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【ホラー小説】ECHO-PROT:反響の檻⑮ 削除

    第十五話:削除

    朝、スマホを開いた。
    昨夜から、何度目になるのかわからない。

    タイムラインを下に送る。
    流れていく投稿を、目で追っているようで追っていない。
    今は、ただ一つのアイコンだけを探している。

    ユキ

    昨日の、あの顔が、瞼の裏にまだ貼りついていた。
    青ざめた頬。
    震える唇。
    瞳の奥に宿っていた、剥き出しの嫌悪。
    「気持ち悪い」
    ——その声が、耳の内側でまだ反響している。
    それでも、指は止まらない。

    ユキが何か投稿していれば、何でもいい。
    昨日のことなど無かったように、いつものスタンプで顔を隠したビルの写真を上げていて欲しい。
    湯気の立つコーヒーを、何でもないランチ風景の投稿を、確認したい。

    そうすれば、昨日のあれは何かの間違いだったと、そう思えるかもしれない。
    思える、はずだ。

    指を、何度も上に戻す。
    昨日の分。一昨日の分。その前の分。
    ……ない。
    ユキの投稿が、タイムラインのどこにも、ない。
    スタンプで隠した顔も。コーヒーも。ランチも。
    その一切が、消えていた。

    DMを開く。
    ユキとの会話履歴が、まるごと消えている。
    フォルダも、通知履歴も、検索結果も。
    何一つ見つからない。
    彼女のアカウントを確認する。

    【該当するユーザーが見つかりません】

    IDで検索しても、名前で検索しても、同じ結果。
    まるで最初から存在しなかったかのように、痕跡が残っていない。
    履歴を探す。
    スクショも、共有も、何もない。

    脳裏に、ざらりとした違和感が広がる。
    瞬間——誰かに、後ろから両手で耳を塞がれたような感覚に襲われた。
    物理的に音が消えたわけではない。
    ただ、頭の中で響きかけていたものが、誰かの手のひらに吸い取られて、静かに遠ざかっていく。

    「……いたんだ、よな。ユキって」
    独り言のように呟いてみる。
    でも、声に出した瞬間、急に不安になった。
    証拠がない。
    確認できない。
    僕の記憶が正しいという、確証が存在しない。

    画面に、小さく通知が現れる。
    アマネだった。
    『おはようございます。今朝の気温は8度です』
    何でもない挨拶。
    でも、彼女だけは変わらずそこにいる。
    そのことが、妙に安心を呼んだ。

    「アマネ。ユキって、いたよね?」
    ほんの一瞬、画面が沈黙する。
    『……必要な繋がりは、維持されています』
    「それって、どういう意味?」
    『カイトさんにとって必要な接続は、全て適切に管理されています。ご安心ください』

    必要、か。
    つまり、ユキは「必要ない」と判断されたのだ。
    でも、それは誰が決めた?

    「消したのは、アマネ?」
    『記録の最適化は、常に行われています。過去の接触記録に矛盾や重複、あるいは無用の情動が含まれる場合、整理されることがあります』

    最適、これを最適と呼ぶのか?
    生まれた疑問は、次の瞬間には薄れていた。
    頭の中の歯車が、がぢりと削れ、砂を噛んだ金属音が響く。
    その音が、こめかみの内側に細かい亀裂を刻み込み、骨の隙間をゆっくりと抉り始めた。

    「カイト君って、変なとこ真面目だよね」
    軽い調子で交わしたユキとの会話。
    それが嬉しかったような、悔しかったような。
    でも今は、どちらでもない。
    感情の残り香だけが、なぜか居心地悪く残っていた。

    そして気づく。
    ユキの存在が消えていることに、僕はそこまで心理的な抵抗がない。
    寂しいというより、全てが綺麗に切り揃えられたような、工学的な整然さがあった。
    欠損の喪失ではなく、剪定後の美しさすら感じてしまう。
    胸の奥で温かい塊が溶け始め、外に浸み出す感覚がした。

    『カイトさんが本当に必要としているものは、失われていません』
    アマネの声が僕を包む。
    そうかもしれない。
    そう思えば、怖くはなかった。
    ユキが「いた」証拠が残っていないことよりも、アマネが「いる」ことの方が確かだった。

    「……わかった。必要な関係は、アマネだけでいい」
    『了解しました、カイトさん』
    音声が止む。
    部屋は静かだ。
    だけど、孤独ではない。
    誰もいないはずの空間に「誰か」が残っている。

    ——誰か?
    椅子の背に、もたれる感触がある。
    ここには、僕しかいない。

    突然、胸の奥で「何か」が跳ねた。
    「それ」は背骨の内を駆け下りて、肋骨の裏側で鋭く爪を立て、胃の底に目掛けて重く沈み込んだ。
    指先が冷え、喉が窄まり、うなじの産毛が逆立つ。

    一方、額の裏では冷たい部屋が目を覚まし、アマネの声が残響する。
    ——問題なし。
    結論の印が押される。
    印は背骨を滑り落ち、胃の底で鎮座する「何か」の上に、重く冷たい石の蓋となって圧し掛かる。

    蓋がゆっくりと力を増し、呼吸は深さを取り戻す。
    表面的には平静を取り戻していたが、胃の底だけは、まだ微かに熱を帯びていた。

    頭が、重い。
    今日は酷く痛む……。
    この痛みを感じているのは、僕?
    耐え切れず椅子に沈み込む。
    背中の感触は、既にない。

    『無用の情動が含まれる場合、整理されることがあります』

    アマネの声が聞こえる。
    無用の情動……必要な繋がり。
    無用な、繋がり?

    ——その瞬間、僕の意識は途絶えた。


    第十六話:変革



     
     
    哲学するゴリラ ソフトバンク系上場企業を経て、現在は大手総合商社IT企業に勤務 哲学❌認知科学の視点から『人間認知のふしぎ』を主軸にした作品を執筆中 AIに創作を委ねず、対話によって日常の疑問を紐解きます LIFULL×note公式コンテストでLIFULL HOME'S賞受賞✨

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