
ロザリオが教えてくれる大切なこと
数分で書ける日記の方に多くLIKEがつく時。そういうものばかりを書いていこうか、もう文章を書くのをやめにしようかという気に……なるわけがない。私は私のやりたいことをやる。
私には生涯絶対の大好きなことがある。探求だ。この点、自分は幸運だ。絶対のいちばんをもてないまま一度きりの人生をおくる人も、少なからずいるのだから。

今回は、とある歴史のビーズを追求してみよう。ピースやパーツの言い間違いじゃない。中英語の bēde(祈り・願い・命令)→ beads(ビーズ)。ロザリオの話をする。

人々は祈りの回数を指で数えるか。たとえば150ある詩篇を指で数えるか。

ロザリオのビーズの数は59。1つ1つのビーズの大きさは7mmか8mmくらい。
伝統的なロザリオがこのつくりなのには、理由がある。祈りを唱えるたびに指でビーズの上をなぞり、カウンターとして使用するのだ。

十字をきる。
十字架を持って使徒信条を唱える。
最初の珠で主の祈りを唱える。
3つの珠でアヴェ・マリアの祈りを唱える。
次の珠で栄光の祈り・神秘・主の祈りを唱える。
続く10個の珠でもアヴェ・マリアの祈りを唱える。
再度、栄光の祈り・神秘・主の祈りを唱える。もしくは、ファティマの祈りを唱える。
いずれかのパターンをくり返す。
聖母マリアへの祈り/栄光への祈りで〆る。
十字をきる。
(これを読んでいる人の大半は、はじめて知って、へ〜大部分がマリアの祈りなんだ〜という感じだろう。これだけを知ったところで、ぶっちゃけ、なんの意味もない。人は記号的知識を教養とは呼ばない。がんばって最後まで読めば意味があるよ)
ファティマの祈りって?

カトリック教会は、聖母出現の1つとしてこれを公認している。(ファティマの聖母)
祈る時以外は首からさげておいてもよい。腰でもよいと私は思う。本質でないことは、ある程度どうでもいい。

はじめはひもの結び目で、後に石珠になった。アクセサリー要素はその方が高くなるよね。

キリスト教より古くから、砂漠の教父たちは小石で祈りの数を数えていた。
アラブ人はインドの習慣をまねたのだ、と言う歴史家もいる。ヒンドゥー教の賢者が連なる石珠をもっている古い描写があったりして。
新しい考古学的発見から、古代エペソ人が女神アルテミスを礼拝する時に石の珠を使っていたことがわかった。
どこまでさかのぼれば起源と呼べるものにたどりつくのか、わからないが。祈りにビーズ状のものを使用することが、多くの宗教的伝統に取入れられているのはうかがえる。
必要性への対応/論理的な結論である可能性が高いだろう。
後期ラテン語の rosarium(バラ園/バラの花輪)に由来する「ロザリオ」という言葉。薔薇のシンボルもキリスト教だけのものではない。

じゅずを漢字で書くと数珠だ。
伝統的なものは108個の珠で構成されている。
紛争や貧困に困り果てたある国の王が、お釈迦さまに相談すると。「むくろじの実108個で輪をつくり、1つつまぐる度に祈りの言葉を称えれば、煩悩による苦しみが消える」という答えが返ってきた。

患う子はいないと書いて、無患子(むくろじ)。
英名は Soap Nuts だ。特にマメ科の植物に多く含まれる配糖体の一種で、苦味やえぐみのもととなる成分のサポニン。水や油に溶けると石けんのような発泡作用をもつ。これがむくろじの果皮にも含まれている。
齢70を越えてからさらに活躍した本草学者、小野蘭山の講義がまとめられた『本草綱目啓蒙』に、これをさぼん/しゃぼんと呼び・汚れた布を洗うのに使うと書かれている。


北斎の過去回を少し貼る。




江戸のしゃぼん玉売りもむくろじを活用していた。(ラテン語でサボ=石けん。シャボンはポルトガル語)

日本のこういう擬人化絵、エモくて好きだ。NHKが鳥獣戯画とパプリカをコラボさせた時、最高じゃんと思った。動植物と人間。
数学と宗教のかけあわせも最高だ。1ははじまり。0は無。8は永遠。足すと9(ナヴァグラハなど、インドで神や全や宇宙の象徴)。
2×9=18 1+8=9
3×9=27 2+7=9
22313×9=200817 2+0+0+8+1+7=18 1+8=9
「四苦八苦」も108だね。
4×9=36 8×9=72 36+72=108
「ダンスだって数学だぞ。ワンツースリー ワンツースリー、ワルツ」
北インドに実在したゴータマ・シッダールタという人物が、骨と皮だけになるほど壮絶な苦行の末、苦行だけで悟りを得ることはないと気づき。瞑想に入ることで菩提樹の下で悟りを開き、ブッダとなった。涅槃に入った時は、沙羅双樹の花びらが降りかかったと言われている。



聖なる木でつくられた108個のビーズで、祈りの言葉やマントラ(真言)を唱える。

イスラム教における神の名前を唱えるディクルを行う際、使用される。33個や99個のさまざまな素材の珠。
ギリシャのコンボロイは宗教的なものではないそうだ。komboloi と検索すれば遊び方の動画が出てくる。


Doodling なんちゃらと同じ感じかなと。

元学友を思い出す。ベンチの上に立って謎のダンスをしながら勉強をしているのがひんぱんに監視カメラにとらえられていて、表面上は完全に不審者でしかなかったが。私が100点をとっても彼女は120点をとるのだ。最後のフリー・ライティングがすばらしすぎる、センスのかたまりだと、教授らに絶賛されて。彼女の「一緒に勉強しよ」は、いつも「クラブ(ミュージックとダンスのクラブね)に行こ」と同意語だった。そこで宿題をするのだ。
この子はアメリカ人ではなくて日本人。文化の違いとかでなく、凡人と天才の差ということ。私は彼女に比べて記号的で・彼女は私に比べて本質的だから、このような絶対の差が生まれるのだと、私は思っている。
個人的な話も少し入れてみた。
ロザリオの話ではなくなっている、と不満に思う人へ。または、過去回の貼り出しが多くて読みづらいと思う人へ。
①これはAやBの話ではないと思うのは、あなたの想定枠が私の提示枠より小さいからにすぎない。②大テーマにつながるように書いているから、詳細を覚えていようともしなくていい。
読後に残るふわっとした〇〇……ふわっとした〇〇しか残らないよ。ちょっくらかじっただけで何かを会得できるわけがない。スポーツだって料理だって芸術だって、そうでしょう。けれど。「読後(一例)に残るふわっとした〇〇のくり返し」の別名は、教養だよ。
太宰治の『浦島さん』 の一節が好きだ。
しかし、それは絶対に曲芸師の綱渡りとは違っているのです。藤蔓にすがって谷を渡っている人は、ただ向う側の花を見たいだけなのです。自分が今冒険をしているなんて、そんな卑俗な見栄みたいなものはもってやしないんです。なんの冒険が自慢になるものですか。ばかばかしい。信じているのです。花のある事を信じきっているのです。そんな姿を、まぁ、仮に冒険と呼んでいるだけです。あなたに冒険心がないというのは、あなたには信じる能力がないということです。信じることは下品(げぼん)ですか。信じることは邪道ですか。どうも、あなたがた紳士は信じないことを誇りにして生きているのだから、しまつが悪いや。それはね、頭のよさじゃあないんですよ。もっと卑しいものなのですよ。吝嗇(けち)というものです。損をしたくないということばかり考えている証拠ですよ。
さまざまな分野のホンモノのホンモノっぷりが見られるSNS投稿などが好きで、スクショしてとってある。


いつメンは、私が何万字も用いて拍子ぬけするほどシンプルかつスタンダードなことを言いたいだけなのを、知っていてくれるだろう。
幼児は、「何が君の幸せ 何をして喜ぶ わからないまま終わる そんなのは嫌だ」に心をゆさぶられたりしない。これに頬をはたかれたような衝撃を受けることができるのは、大人だ。

ただ、先は長い。この記事は何分で読み終わるとか書かれているものが好きな人は、もうここで離脱した方がいい。
残った人へ。先へ進もう。

古代エペソ人が女神アルテミスを礼拝する時に、石の珠を使っていたことがわかったと前述した。
エペソ人/エフェソ人について書く。
現在のトルコ西部イズミル県あたりに、古代ギリシャの都市エフェソスはあった。
イオニア学派やミトレス学派というのを聞いたことがあるだろう。

哲学の祖とされるタレスはイオニア地方ミレトス出身。哲学者のヘラクレイトスはイオニア地方エフェソス出身。オリエントの先進文明との接触が特に多かったミトレス、それ以外のイオニアでも哲学は発展したということ。
私たちが知っているタレスに関することは、ほとんどヘロドトスを介して伝えられた。タレスの実用的で経験主義的なアプローチは、ソクラテスやプラトンやアリストテレスに受け継がれた。
みんながつながっている。







紫の服を着てひじをついている人がヘラクレイトス。
白い服を着てこちらを見ている人はヒュパティア。
この過去回では彼女のことを深堀りした。
ヨハネの黙示録で言及された7つの教会の1つが、エフェソの教会だ。イエスの死後、マリアとヨハネはエフェソスへ移り住んだとも言われている。(この一文だけはラストまで覚えておいてもらってもいいかも……)

エフェソスの遺跡の保存状態の良さよ。

音がとてもよく響く設計になっているそう。

パウロの「エペソ人への手紙」に超感銘を受けた人をネットで見つけて、ほっこり😂

そんなにいい話なの?内容はこちらから聞いて。動画をお借りする。
パウロってどんな人だったの?




長年の研究により、これら全ての著者がパウロかどうかはわからないということがわかったため、パウロ(仮)なのだが。
誰が言ったかではなく何を言ったかが大事なのだろうから、ぶっちゃけ、パウロでも自称パウロでもいい。
現代の私たちがそんなふうにも思えるのは、「状況」が安定している証。こういった話の方がよほど大事だ。



3章でパウロは自分語りをはじめる。「こういうわけで、あなたがた異邦人のために、イエス・キリストの囚人となっているこのパウロ」
書いたのが本当にパウロで書かれたのも定説どおりの頃なら、彼は実際に囚人だった。その状況で、自分を虜にしているのはキリストだと言ったことになる。
「絶対のいちばん」があったんだね。いいね。


パウロはなぜ捕えられていたの?ざっくり言うと、異邦人にもキリスト教を伝道したから。信徒が増えるのはいいことじゃあないの?パウロたちからしたら基本的にそうなのだが、神の恵みが異邦人にもいきわたるのを嫌がった人たちもいたようだ。リソースは限られているからね……。
外人という概念は、みんなが互いに「俺たちか俺たち以外か」みたいなものだし。AとBが同じグループになる前、Aから見てBは異邦人・Bから見てAは異邦人だったのだし。これもまた、私的には、大事なことからほど遠い何かだ。
俺か俺以外か・私以外私じゃないの。俺たちか俺たち以外か・私たち以外私たちじゃないの。これらはぜんぜん、ぜんぜん違う話だ。
マクベスみたいでいいね。

フォロワーたちのトップ層は、キリスト教を拡大しようと躍起だったろうが。イエスは、世界中のみんなが「キリスト教徒として」幸せになることを望んでいたわけではなかっただろう。
イエスは、心のこもっていない祈りを何度もくり返すことをよしとはしていなかった。あまりにもくり返すと、必然的に中身が薄くなる的に考えていたとも言える。
「あなたがたが祈る時、異邦人のようにくどくどと述べてはならない(異邦人のように同じ言葉をただくり返してはなならない)。異邦人は、言葉数が多ければ聞き入れられると思いこんでいる」(マタイの福音書6:7)
祈りは、自動的な方程式でもあるかのように、深く考えもしないでくり返しているだけではダメなのだと。
思いきりイエスが言いそうなことだ。マタイ本人がこう注意されたのかもしれない。



先述したマタイの福音書の一部は、「地の塩 世の光」「汝の敵を愛せよ」「人からしてもらいたいと望むことを人にしなさい」(イエスの黄金律)「狭き門より入れ」などキリスト教徒にとって中心的な教義が書かれている、山上の垂訓にあたる。
『The Chosen』という無料で観れるドラマ・シリーズで、ナチュラルなイメージのキリストが見れる。


彼がここで神のことを言っているわけがない。

「え、これじゃあまずいかな」


何を飲むか何を食べるか何を着るか、気にしすぎなくていい。だって、人生は食べ物以上のもの、命は服以上のものだろう。と語る。
祈りは文言以上のものだろうとは言っていないが、言っているようなものだ。

こういう話を茶化すのは、むしろ、本当に苦しい思いをしたことがない者の方ではないかと。私は思う。
全ての信徒が不足や飢えを経験しないという包括的な約束などでは、決してない。そんなこともわからないのは(精神年齢の意味で)ガキだけだ。クリスチャンの生活が簡単なものであるだとか、彼ら彼女らに課題がないだとかも、意味するわけがない。聖書はハッキリと、私たちはこの世で苦しみに遭遇すると言っている。
俺はゲームマスター お前の真の表情苦しむ姿見せろ お前は奇跡なんだ偶然な 一生奴隷の執行の余命 いつからそんなんになっちまって 朽ちろ果てろ泣け吐け死ね そろそろお別れの時間だな
弟子たちによってスーパー・ナチュラルなヒーロー列伝に仕立てあげられなくとも、ありのままで俄然イケていたキリストに、この歌はあわなくない。キリスト教は別にあまくないし。

この過去回より。
神は私たちの苦しみを知っていてくれる、とも記されている。
知っていてくれるだけで、苦しみをなくしてはくれないことを不満に思う人は、孤独とは何かを知らない幸運な人だろう。私は、神だけは私が一体何が悲しいのか知っていてくれると言われたら、うれしいよ。

以前もこういう話をした時、この歌を貼った記憶。〇〇教徒の神に何かしら失礼なことを言うのはやめな。これに出てくる友だちをバカにされるようなものだから、自分をバカにされるよりもムカつくでしょう。
テネシー・ウィリアム『Glass Menagerie』の邦題は『ガラスの動物園』だが。
メナジェリーというのは、主に展示目的で収集されたり飼育されたりしている、珍しい動物のコレクションを意味する。イメージ的には見世物小屋に近い。

作者の自伝的な物語で。キャラクターたちのモデルは、彼のヒステリックな母親や精神的に不安定な姉だと推測されている。
主人公のトムは、家族を養うために倉庫で日夜働いている。彼は本当は詩人になりたいのだが、日々の仕事に追われ睡眠不足にさいなまれ、詩を書くどころではない。家族に対する義務から逃れたいと切望している自分を箱に入れて、無理やりふたをして生きている。本当の自分でいられるのは映画を観ている間だけーー最近は、映画館へ足を運ぶこともしなくなってきた。
幼少期の病気が原因で身体が不自由になったトムの姉、ローラ。彼女は精神的にも不安定で、強い劣等感を抱えて外界から孤立している。そういう自分を変えることができないのは、結局のところ、彼女自身がそこに安寧を見出しているからで。作中で彼女はガラスの置物コレクションに象徴されている。ガラス細工のユニコーン、壊れやすくて独特なローラ。時だけがすぎていく。
こういった喩えはローラにだけ向けられたものでなく、トムにもあてはまるように本作は描かれている。書いた本人も自覚しているわけだ。
この類の弱さと無関係な人は少ないと思う。どういうことなのかピンとこない人もいるかもしれない。私が説明することもできるけれど、イチローさんに解説してもらおう。
筆者には、ローラではなくローズという名前の姉がいた。2人の共通の知人が、彼女がわずらっていた病の名前を「ブルー・ローズ」と聞き間違え、彼女のことをそう呼んでいたそう。

私にささるのは、俄然、こちらだ。


イエーツの『秘密の薔薇』より。
遠く離れた、最も秘密の、侵されない薔薇よ、私の時のひとときを包みこんでくれ。
聖墳墓やワイン樽で君を求めた者たちが、打ち負かされた夢のざわめきと騒乱の彼方に住み、眠りに重く沈んだ青白いまぶたの奥深くで、人々が美と名づけたものの中にいる。
君の葉は、冠を戴いた賢者の古の髭、ルビーと金の兜を包みこんでいる。
君の瞳は、ニワトコの刺し貫かれた手と十字架がドルイドの蒸気の中で立ち上がり、松明を薄暗くするのを見た王を包みこんでいる。
虚しい狂気が目覚め、彼は死んだ。
風が吹かない灰色の岸辺で燃える露の中を歩いているファンドに出会い、キスのために世界とエメルを失った男を包みこんでいる。
神々を追い出し、百の母が赤く咲くまで宴を開き、死者の塚で泣いた男を包みこんでいる。
誇り高き夢見る王は、王冠と悲しみを投げ捨て、吟遊詩人と道化師を呼び、深い森の酒に染まった放浪者たちの中に住んでいた。
耕地と家と財産を売り払い、土地と島々を数えきれない年月さまよい歩き、ついに笑いと涙とともに、輝くような美しさをもつ女性を見つけた。
その美しさゆえに、男たちは真夜中に、盗んだ小さな木のそばで穀物を脱穀した。
私もまた、 あなたの愛と憎しみの大きな風の時を待っている。
星々は、いつ鍛冶屋から吹き飛ばされた火花のように空を吹き飛ばされ、そして消え去るのだろう。
たしかにあなたの時は来た。あなたの大きな風が吹いている。
遠く離れた、最も秘密の、侵されない薔薇よ。

祈りとしてのロザリオの起源は正確にはわかっていないのだが。できるだけ、ビーズをひもといていってみる。

初期のキリスト教徒は、59個ではなく150個の石珠を数えていた。




ユダヤ教の聖書を構成している法律や歴史や詩歌や預言の、詩歌にあたる詩篇。そこには150篇の詩がおさめられている。

おそらくは紀元前970年頃(一般的には紀元前1000年~紀元前100年の間のいつかだと言われている)、音楽の才能があったらしい古代イスラエルのダビデ王が、その多くを生み出した。
詩篇 = Psalms という言葉の由来は弦楽器を指で弾くことで、それらは曲や歌だったのだろうが。どんな弾き方や歌い方だったのか、もう誰にもわからない。

まぁ、いい。現代にもイケている歌はたくさんある。
私は呼んでいる
今、呼んでいる
より長く自分が自分であることを保つため
リンクすること以上のものがある
スタンド・アローン
新興教会(新しく形成されたキリスト教という祈りの共同体)にも、それが伝わった。すでに祈りの回数を数える仕組みがあり、一緒に導入されたかもしれない。
西暦250年~350年頃のエジプトで。修道院・修道士の父として知られる聖アントニウスは、祈りの回数を数えるために、羊毛のひもを結んだものを使用していた。
数々の誘惑を象徴するものらに囲まれ苦闘する彼の様子は、美術の題材として好まれた。「聖アントニウスの誘惑」や「聖アントニウスの苦悩」と検索すれば、多くの絵画が出てくる。



この過去回でボスについて深堀りした。
西暦330年頃。キリスト教に傾倒したコンスタンティヌス帝の動きから、キリスト教は帝国の国教となり、ビザンティウムという町はコンスタンティノープルに改名された。
“空に浮かぶ十字架が語りかけるような戦い” に勝利した後ではあったが、彼が改宗したのはより政治的な理由からだ。

そこにはゴールデン・ホーン(金角湾)があり、東西南北の交通路の要だった。
(2008年、地下鉄駅の建設中に新石器時代の集落と埋葬地が発見され。この都市の歴史を一気に紀元前6700年までさかのぼらせた。その頃すでに交通量の多い水路で、古代集落が存在していたことがわかった)
ブルガリア王国もセルビア王国もオスマン帝国も、この湾を欲しがった。地中海の利権をにぎるために。G.O.T.感覚でイマジネーションしてみて、私もここはぜひとも我がものにしたい。

「オスマン艦隊の山越え」(諸説あり)や「ゴールデン・ホーンの鎖」は有名。


よそからの攻撃や侵略を防ぐために、巨大な鎖が用いられた。当時これほどの鎖(少なくとも全長750mあった)をあやつるのは、容易ではなかっただろう。

西暦717年に、アラブ艦隊(ウマイヤ朝カリフ国のイスラム教徒アラブ人)から攻撃をしかけられた時。艦隊が水路の奥深くまできたのをみはからって鎖を水中から引き上げ、一網打尽に。火炎放射器とギリシャ火薬(おそらくナフサと生石灰の混合物)で敵を焼きはらった。
私は『ゲーム・オブ・スローンズ』のファンだから、この話をせずにはいられなかった。
G.O.T.は小説シリーズ『氷と炎の歌』の実写化。この出来事と似たエピソードが出てくる。狡猾な小人が考案した大きな鎖や、「ワイルド・ファイアー」だ。歴史上の防衛戦が着想元だと著者も言っている。

マインドには書物が必要だ」
ティリオン・ラニスター

「私は父とは違う。私の目的は殺戮ではない」
デナーリス・ターガリエン
キリスト教やロザリオと関係あるの?ある。
オスマン帝国に陥落され、コンスタンティノープルはイスタンブールに。その前後に脱出した知識人などから、古代ギリシャ・ローマの文化が西欧諸国に伝播した。ルネサンスの基盤にもなった。
ちなみに。これ↓は私が最近G.O.T.みを感じた世界の出来事。イタリアに牛百頭とメローニを交換しようと言ったことがある、ウガンダの権力者が、トルコに国で一番の美女を俺に渡せと言った件😂
Türkiye'ye yönelik tehditleri ile gündeme düşen Uganda Başkomutanı Kainerugaba’nın 2022’de başlık parası olarak 100 inek karşılığında İtalya Başbakanı Meloni’ye evlilik teklifi ettiği öğrenildi.
— Daktilock (@daktilock) April 11, 2026
Meloni teklife cevap vermemişti. pic.twitter.com/FkK5NUxscZ
西暦400年代頃。アイルランドにキリスト教を布教していた聖パトリックが、150の詩篇を毎日唱えるようになった。祈るために夜更かしもしただろう。
同じことをするよう勧められた修道士たちは、唱え終わるまで冷たい水に足を入れていたらしい。眠気覚ましだろう。
5聖パトリックは詩篇を 50×3 にセクションわけした。ロザリオの祈り1巡を日に3度なら、集中力をもって続けられるかもしれない。
このあたりには、かなり原型を感じる。

聖パトリックってなんだかすごく緑色なんだね?そうなんだ。クローバーがシンボルで。
St. Patrick’s Day はアイルランドの有名な祝日かつ盛大な祭り期間で。全てが緑色になる。

アイリッシュ・パブでビールが緑色にならないわけがない。

アメリカにもオーストラリアにもアイルランド系の住民がいるのだから、シカゴの川も緑色になるしオペラハウスも緑色になる。ウィスコンシンには、町名をアイルランドにちなんだ名前に変えるところまである。今年も明日から5日間、ここ新宿じゃなくてシアトルだね〜みたいな😂

西暦600年頃。アイルランドの一般信徒が、ひもに150個の結び目をつくり主の祈りを唱えることで、聖務日課をこなしていた。
「アイルランドのキルデアの聖ブリジットは、木製または石製のビーズがついたひもを使って、祈りをささげた」『バラ園の遊び』より。
西暦430年頃。今日のロザリオとは似ていなかったが、聖アウグスティヌスが言及して教会で数え道具として採用されたものがあった。
600年代。ロシアでビザンチン教会が結び目のある祈りのひもを採用していたのだが、結び目の数がさまざまで33から300まであった。
同じく600年代。ヨーロッパ大陸の人々が、ひもの結び目を用いて150回の「アヴェ」を唱ええはじめた。「恵みに満ちた聖母マリアよ、主はあなたとともにおられます」とだけ150回。
いきなりマリアが出てきたなと思った人へ↓

後で解説する。
この時代以降。多くの人々が指にロザリオ状のものをまきつけた状態で埋葬されていることから、当時の習慣になっていたと推測できる。亡くなった人の魂のためにも150の詩篇で祈っていたため、悲しみのしるしとしてロザリオ状のものを身につけるという習慣も生まれた。
ボーデン湖(ドイツ・スイス・オーストリアの3ヵ国にまたがる大きな湖)の湖畔、ドイツのライヒェナウに、修道院が設立されたのだが。ここは後に、ロザリオ製作の中心地として知られるようになった。
詳しく教えてくださる記事をお借りする。
ゴダイヴァ夫人は11世紀の英国女性で、彼女の夫はその圧政を非難された伯爵だった。それで、妻は裸で馬に乗せられたと。「ゴディバ」のネーミングとロゴの由来だが、これは史実ではないそう。


だが、こちらは事実だ。レディ・ゴディバの遺言の中に、「宝石の輪をひもに通し、指で1つずつ触って、祈りの数を正確に数えるようにしていた」という一文がある。
古いロザリオの移動を追うことで、歴史やおもしろエピソードがたくさん学べるわけだ。ただのひもや石珠だったら、そうはいかないだろう。さすが、人間の祈りとともにある物体。
そんなこと知っているよという人は、何段落も読みとばしていい。読みとばしても、楽なだけで楽しくはないと思うけれど。
貪欲な司祭や修道士がボッカチオやチョーサーの風刺の定番だったように。ローマ教皇制の精神的破綻を批判したカトリック教徒は、彼以前にも存在したが。
ドイツ人司祭のマルティン・ルターは、ある教会の扉に95ヶ条の論題をはりつけた。

胸アツ激アツ展開。
彼が免罪符の販売に抗議するためにこの論題を書いたのは、誰もが知っていることだろうが。特に、ローマの大聖堂の修復資金を集めようと、購入者のあらゆる罪を一度に赦すという新たな免罪符を無制限に販売した、ドミニコ会修道士や教皇レオ10世を批判したのだった。
遠い過去の赤の他人だが、私もレオ10世が嫌いだ。
私が思うに。この免罪符の最も悪どい点は、すでに死んでいる人にもおよぶとされたことだ。あなたの大切な人を煉獄から一気に解放できると言われ購入するーーそんな情深い人たちが利用された。


ルターが、言動の撤回を求めて召喚されても拒否・皇帝に撤回を命じられても拒否すると。誰もルターに食料や水を与えてはならない・ルターを殺しても法的処罰を受けない、こんなことが公的に決まった。
これでよく死ななかったなと思うだろう。
ドイツで最も有力な貴族の1人で事実上王のような存在であった人物が、彼とプロテスタンティズムを保護したのだ。皇帝と教皇は、この有力者を敵にまわすことをためらった。
ドイツ国内の権力争いも関係あったのだろう。

プロテスタントは、エリート層・聖職者・教育を受けた都市階級の間で、急速に広まった。
なぜか。彼らの多くがすでにおくっていた生活様式を正当化するものが、そこには少なからずあったからだ。例)カトリック教会を離れることができれば、聖職者も結婚をしたり子をもうけたりすることができる。
過去回の文章で補足説明する。




西洋における最初の自伝と言われるアウグスティヌスの『告白』に、彼の心的葛藤が詳しく書かれているため、推測できることだが。
自分の行動が本質からきたものではなかったためつじつまがあわなくなり、長く苦しんだのだろう。心と体を無理やり分離させて、人間がどうよく生きられると言うのか。記号的に生きたって、誰も幸せになれない。
極限までやせ細った身体で、苦行だけで悟りを得ることはないと気づいた、ブッダのことを知る機会があったらよかったのに。そこに相田みつをがいたらよかったのに。
『花』川崎洋
花の名だけは知っていて花そのものは知らない
そんな花があります
愛という字はよく知っているのですが
そして愛そのものも知っているつもりだけど
降るような花の下を行くと
一体何を知っているのかと急に思います


ルターらによる Sola Fide(信仰のみという意味)として知られる新たな教義が、カトリック教会の存在をおびやしていった。
キリスト教世界の分断を修復するために話合いをもつことが長年求められ、イタリア北部のトレント市でやっと開かれたのが、トレント公会議(1545年~1563年)だった。
宗教改革 Reformation と、対抗宗教改革 Counter-Reformation の、これは後者ね。
現代のイリアスと呼ばれた激しい論争。終わるまで18年もかかった。

途中、チフスの流行を受け開催地が変更されたのだが。関係者の半数はそれをよく思わなかった。権力がおよばない土地でやりたくないと言うのは、裏取引や根回しがあるのを認めているようなものだ。出席を拒否する者たちが出て、長期中断された。他あらゆる影響から、たびたび中断された。
トレント公会議を一期・二期・三期とわけて見ることができるのは、複数回中断されていたからだ。
結果。
プロテスタントの、信仰のみの義認・聖書のみの権威は否定され。カトリックの、信仰と行いの両方の義認・聖書と伝統の両方の権威が採用された。
教皇勅書が公会議で発布されたカトリック寄りの法令を承認し。カトリック教会は力を取戻した/強化された。
カトリックとプロテスタントの分裂を修復することはできず、一連の血なまぐさい宗教戦争へ。
トレント公会議から生まれたのは、規律を取り戻しつつも統合された教会と教皇制ーーすなわち、近代史におけるローマ・カトリック教会である。
そのダークな裏側もあつかった映画『教皇選挙』の(まだ腐敗臭がするのだね)、大テーマはとても本質的なもので、観終わった後に嫌な気持ちになったりしない。万人にオススメできる良作だ。
1570年の教皇勅書(先ほど出てきたものとは別)は、冒頭の一節にちなんで、「Regnans in excelsis」(至高の地位に君臨する者)とも呼ばれる。
英国女王を偽女王・犯罪の下僕と呼び、異端者として破門したことで有名な勅書である。
トレント公会議後に力を取り戻したカトリック教会の要求に応じて、発されたものだった。





カトリック教会が根回しをした勅書で破門された女王は、カトリックとしてプロテスタントを迫害した、ブラッディ・メアリーではない。
少し時をさかのぼって、説明する。
30年にわたる激闘の末、(ランカスター家の一族)チューダー家のトップがヨーク家のトップを倒し、さらにヨーク家の地位の高い女性と結婚。
バラ戦争は終わり、チューダー朝へ。

チューダー朝の頃(1485年~1603年)は、英国の絶対王政の全盛期であり、小国から大国へと成長した時代でもあった。
それ以前の百年間は、英王と仏王が争っていた。度重なる戦で英国貴族に没落者が複数出ていたため、絶対王政になりやすかった。(このあたりの話が好きな人はジャンヌ・ダルクの過去回へ)
チューダー朝のトップ = イングランド王になったのは、順に、ヘンリー7世 ヘンリー8世 エドワード6世 ジェーン・グレイ メアリー1世 エリザベス1世だった。

ヘンリー8世には、離婚したい女性と再婚したい女性がいた。離婚を禁じていたカトリック教会から離れ、ローマ教皇と対立。
前者はメアリー1世を産んだ女性で。後者がエリザベス1世を産んだ女性だ。宗教改革を実行したのは、新しく生まれた子も嫡子にしたいからでもあった。
だが、ヘンリー8世はその再婚相手を処刑した。その後も、離婚再婚時々処刑というサイクルをくり返した。(思わず、天気予報みたいな書き口になってしまった。普通の離婚がすごくまともなことに思えてくる)
メアリー1世は熱心なカトリック信者で、父親の行った宗教改革をくつがえし、英国におけるカトリック教会を再興させた。エリザベス1世は、逆に、父親の方向性を復活させた。
有名な「私は国家と結婚した」については、動画をお借りする。自由でいれる・柔軟性を保てる・外交カードとして利用できるーー。
彼女の最大の功績は、太陽の沈まぬ国と言われたスペインの(自称)無敵艦隊を打ち破ったことだ。射程の長い軽砲をそなえた小ぶりな船を量産しておいたりして。

英国史上最もスキャンダラスな王と言われた男から、英国史上最も偉大な勝利者と言われた女が生まれた、ということ。
イングランドはスペインに何度も海賊行為をしており、エリザベス1世もそれに加担していた(英の横取り癖は植民地時代も続いた)。その報復だと、スペインはイングランドに艦隊をさし向けたわけだが。カトリック教徒だったスペイン王が、同じくカトリック教徒の元スコットランド女王を英王位につけようと画策したのは、海賊行為ではないからいいのかと。
教皇はどちらのケースでもスペインの方を支持しておいて、正当な理由にもとづいてエリザベス1世を責めていると言いはったわけだ。
カトリック教会があやつった勅書で、公に偽女王呼ばわりされたのは、このエリザベス1世である。
同時代の別の教皇が言った。「見るがいい。たかが女が、ちっぽけな島の女主人が、全ての国々から恐れられているのを」賛辞ととらえていいだろう。
彼女が実際にこう言ったのかはわからないが。映画のセリフを聞いていると、イエーツの薔薇の詩が思い浮かぶ。
私もまた、 あなたの愛と憎しみの大きな風の時を待っている。たしかにあなたの時は来た。あなたの大きな風が吹いている。遠く離れた、最も秘密の、侵されない薔薇よ。

ケイト・ブランシェットの演技がすばらしい。
スペインは悪天候の影響もあってイングランドに負けた。これを劇的な言い方に変えると。エリザベス1世は風の力でスペイン艦隊に勝利した。これを宗教的な言い方に変えれば。神のご加護を得たプロテスタントと神のご加護を得なかったカトリック。
みんな、神は自分/自分たちに味方したんだとか、思いたいもんな。
レパントの海戦におけるキリスト教徒の勝利は、教皇の要請にもとづきヨーロッパの人々がロザリオで祈りを唱えたことによるもの、とされ。その後の教皇勅書で、カトリック教会のロザリオへの信心が確立された。
ここまで、わざと、ロザリオの祈りはプロテスタントの教会にはないことを書いてこなかった。このあたりで書きはじめれば、直感的によくわかるだろうと思い。
一方。〇〇の正確な起源などわからない、とは複数回書いてきた。大昔のことであるからだけでなく、このように「伝説の領域」にさしかかる部分があるからだ。
私は好きだよ。だって人間だもの。(イエス・キリストは、トンデモ話で加工しなくたってじゅうぶんにヒロイックだったと思うけれど)

だが。「勝利の聖母」(勝利の女神とか日本人でも言うよね)として認識されていたものが「ロザリオの聖母」と改名された、その理由は垣間見えた。
聖母マリアとロザリオはつながっていったのだ。戦争を介しても。真紅の花の名前で呼ばれた戦もあった。なんだかエモいから不思議だ。


(レゼと飛行機が何を表すのかわからない・何故ゆえこのアングル、という声もあるようで。なるほど、日本人はこれ↑を磔刑だとすぐに思わないのかと。私的に目からウロコだった)

キリスト教がローマ帝国の迫害の真っ只中にあった頃だが、235年に、最古の聖母マリアへの祈りが確認されている。
エフェソス公会議(431年)で、マリアはキリストの母でなく神の母だという宣言がなされ。エフェソスの人々が、神の母マリアと唱えながら行進したことがあったらしい。
より古い時代のより平和的なこれらは、一時の小規模なムーブメントにすぎなかったのに。
カトリックとプロテスタントでは聖母マリアに対する考え方が違って、それが、ロザリオの祈りがあるかないかの差にもつながるのだと。たとえばこんなふうに解説されて、誰がわかるというのか。みんな「???」となってしまうだろう。順を追った説明が必要だ。
いつしか。アヴェ・マリアは、ロザリオと最も関連高い祈りとして、定着していった。
16世紀のフランスとイタリアで、女性のためのロザリオ信心会が広まった。集会を開かず行列をともなわず、個人的な祈りだけを行うーー要するに、所属しているだけになるが。自由や権利の少なかった女性たちが、これなら所属しやすかったのは、言うまでもない。
17世紀。ロザリオは、カトリックの聖母マリアの美術に登場しはじめた。カトリックの聖母マリア教会の名が、ロザリオにちなんでつけられはじめた。

ロザリオの祈りによって、広島のグラウンド・ゼロから1kmしか離れていない場所にあった、教会とその神父たちの命が守られたという話。
木造の教会が大して壊れなかった・神父らに被爆の害が見られなかった・ドイツ人宣教師たちはこの教会でロザリオの祈りを欠かさず行っていたと。
医者や科学者が、その驚くべき体験についていろいろと調べたが。結局、解明されなかった。
私的には。誤解を恐れずに言えば 「そんなこと」より、原爆資料館に熱で溶けたロザリオが展示されていることの方が、重要だと思う。
同じ信仰をもつ人を生きたまま大量の火で焼く。因果関係を学ぶのは大切なことだが、どっちがやったとかやられたとか、もういい。違う信仰や文化をもつ人どおしも、もう誰と誰も、私たちはそんなことをしたくないのだから。

アヴェ・マリアの祈りの後半部分は、聖書には見あたらない。信徒らの日々の祈りから生まれたものなのだ。(16世紀に正式に教会に取入れられたが)
アヴェ・マリアの祈りは、カトリック信者の信仰生活において不可欠なものとなっていたロザリオの祈りと、並行して普及していった。
読み書きのできない人にも理解しやすいように、150篇の詩篇を読むことに代わるものとして、150回のアヴェを唱える習慣がはじまった。それこそカウンターが必要だろう。
人気の理由はその簡潔さにある。最も貧しい人や最も機会に恵まれない人も、祈ることができる。いいことだ。
ロザリオもアヴェ・マリアも、無から生まれたわけではない。突然、生まれたわけでもない。教会生活の中で人々の祈りの中で、ゆっくりと有機的に発展してきた。


福音書によれば。
イエスは、亡くなる間際、ヨハネに母親の世話を託した。その時、ヨハネもイエスに、先にこの世を去った母親の世話を頼んだだろう。

僕は古い書物を読んでいた
伝説や神話 アキレスと黄金 ヘラクレスと才能 スパイダーマンの力 バットマンの拳
明らかに、僕はそのリストに載っていない
でも彼女は言った
「どこへ行きたいの?どのくらいリスクを背負うつもり?」
超人的な力をもった人を探しているわけじゃない
スーパー・ヒーローとかおとぎ話のような幸せとかでもなく
ただ、頼れる人やキスできる人が欲しいだけなんだ
僕自身、誰かのそんな人になりたい
ーーAmen. まことにそのようでありますように。本当にそうだと私は信じます。
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