
親の介護に第三者が入ることのメリットを実感
昨日の夕方、兄弟でサービス付き高齢者向け住宅を訪れ、施設のスタッフの方と今後について話し合いをしました。
主なテーマは、母の入浴に関する支援体制についてです。
現在は、入浴の準備から後片付けまで、すべてスタッフの手を借りなければならない状況で、このままでは追加料金が重なっていく見込みであり、経済的ではないとのこと。
そのため、ケアマネージャーを介して、介護保険サービスを入れていく方向で話がまとまりました。これまでも第三者の立ち入りを拒んできた、母の強い抵抗が予想されるものの、ここはうまく説得し、現実的な体制を整えていくしかありません。
一人暮らしをしていた母は、入浴も自分でこなしていたと思っていたので、転居により入浴も満足にできなくなったのかと、ちょっと気持ちが落ち込んでしまいました。
ただ、考えてみると、今回のように支援が見えるようになって初めて、「実は以前からできていなかったのでは」とも思えてきました。つまり、いま支援が必要になったのではなく、ようやくそれが可視化されたというだけなのかもしれません。
本当は今回、母に会うつもりで来ていたのですが、会えば「前の家に戻りたい」と言い出すのは明白であり、スタッフからのアドバイスで、母に頼まれた物品だけ預け、今回は顔を見せずに帰ることにしました。
今の母は、まともな判断ができないので、そこで話をしても詮がなく、ケアーマネジャーとの調整が済んでから改めて会うべきだ、という提案には納得がいきました。
親子というのはどうしても感情が入りすぎてしまい、母の気持ちを最優先にして、結果として良くない選択を繰り返してきたのかもしれません。
母自身も、自ら望んだ選択に後から不満を言い、自ら望んだことも、以前の自分が不満を抱いていたこと自体も忘れてしまう。
そうしたやり取りを重ねるうち、「砂漠に水を撒いている」ような徒労感を抱えていたように思います。
認知症の介護において、外部の冷静な第三者が入ってくれることの意義はとても大きいと実感しました。
親を思う気持ちは大事ですが、それが自己満足に陥ってはならない。他人の力を借りて、母にとって本当に必要な支援を淡々と整えていく。その姿勢を忘れずにいたいと思います。