束ね・浮遊感・流動性。

    空間をゆがませることで。連続性を失うことなく、ダイナミズムと複雑さを増す。

    ハディド氏が目指したのは、人工的につくられた新たな地質ーーあるいは生態系だったのだろう。


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    完成した建物を見せてよ?私も見たい。

    「ザ・ピーク」をはじめ、ハディド氏の設計案は、独立後10年以上にわたり実際に建てられることはなかった。

    いつしか、「アンビルトの女王」(unbuilt = 建てられない)と呼ばれるようになっていた。「紙の建築家」などと揶揄されたことも。

    新しいことにチャレンジする者は、低くない確率で、前衛的すぎると言われる。どの業界でもそういう傾向はある。

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    私が「建築」「前衛的」で思い浮かべるのはこれ。
    この主旨で文章を書いているなら笑うなと怒られそうだが、まじで前衛的で少し笑う。ごめん😂

    「ザハ・ハディドは、建築をしなくても建築史に名を残していただろう。彼女は、建築をする前から革新者だった」という彼女への評価がある。

    芥川賞受賞作『東京都同情塔』には、ハディド案が実現した国立競技場が建つ東京が描かれていて。今にも動き出すような生命感をたたえた構造物・(都市を)養分にして独自進化をとげた巨大生物と、表現されているそうだ。(私はこの作品を読んでいない)

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    1993年。彼女の最初の建築作品が完成した。

    ドイツにある「ヴィトラ消防署」だ。

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    コンクリートの破片が衝突している彫刻のように見えるが。建物内には、消防車用ガレージも消防員のためのシャワー室や更衣室もあるし。会議室やキッチンもそなわっている。現在は、展示会やカンファレンスなどのイベントに使用されている。

    (マレーヴィチのシュプレマティスム絵画に見られるような)平面からの解放を想起させる、様式化された抽象表現となっている。鋭く角ばった形状が空間につき出ている。やはり、時が止まった瞬間の出来事のようにも感じられる。

    ちなみに。この先、ハディド氏のフォルムはエッジの鋭さを減らしていく。よりやわらかくなり曲線やロールが増えていく。


    ヴィトラとはドイツの地名などではない。

    この消防署は、「ヴィトラ家具会社」(1950年創業)の会長が彼女に設計を委託し、実現したものだったのだ。

    スイスに本社のある家具会社で。当時、新進気鋭の建築家やデザイナーが活躍できる会社だった。

    スイスとドイツの国境沿いの広大な敷地に、「ヴィトラ・キャンパス」はある。ヴィトラのユニークな創造物が集まる場所だ。

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    オランダのガーデン・デザイナーがデザインした庭。どの季節に訪れても、植物とふれあうことができる。
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    敷地内にある建物の1例。

    職人たちが手作業で椅子をつくるところを見学できたり、気に入ったデザインのインテリアを購入したりもできる。

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    ここで売っているのではないが。ハディド氏が手がけた家具類の画像も貼っておこう。

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    そりゃあ安くはないが。妥当な値段だ。
    ハディド作品が1~2万円とかで売られていたら、世界はおかしくなってしまう。デザイナーズ家具以外は千円以下とかで売らなければいけなくなる。
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    「光の詩人」と呼ばれるイタリアのデザイナーの作品。円で60万くらいだと思う。上のハディド照明はこれの半額ぐらい。

    1994年に、英国ウェールズのオペラハウス建築のコンペに応募したハディド氏。

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    最優秀賞を受賞。

    「カーディフ・ベイ・オペラハウス」は、十分な音響範囲を確保する必要があった。空間内の音響に影響を与える可動壁の設計によって、それは実現されるように思われた。その他、ハディド氏はさまざまな調整に対して協力したが。委員会からの資金援助を得られず、建設されることはなかった。

    またもアンビルト。

    (依頼されたものは実現するが)コンペで選ばれるだけ選ばれて、現実には建てられないということが続いていった。ベルリンの「クルフュルステンダム」も、ドイツの「デュッセルドルフ芸術メディアセンター」も。

    端的に言って。当時は、彼女のアイディアを実現するほどの技術がなかったのだ。

    日本では80年代に、彼女が設計した麻布十番や富ヶ谷の建物がアンビルトとなっていた。


    米国シンシナティーの現代美術センターの設計を依頼された。

    「ロイス&リチャード・ローゼンタール現代美術センター」は2003年に完成した。

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    アメリカ初の女性建築家が設計した美術館となった。これが彼女に女性初のプリツカー賞をもたらした。

    「ザハ・ハディドは、土地 空間 構造 人間をそれぞれが切り離せないものになるように演出した」トーマス・プリツカー

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    「ジェリービーン・ボリューメトリック・スタディー」。同美術館のプレゼンテーション用模型の名前だ。これをコンクリートと樹脂ブロックで構造したのが、完成した建物だ。

    「私が現在最も関心を持っていることの1つは、このような新しいツールにもとづいた有機的な建築言語を開発すること」ザハ・ハディド

    ジグソーパズルに似たファサードは、浮遊する幾何学的なレリーフのような印象を見る人々に与える。


    その後の数年間で、ハディド氏の活動は飛躍的に増えた。

    理由はプリツカー賞をとったからだけではなかった。

    コンピュータによる三次元解析・施工技術の進歩・建築の新しい姿を求める人々によって。前衛的すぎると言われ続けたハディドの設計は、ついに、現実のものとなっていくことができたのだ。

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    Queen of Unbuilt の異名とは、サヨナラだ。

    幾何学的形状へと抽象化されることによって生まれてゆく、モダニズムの都市景観の数々を見ていこう。

    オーストリアの「ベルクイーゼル・スキージャンプ台」

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    ドイツの「ファエノ科学センター」

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    英国の「アーク・エブリン・グレース・アカデミー」

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    民間からの寄付金でできている学校。約1200人の生徒が通っている。生徒の年齢層が幅広いこともあり、さまざな機能が共存している。これぞ、ハディド氏にデザインを依頼すべき案件。彼女の建設コンセプトは「複数の小さな学校から成る1つの学校」で。テーマを完璧にとらえていた。

    斜行する壁は外観に影響を与える部分のみで、耐震壁は垂直となるよう配置されている。

    中国の「長沙梅渓湖国際文化芸術センター」

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    「静河新城文化芸術センター」

    「ザ・ピーク」は実現しなかったが、中国には彼女の作品が複数ある。

    アゼルバイジャンの「ヘイダル・アリエフ・センター」

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    イタリアの「メスナー・マウンテン・ミュージアム」

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    英国の「アクアティクス・センター」(2012年ロンドン五輪の水泳競技会場)

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    この時も、建設予定地の問題などから、ハディド氏は設計の縮小をせまられた。

    ドイツの「BMWセントラル・ビルディング」

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    イタリアの「地中海文化センター」の完成イメージ
    (もうすぐ建設が開始されるか現在建設中)

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    海岸地域の再開発の一環として彼女が設計したもので、水族館も内包されている。建物と交互に配置された中庭が、強い日差しと風をさえぎる役目を果たすそうだ。

    ヒトデの放射対称から着想を得た有機的なデザインがコンペで勝利。イタリアの国家復興計画などから資金も確保された。

    レッジョ・ディ・カラブリア(靴のような形をしたイタリアのつま先の部分にある都市)の海洋文明と考古学を補完しつつ、経済的な発展も目指す。過去と未来をつなぐ。そういう想いのある都市開発らしい。

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    アラブ首長国連邦の「カリド・ビン・スルタン・シティー」
    (ハディド氏の建築事務所のデザインでまだ建築されていないもの)

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    サステナビリティー × デジタル化という理念のもと、廃棄物管理や環境コンサルティングなどの事業を展開している「BEEAH」グループのプロジェクト。太陽光発電をそなえた「BEEAH」本社をデザインしたのも、彼女の事務所だ。

    歩行者中心の多中心型(中心地が複数あること)都市で。全長2kmの公園(線形オアシスと呼ばれる)や在来樹木による日陰のキャノピーなど、熱環境に配慮した景観設計。

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    ハディド氏の魂が受け継がれている。

    こういう情報をまとめている時に同時に私の心に必ずあるのは、この過去回に書いたような事柄だが。今回は貼るだけにしておく。

    残念ながら。彼女がたずさわった建築を日本で見ることはできない。


    ハディド氏の建築と芸術への貢献は、数々の賞によって認められた。

    プリツカー賞以外にも。王位英国建築協会のロイヤル・ゴールド・メダルを女性としてはじめて受賞した。大英帝国勲章コマンダーと大英帝国勲章デイム・コマンダーを授与された。後者は上級2階級に入るため、彼女はデイムとなった。Dame:ナイトに相当する叙勲を受けた女性に対して使用する言葉。

    男性の功績が圧倒的に多い業界でのことだと考える時、彼女はなおさら注目に値する。

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    コロンビア大学・ハーバード大学・イェール大学・ウィーン応用芸術大学など、さまざまな学校で教えた。

    「教えることには発見があるからおもしろい。教育とアイディアと職業の間には、常につながりがあるべきで。互いに交流できないほどかけ離れたものであってはいけない。交流はとても重要だから」

    彼女、ずっと変わらないね。軸の価値観と考え方が。日常生活をおくっていても・デザインや設計をしていても・教師をしていても。すごくステキだ。

    ザハ・ハディドは2016年に65才で亡くなった。死去当時、「ザハ・ハディド・アーキテクツ」には、400人以上の従業員が働き。45ヵ国で950件ものプロジェクトにたずさわるようになっていた。

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    「ZHA」のスタッフさんたち。
    前述した「BEEAH」本社前で撮影したものだと思う。

    生前、ハディッド氏は、自分をロール・モデルだと感じたことはないと語っていたが。そんなことはない。彼女が自分の望むキャリアを追求し続けたことは、多くの人々を勇気づけている。


    かつて、みんなが私に言った。建築は直線でないといけない。ロジカルで予測可能なものでないといけない。私はそれを信じなかった。私が信じたものは動きや流れだ。私にとって建築は静的なものではない。パフォーマンスに近い。人間は自らを制限するためにテクノロジーを使用すべきではない。イメージを解き放つため・不可能を可能にするために使用すべきだ。私はルールに従わない。

    この言葉を聞いて私が思い浮かべる日本人は、彼だ。マインドがとても似ている。これだよ。私たちが子どもの頃に思い描いた近未来ってーー世界中の人々がこういう感想をもつはず。無限の動的な拡がりを予感させてくれる、あたたかくやさしく、かつエネルギッシュで前向きなプロジェクトだ。

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    ハディド氏は生前、陰湿な妨害にあったことも。

    2014年の報告書にて。カタールの建設現場全体で、劣悪な労働環境が原因で、約1000人の外国人労働者が死亡していたことが明らかになった。当然、物議をかもした。

    その頃のカタールでは、2022年ワールド・カップの会場「アル・ジャヌーブ・スタジアム」の着工が予定されていた。

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    同スタジアムを設計したのは彼女だ。

    『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』の記者(建築評論家)が、カタールで大勢の移民建設労働者が死亡していた件についてハディド氏が「何の懸念も示していない」という、虚偽の記事を書いた。購読者のみが閲覧できる『建築の傲慢さ』という記事に、そう書いた。

    言いたいことありき・書きたいことありきで主観を補足する情報ばかりを集めないよう、つとめるべきだとか。そういうレベルの話に達していない、ただの大ウソだった。

    え!?私そんなこと言ってないどころか、思ってもないんだけど!!だったろうな。彼女、そんな人じゃない。

    ハディド案にケチをつけようとしたか。はたまた、世論を操作してプロジェクトを白紙撤回させようとしたか。そんなことにまでならない?種をまくというのは(静かな水面に小石を投げ入れて波紋が広がるイメージでもいい)、そういう小ネタの繰り返しなんだよ。そうまで目論んでいた場合、裏に誰かいたか。私にはわからない。

    ハディド氏は同誌と記者を名誉毀損で訴えた。同誌は記事を撤回、記者は謝罪した。

    支払われた賠償金がいくらだったかは公表されていないが。彼女は、全額を労働者の権利を守る慈善団体に寄付した。


    日本の話をする。

    デザイン・コンクールの審査委員長をつとめた安藤忠雄氏の記者会見でのコメントに、こういう言葉があった。

    「私たちが頼まれたのはデザイン案の選定までだった。アイディアのコンペ、こんな形でいいなというコンペだ。徹底的なコストの議論はしない。私自身、こんなにも大きなものをつくったことはないが。この難しい建築工事を日本ならできると、私は思っていた」

    日本の世論の中には彼を批判する声もあった。ネットに意見を書きこむなとは言わないが。そういう人たちには、ぜひとも、自分が批判していたのがどういう人間なのか知ってもらいたいものだ。

    安藤氏は、17才でプロ・ボクサーとしてリングに立った後、世界を放浪して独学で建築を学んだという異色の経歴をもつ。彼もプリツカー賞の受賞者だ。

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    安藤忠雄

    私が過去回で何度か貼ってきた写真は「光の教会」で、彼の代表作の1つなのだ。

    「ブルス・ドゥ・コメルス」という名の円い建物が、パリ中心部にある。かつては、穀物取引場や商品取引所だった。グッチやサンローランやバレンシアガを抱えるグループ「ケリング」の創業者は、収集してきた現代アートのコレクション(1万点以上)を披露する美術館を開くことを夢みていた。安藤氏が内部構造のコンペで勝利。2021年から同建物は美術館になった。

    安藤氏の手がけたロトンダの美しさよ。

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    記事を1つお借りする。

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    もう1つ記事をお借りする。

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    複雑にからまりあった複数の原因と結果が、まねいたことだったのだろう。少なくとも、Aだけが悪いBだけが悪いという話ではなかった。

    むしろ、言えるのは。自分など全く関係ないと思っていたであろう、無責任に浅知恵の感想(まぁ野次だ)をネットに書きなぐった一部の人たち、彼ら彼女らのせいだということだ。無関係などではない、という意味でね。


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    最後に。書くと約束していた、「彼女のプロジェクトがはじめて実現したのは日本でだった」という話をする。

    1990年。札幌の「ムーンスーン・レストラン」(もう存在していない)の内装デザイン。

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    ハディド氏のはじめて実現されたプロジェクトは、実は、消防署でなくこちらだったのだ。

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    39才のハディド氏。

    お金が足りないからうちの国に建てられなかったんだと、悲しい気持ちになる人がいるかもしれないなと思って。それはそうだけれど。それだけでもないんだよ。本当にね。


    「ZHA」とスイス連邦工科大学チューリッヒ校がコラボし、3Dニットの技術を発展させて制作したパヴィリオン。そのプロセスの動画。

    「Striatus」は、3Dプリントされたコンクリート・ブロックをモルタルなしで組立てた、アーチ型の無筋石積みの歩道橋だ。「ZHA」のプロジェクトの1つである。

    ほら、比較的安価でもできる。技術が進歩したからだ。みんなで力をあわせれば不可能を可能にすることができるというのは、どのように真実なのか。たとえばこのように、真実である。

    王座に座るのではない、自分の選んだ椅子に座るのだーーという歌詞が、今回の内容とテーマにあう気がして。

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    Zaha, I deeply respect you.

     
     

    紗綾

     
     
    世に溢れんばかりに出まわっている処世術や俗説に、「また同じ話だ」「ぶっちゃけこれじゃない」と感じている人へ。 行き止まり感を払拭できるような、そんな文章を目標に書いています。 読みやすいよう仕上げていますが、短い文章が好きな人にオススメできる長さではないです。 月に3~4回更新。