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返礼を前提としない感想文を、僕は書きたい[創作エッセイ]

    これは、僕が駆け出しだった頃の思い出。
    といっても、まだ一年くらい前でしかないけど(笑)

    とある小説作品が目に留まった。
    読み進めるうちに、その作品の感想文を書きたくなったのだが、勝手に書いていいものかどうか、よくわからない。
    調べると、どうやら作者に許可をもらうのが、界隈のお作法らしい。
    僕は作者に感想文を書きたいという旨の確認をした。

    無邪気にも快諾されると思っていた浅はかな僕に待っていたのは、「返礼の感想文が書けそうにないのでご遠慮ください」という言葉だった。

    返礼なんて求めていなかったのに、まるで「お前みたいなヒヨッコの感想など迷惑だ」と言われたようで、拒絶されたことに大変なショックを受けたのを覚えている。

    しばらくの間、僕はこれを理不尽な出来事として記憶していた。
    こちらは純粋な好意を示しただけなのに、そんな風に言わなくてもいいじゃないか。
    そう思っていた。

    けれど時間が経って、別の角度から見えるようになってきた。
    そもそも、僕は本当に「無償の好意」だけを差し出していたのだろうか?

    感想を書くという行為は、書き手にとってはただ書いて終わりかもしれない。
    しかし受け取る側にとっては、必ずしもそうではない。
    読まれた、評価された、何かを返さなければ。
    そういう感覚を相手の中に発生させる可能性がある。
    返報性のなんちゃら、というやつだ。

    僕の小さな「書きたい」という気持ちは、もしかすると、相手に大きな負債を生むものだったのかもしれない。

    そう考えると、あの作者の返事の意味が反転する。
    「返礼の感想文が書けそうにない」というのは、無価値な僕への拒絶ではなく、自分が負債を返せないという誠実な申告だったのではないか。
    むしろ、僕の差し出したものを「提案」として受け取った上での返答だった、とも読める。

    無償のつもりで差し出したものが、相手にとっては関係の要求になっていた。
    そのズレに、当時の僕は気づいていなかった。

    とはいえ、ここで綺麗に終われるほど僕は出来た人間ではないので、何かしっくりしないものも残る。

    全ての感想を「押し付け」としてしまうのも、それはそれで違う気がする。
    誰かの作品に心を動かされて、それを言葉にしたいと思うこと自体は、悪いものではないはずだ。
    それを毎回「相手への負荷」とする考え方に、僕はあまり魅力を感じない。

    ただ、あの日の僕に欠けていたものは確かにあった。

    それは、自分の感想が相手に何かを発生させてしまうかもしれない、という想像力だ。
    返ってこなくていい、読まれなくていい、相手が一切のリアクションを取らなくていい。
    そう本気で思える地点に立ってから書く感想と、そうでない感想は、多分質が違う。

    書いた瞬間に手放せるもの。
    相手から何も返ってこなくても成立するもの。
    あの日の作者がもし読んだとしても、何も書き返さなくていいと思えるもの。

    そういう感想文を書けるようになりたい、と今は思っている。


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    哲学するゴリラ ソフトバンク系上場企業を経て、現在は大手総合商社IT企業に勤務 哲学❌認知科学の視点から『人間認知のふしぎ』を主軸にした作品を執筆中 AIに創作を委ねず、対話によって日常の疑問を紐解きます LIFULL×note公式コンテストでLIFULL HOME'S賞受賞✨

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