メインコンテンツへスキップ
見出し画像

12年前の春、わたしは自分の結婚指輪を彫っていた。そしていまもちゃんと身につけている話

    2013年2月、当時29歳と6ヶ月。
    7年付き合った彼氏が、ようやく結婚のOKをしてくれた。

    25歳のとき、付き合って3年目にして、私は「この人と結婚したい」と思った。それから何度も「結婚したい」と伝えたけれど、彼は首を縦に振ってくれない。のらりくらりと月日が流れた。

    29歳の年末。私は一世一代の覚悟で腹をくくった。

    「私と結婚するかどうか、決めて。今、覚悟を決められないなら、私は別れる。そしてイタリアに彫金の修行に行く」

    そう言い放ち、そのまま音信不通にした。決死の覚悟だった。
    1ヶ月後の2月初旬。ようやく彼から「佳世と結婚する」と覚悟を決めたという連絡が来た。


    私たちには、映画のワンシーンのようなプロポーズも、憧れの婚約指輪をパカっとするシーンもなかった。

    そのかわりに、今でもはっきり覚えている言葉がある。
    彼は言った。

    「あの時の感覚は、圧の強い営業マンに“社長、今すぐ決めてください!”と押し切られて、“わかったよ”って判をついた社長の気分だった」

    ──なんてロマンチックじゃないプロポーズ。
    もうちょっとロマンチックな思い出、ちょうだいよ…と正直思うけど、ないものはないのだ。そしてある意味わたしたちらしい。


    当時、私はジュエリーを作っていて、結婚指輪のオーダーをよく受けていた。だからこそ、自分たちの結婚指輪も、私がデザインして、自作することにした。夫の分と、私の分。両方とも。彼には、後から原材料費を請求することにして。

    春になると、あの光景を思い出す。

    結婚の承諾を得た約1ヶ月後、2013年3月ごろ。
    私は福岡の実家で、彫金机に向かっていた。西陽の強く差し込む部屋。
    7年かけてある種“口説き落とした”彼と、自分たちの結婚指輪のデザインを描いていた。

    無限大(∞)のモチーフをイメージしながら、走り書きのように描いたあの姿は、今でも左斜め上から全体を俯瞰するように、ありありと記憶に残っている。

    そして、デザインをもとに制作へ。
    何本も作ってきたプラチナの指輪。でも、その時は特別だった。

    この指輪を、私はこれからずっと身につけるんだろうな。
    これを外す日が来ないことを、心から願うな。
    何年経っても、この制作の光景を思い出すんだろうな。

    そんなことを考えながら、私は自分の結婚指輪を彫った。
    夫の分も、もちろん。

    ふだん腕時計すら嫌がる彼が、果たして指輪をつけるのか?
    そう思いながらも、一応作っておいた。

    プラチナpt900で2本。
    2013年4月ごろ、私はようやく完成させ、夫に金属代として8万円を請求した。
    「なんて安上がりな女だよ」と思いながらも、自作するのは夢だった。嬉しかった。


    2013年7月7日、私たちは結婚した。
    ぎりぎり29歳と11ヶ月。22歳で出会って「20代のうちに結婚する」と決めていた私は、その目標をなんとか果たした。

    画像

    その翌年の4月12日に、この指輪を結婚式の儀式でつかった。そこから毎日、私は身につけている。

    春になると毎年、結婚指輪と、結婚式と、その頃のことを思い出す。
    そして毎日、左手の薬指にある結婚指輪を見るたびに、あの春を思い出す。

    画像

    手はだいぶ荒れて、しわも増えた。指輪も傷ついた。
    けれど──

    「あの日、強引に結婚を迫ってよかったな」
    「イタリア、行かなくてよかったな」
    「結婚指輪、自分で作ってよかったな」

    そう思うのだ。

    ちなみに、夫の結婚指輪は儀式の時以外に身につけることはない。今も変わらず、綺麗に保管してある。それもまた、わたしたちらしいのかもしれない。

    そして春になると、彫金机に向かっていたあの日の自分の姿を、ふと、思い出す。


    この記事は、「みんなのnote投稿コンクール」
    #春になると思い出すこと 、への参加記事です。


    この記事が参加している募集

     
     
    諦めを超えて本来の力を取り戻す|鎧を脱いで本音を話し弱音を吐いてエネルギーチャージする時間を届ける|諦めた先の新しい生き方を構築する|ICF認定PCC|CTI認定CPCC®︎|独立←←ジュエリー職人←リクルート| あきらめラジオ あきらめ文庫 Amazonアソシエイトに参加

    あなたへのおすすめ